ジャンヌは、13歳の時に、天の声を聞きました.....と本人は言っている。電波系!? |
シャルルはいぢわるでした。 ジャンヌが来るという知らせを聞いて、王子の衣装ではなく普通の服を着て、城に居る他の人に紛れ込み、王子には替え玉を用意しました。ラーメンお代わりってヤツですね。違うっ! 城に着いたジャンヌは替え玉には目もくれず、取り巻きの群衆の中からホンモノの王子様を見つけました。...って、何かウサん臭いな。 |
観光名所、ロワール川沿いの丘の上に廃墟として残る。 47 10 5 N 0 14 7 E |
王子はジャンヌを信用し、ジャンヌと共にイングランドと戦うことにしました。 (小娘の言うことを信じて戦争、というのがすごい) イングランドと戦って勝たなければ、このままでは王子は王様になれず、フランスはイングランドにM&Aされて、じゃなくて統合されてしまいます。 「そんなのいやだぁ」 1929年にジャンルはオルレアンに向かい、イングランド軍に包囲されていたフランス軍を励ましてイギリス軍の包囲を撃退しました。 |
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っていうか、小娘に励まされないと勝てない軍隊って... |
写真左奥あたり。 現在の橋は、当時に比べ位置が少し西にずれている。要塞は残っていない。 47 53 39 N 1 54 21 E (要塞のあった場所) |
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(ジャンヌダルクさんは銅像の方です。左下のケータイ持ってるオネーサンではありません。念のため。) 47 54 9 N 1 54 14 E |
です。 そこでシャルル王子に、「ランスで王様になって」とお願いしました。 ランスは歴代のフランス王が戴冠式をする所です。ここで「ボク王様」宣言すればハ クが付くのです。 途中イングランド軍と戦い、撃退させながら、何とかランスに到着しました。 |
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フランス革命の最中被害を受け、修復された。 更に第一次世界大戦中の砲撃で、大きな被害を受けた。 現在は世界遺産に登録されている。 49 15 13 N 4 2 1 E |
引き続きイングランドやそのシンパとの戦いに参加していたジャンヌは、首都パリ奪還を目指していたものの、ついにコンピエーニュで捕虜になってしまいました。 |
49 25 4 N 2 49 31 E 私は出張で営業マン(フランス人)との待ち合わせ場所にジャンヌ像の前を指定し、早めに到着しそうだったので先に「コンピエーニュの森」を見に行ったのですが、街中から森(やたらとデカい)の中の休戦調停場所とは結構離れていて、待ち合わせに遅刻しそうになり結構焦りました。 |
しかも火あぶりです。 キリスト教徒の死体処置は今でも土葬がデフォルトです。 これは、復活して帰るべき肉体を残しておくという宗教的理由です。 火あぶりになると復活が出来なくなり、キリスト教徒にとってピ〜ンチ、どころか前途絶望です。 |
49 26 35 N 1 5 18 E |
火あぶりの刑、ただいま準備中。 |
ジャンヌは炎につつまれながら、神や聖人の名前を何度も叫んだといわれます。 ...って、本当かよ? 火あぶりになったとき、普通は「アッチッチ....アッチッチ....」(by郷ひろみ)と叫んだり、「ふーっ、ふーっ」(火を消そうとする無駄なあがき)とかするんじゃないでしょうか? やっぱりジャンヌの話は全体的にかなり信憑性が.... |
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火あぶり中のジャンヌ。オルレアンにて。 誰だ、乳首に赤点を落書きしたアホは? 47 54 6 N 1 54 33 E |
ちなみに灰はセーヌ川に流されたので、ジャンヌダルクの墓なるものはありません。 (某総統閣下と同じ処遇だったりする) そして長い年月が経ちました。時は、20世紀になりました。 ローマ教皇は、ジャンヌダルクを聖人に加えました。 フランス海軍の誇る航空母艦に、ジャンヌダルクの名前が付けられました。 めでたし、めでたし。 何か良く判らんけどおしまい。 |
48 51 50 N 2 19 56 E 悪趣味極まりない。何考えてんだか、フランス人。 想像してほしい、もし忠犬ハチ公像が金色だったら..... |