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トラファルガー海戦
Battle of Trafalgar

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ロンドンのトラファルガー広場にある、トラファルガー海戦で旗艦ヴィクトリーの艦上で敵弾に倒れたネルソン提督を描いたレリーフ。
下縁に書かれたEngland expects every man will do his duty は開戦直前に艦隊の全員に伝えた有名な訓辞。
51 30 28 N 0 7 41 W

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トラファルガー海戦でイギリス艦隊を勝利に導いたネルソン提督の妙にリアルな蝋人形。戦闘の負傷で右目は殆ど見えず、右腕は切断した。
ポーツマスの博物館にて。

フランス革命が生んだ野心家で英雄にして権力者の皇帝、ボナパルト・ナポレオンは欧州大陸を陸の軍備を持って制圧し、一方で英国海軍は海を制覇していた。
ナポレオンは英本土攻略を計画し、その為には英仏海峡の制海権を握る必要があった。

1805年当時、英海軍の海上封鎖の為、フランス海軍は艦船の移動が限られていた。
ナポレオンの立てた計画によると、フランスのヴィルヌーヴ提督がスペインの港町カティス及び地中海に居るフランス・スペイン連合軍の艦隊を集結させ、英軍の海上封鎖を突破して西インド諸島の艦隊と合流、その後フランス北西部の港町ブレストの艦隊と合流して英仏海峡を制圧し、フランス軍の英本土上陸を可能にする。

ヴィルヌーヴは予定通りフランス、スペインの艦隊を終結させて西インド諸島の艦隊と合流したが、途中英軍との競り合いでスペイン艦船2隻を失った為そのままブレストには向かわず、スペイン北西の港、フェロルに寄航した。そこでナポレオンからの「予定通り北進してブレストに行け」との命令を受け1805年8月10日に出航、しかし英軍の追尾を避ける為一旦南進してスペインのカティスに向かった。
8月25日になっても予定された艦船が現れない為、ナポレオンは英国上陸の為温存していた兵力をドイツとの戦いに回した。
ここで事実上英本土上陸作戦は破綻する。

ネルソン提督は旗艦ヴィクトリーで9月15日に英国を出航し、9月25日にスペインのカティス沖で他の艦隊と合流した。補給を受けながらフランス艦隊の出航を待つ英国艦隊。

一方、ヴィルヌーヴのフランス艦隊はカティスの港に停泊していたものの、長い航海の後であり、また英国の海上封鎖の為に物資が不足しており、兵隊の錬度も不満足だった。

ナポレオンは9月16日の時点でヴィルヌーヴに対し出航命令を出していた。期を待ち出航し、カルタヘナのスペイン艦隊と合流し兵をナポリまで運ぶこと。

ヴィルヌーヴが出航したのは10月18日の事であった。恐らく後任者が到着して解任されるのを恐れての事であろう。
ジブラルタル海峡に向かう途中の10月20日夜、英軍の追跡に気付く。
翌10月21日の朝6時、フランス・スペイン連合艦隊を追撃する英国艦隊のネルソン提督は戦闘準備を命令する。

そして朝8時、ヴィルヌーヴはカティスへの反転を命令する。
不安定な風の下での反転は、経験の浅いクルーが多いフランス・スペイン艦隊にとって極めて難しく、艦隊はだいぶ散らばってしまった。

英艦隊27隻に対しフランス・スペイン艦隊33隻、砲門数2148に対し2568、兵力17000に対し20000と一見英軍不利な状況だが錬度では負けない。

当時の海戦では敵、味方共に一列の隊列を組み、平行に向かい合いながら戦うのが基本だった。
一列の艦隊は命令を順次伝えやすく、損害を受けた船が隊列を離れるのもたやすい。

しかし、ネルソンの英艦隊は2列の隊列を組み、方向転換して北進するフランス・スペイン艦隊に対し直角にぶつかる方向に進み戦闘に挑んだ。T字戦法である。
フランスも接近戦を予想し、マストや甲板に狙撃手や斬込隊を配していた。

ネルソン提督は旗艦ヴィクトリーから「英国は皆が職務を果たす事を期待する」(England confides(=expects) that every man will do his duty)の旗信号を送った。

1805年10月21日の正午、スペイン南部のジブラルタル海峡西のトラガルファー岬の沖合いで、後世に語り伝えられる海戦が始まった。

英艦隊が次々と連合軍艦隊に突っ込み交戦する。
ネルソンの旗艦ヴィクトリーはフランス旗艦ブセンタウルをかすめながら砲撃し損傷を与えた後、フランス艦ルドゥタブルとの一騎打ちになった。
銃弾の飛び交う中、ネルソン提督はルドゥタブルの狙撃主に撃たれて重症を負う。
ルドゥタブル上の歩兵がヴィクトリーに乗り込もうとした時、英軍の別の艦船の砲撃でルドゥタブルに多くの被害が出た。
艦長のルカも負傷し、フランス艦ルドゥタブルは午後2時前に降伏した。
結局この海戦でフランス、スペインは22隻を失い(内2隻はフランス・スペインが回収に成功)、11隻はかろうじてカティスにたどりついた。英国は船を失わなかった。英国の圧倒的勝利はネルソンタッチと呼ばれるT字戦法と、英軍の錬度の高さによるところが大きい。

射撃されてから3時間半後、英軍の勝利が確定してからネルソン提督は死亡した。最後の言葉は「責務を果たして良かった」(Thank God I have done my duty)だった。
遺体はラム酒漬けにされ英国に戻り、セントポール大聖堂に葬られている。
ヴィルヌーヴ提督は捕虜になった後恩赦で釈放されたが、パリに戻る途中で自決した。

バトルオブブリテンで、英国上空の制空権を取れなかったヒトラーが英本土上陸を諦めたように、トラファルガー海戦で退廃し、英仏海峡の制海権が取れないナポレオンが英国本土上陸を試みることは無かった。
ただし、フランスは制海権を完全に失ったもののナポレオンの大陸制覇は続き、ナポレオンが完全に退陣するには10年後の英国との最終対決、すなわちワーテルローの戦いを待たねばならなかった。

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トラファルガー海戦当時イギリス艦隊の旗艦だったH.M.S.ヴィクトリー。
1759にチャタム王立造船所で建造開始、1765年進水。トーマススレード卿により設計

1922年以来、ポーツマスの乾ドックに置かれている。
隣接する博物館ではオリジナルの帆も展示されている(これは撮影出来ない)
50 48 6 N 1 6 35 W

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帆船戦艦の各部名称と、砲の配置を示す。
当時の英海軍では砲100門以上が1等戦列艦と言われた。
砲弾重量
砲丸直径
射程(q)
砲重量
操作要員
ヴィクトリー装門数
12ポンド (5.4kg)
11p
1.2Km
1.6t
10人
44門
24ポンド (10.9kg)
14cm
1.8Km
2.5t
12人
28門
32ポンド (14.5kg)
15cm
2.4Km
3.3t
14人
30門
68ポンド (30.9kg)
カロネード砲
19cm
1.1Km
2t
6人
2門
カロネード砲は通常の砲に比べ少量の炸薬で砲弾を発射する。
砲弾と砲膣の間の空隙を小さくすることにより少量の火薬でも大径の砲弾を発射できるようにしている。
この為砲弾はシステムとして砲身・座と共に提供されている。
砲座は通常の車輪付きではなく、レール式のスライドで後退する。
射程と命中精度を妥協することにより軽量化しており、近接戦で威力を発揮した。

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5階層に別れた甲板の名称

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船内の各施設の配置
デッキ
記号
名称
役割・解説など
船首楼甲板
Fo'c'sle
F-1 Belfly 鐘楼
Ship's Bell 船鐘
時を知らせる。
中甲板
Waist
W-1 Boats 艦載艇 18,25,28,34フィートの手漕ぎボート。
陸や他船との連絡、敵地上陸の他、小回りの利かないところで母船の向きを変えるといったタグボート的な使われ方もした。
大きさにより大きい順に
Launch Pinnace Barge Cutter
と呼ばれた。
後甲板
Quarter Deck
Q-1 Ship's Wheel ロープと棒のリンクで舵を操作する。
Q-2 Binnacle 羅針盤台 中には磁気コンパスと夜間照明のランタンが収められている。
Q-3 船長付き人の部屋
Captain's Secretary's Cabin
左舷側。
Q-3〜Q-7の各部屋には12ポンド砲も置かれていた。
各部屋は板で仕切られていたが、戦闘時には板を外し家具は船倉にしまう(緊急時には海に投げ込む)事により砲の操作に邪魔にならないようにした。
Q-4 総舵手の部屋
Ship's Master's Cabin
右舷、Q-3の反対側。
Q-5 船長寝室
Captain's Sleeping Cabin
左舷
Q-6 船長食堂
Captain's Dining Room
右舷、Q-5の反対側
Q-7 船長室
Captain's Day Cabin
船長の執務室。旗艦でなければ船長が一番偉い。
Q-8 船長用トイレ
Quarter Gallery
船長専用のトイレ。
船尾楼甲板
Poop Deck
P-1 信号機収納庫
Signal Locker
信号旗を格納しておく。
船首甲板
Beak Deck
B-1 一般用トイレ
The Head
吹きっさらしの船首甲板にトイレが6つ
設けられている。一般水兵〜下士官用。
海への垂れ流し式。
船は後ろから風を受けて進むので、汚物が船にかからぬよう最前に設けられた。
上砲列甲板
Upper Gundeck
U-1 将校用トイレ
Junior Officer's Head
将校用は個室となるヒエラルキー。
左右両舷に各1個。
U-2 病室
Sick Bay
風通しが良い船内前部に設置。
病人にはスープが与えられた。酒は無し。
U-3 前室
Ante-Room
提督への面会の順番待ちなどの控室。
U-4 提督用寝室
Admiral's Sleeping Cabin
ネルソン提督は片手でも出入りできるようベッドを好んだ。
U-5 提督用会食室
Admiral's Dining Room
(Meeting Room)
提督や船長は自腹で食料を用意してもてなした。
部下に奢らないといけない管理職みたい。
U-6 提督用執務室
Admiral's Day Cabin
会食室とつながっている。作戦会議を開いたり報告を聞いたりと艦隊を指揮管理するための執務を行う。
U-7 提督用トイレ
Quarter Galley
船長と提督は完全に個人用のトイレがある。
中砲列甲板
Middle Gundeck
M-1 調理室
Galley
調理場とかまどがある。
M-2 上級将校居住区
Ward Room
M-3 Hammock space
ハンモック吊り下げ位置
約300個のハンモックが中砲列甲板の24ポンド砲列の上に、天井から吊り下げられた。
2交代勤務なので実際にはその半分が使われ、残り半分は空なのが常だった。
Capstain 巻き上げ機
Capstain
中と下砲列甲板を貫く形で配置されている。前後2か所。
下砲列甲板
Lower Gundeck
L-1 下級将校の部屋
Gun Room
食事、就寝の部屋。天井に舵を操作する為の巨大なビームが動いており頭をぶつけない様にしないと大変だった。
L-2 Chain Pump 船底に溜まった水を喫水線よりも上の高さまでくみ上げて船外に排水する。
L-3 Hammock Space
ハンモック吊り下げ位置
乗組員の約半数が寝られる様、約450個のハンモックが下砲列甲板の32ポンド砲列の上に、天井から吊り下げられた。
2交代勤務なので実際にはその半分が使われ、残り半分は空なのが常だった。
最下甲板
Orlop deck
O-1 船大工の備品置場
Carpenter's Storeroom
O-2 甲板長の備品置場
Bosun's Storeroom
O-3 士官候補生の部屋(前方)
Fore Cockpit
比較的大きい部屋。戦闘時には軍医の手術室となる。
O-4 士官候補生の部屋(後方)Aft Cockpit 最下甲板の後部には小さな部屋が中央寄りに集まっている。
この小部屋の両舷側にはCarpenter's walkと呼ばれる通路が設けられていた。
最下甲板は喫水線下になるので水漏れは発見次第船大工が修理した。
O-5 士官候補生の寝室
Midshipman's Berth
O-6 給仕の部屋
Steward's Cabin
O-7 将校の備品置場
Lieutenant's store
O-8 事務員の備品置場
Purser's store
O-9 船長の備品置場
Captain's store
O-10 事務員の部屋
Purser's Cabin
O-11 軍医の部屋
Surgeon's Cabin
O-12 給仕の執務室
Steward's Room
O-13 医務室
Dispensary
O-14 乾パン置場
Bread Room
H.M. 弾薬昇降機
Hanging Magazines
このエレベータで袋詰めした弾薬を上の層に運び、そこでパウダーモンキーと呼ばれる火薬運びの少年水兵が受け取り砲まで運ぶ。
船倉
H-1 Grand Magazine
弾薬庫
湿気も火気も大変なので火薬の保管には大変な注意が払われた。
H-2 弾丸入れ
Shot Locker
砲弾合計100トンを貯蔵していた。
H-3 消耗品 水、、塩漬け牛肉、塩漬け豚肉、乾燥豆、ビスケット(乾パン)、酒、小麦、タール、塗料など
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艦首にはフィギュアーヘッド(船首像)の豪華な装飾。

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船はドライドックに半永久的に固定されている。
上・中・下の三層に渡り砲列が配置されており、下に行くほど重量の砲が置かれている。

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右舷前方。下砲列甲板は海面に近いので航海中水しぶきが入らぬよう、通常はこの様に砲の窓を閉めていた。
錨は4.4トンの重さがあった。

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露天甲板の12ポンド砲。

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消火用バケツ。英語でFire bucket 水と砂をいれておく。船のありとあらゆるところで見かける。
王冠の下に描かれたGRはGeorge Rex の略でRexは王様の意味。国王ジョージ三世を指す。

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巨大な操舵輪。その前方の箱は羅針儀台(Binnacle)で、中には羅針盤と照明のランタンが置かれている。

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煙突と、鐘楼(Belfry)に収められた、時を知らせる船鐘(Ship's Bell)。

六分儀で太陽の高さを測り、一番高く昇った時が正午で船の一日が始まる。
この時8回ベルを鳴らした(八点鐘)。
午後の00:30に1回、01:00に2回、01:30に3回...と繰り返し、
午後04:00に8回鳴らすと見張りなど勤務当番の交代となる。
4時間交代が基本だが、午後4-6時、6-8時の間は2時間勤務となる。よって1日は7交代となる。

画面奥が船尾方向なので煙突の開口部は前方を向いている。帆船は航行時後ろから風を受けるので、煙を風下に逃がすためこのような向きになっている。
画面左端にスキージャンプ台甲板が見えているのは写真撮影当時現役だった英海軍の空母 R06 HMSイラストリアスでその後スクラップにされてしまった。

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中砲列甲板の24ポンド砲。床に置かれた金具は懲罰の時に使う足かせ。

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大砲の間で食事をし、大砲の上にハンモックを広げて寝る。
写真は下砲列甲板の食事用テーブルと長椅子。

ヴィクトリーの定員は850名だが、トラファルガー開戦時は830名程だった。
これは戦艦三笠とほぼ同じ。ちなみに戦艦大和は3332名 空母ロナルドレーガンは3,200名+航空要員2,480名 護衛艦(←ヘリ空母じゃん...)のいずもは最大970名
ヴィクトリーの乗組員の内訳は以下:
提督1名(艦隊旗艦なので本艦だけ提督のネルソンが乗っている)
艦長1名
海軍士官9名
海軍士官候補生21名(最年少は13歳)
海軍准士官17名
海軍下士官60名
専門職44名
3等(新米)水兵 86名
2等水兵 194名
1等水兵 211名
海兵隊員146名 (内士官4名、下士官7名 太鼓手2名 ラッパ手1名)
シップスボーイズ 事務職・雑務、パウダーモンキーと呼ばれる弾薬の運び屋など。文字通り少年が多い。 42名

乗員の年齢は12歳〜67歳と幅広いが半数近くは24歳以下だった。
国籍はイングランドが一番多くそれ以外の英国や英国植民地出身者の他、海外もおり米国、イタリア、オランダ、ドイツ(プロイセン)、ポルトガル、スイス、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、ブラジル、フランス(←亡命希望者?)、国籍不明など英国と利害を共にするもの、しないもの多岐に渡っている。

乗組員の約半数は志願したものだが、残り半分は半ば強制的に船に乗せられた。ただ、やみくもに誰でもいいというわけではなく、浮浪者を引きずり込んだり犯罪者と判っているものを乗せることは無かった。

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下砲列甲板の32ポンド砲列の上に、天井からハンモックが吊り下げられている。
この層には乗組員の約半数が寝られる様、約450個のハンモックが置かれた。
2交代勤務なので実際にはその半分が使われ、残り半分は空なのが常だった。
下砲列甲板は喫水線に近いため波しぶきが入らないよう砲窓を閉めることが多く、そこに長い間風呂に入っていない、腐りかけの肉を食べている白人男性が密集するので想像を絶する匂いがしたのだろう。

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砲に関する展示。
砲の断面では@装薬(火薬の入った袋)、A砲弾、Bおくり(砲弾が抜け落ちないようにする詰め物)を装填した後、砲を前進させてからC点火口に点火、発射する。
DE(Barshot)及びF(Chainshot)は2つの砲丸をつなげたもので主に敵艦マスト・索への攻撃に使われた。
Gはぶどう弾(Grapeshot)と呼ばれる短射程の散弾。
通常は@ABが標準的な装填だが、敵との距離が縮まると@×2個、A×2個とし威力を増した。
トラファルガー海戦の敵味方入り乱れての超接近戦では@×3個、A×3個を込めた。

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下段砲甲板の32ポンド砲々列。 天井には、装填に必要な器具が配置されている。
3本セットで手前から
A: スポンジ - 湿らせて使う。砲弾を発射後、砲膣内の燃え残りを消火する
B: ウォーム - 先端がコルク抜きの様な螺旋になっている。
砲弾発射後、砲膣内のゴミを掻き出したり、万一不発の場合おくりや装薬を引っぱり出す掃除道具
C: 槊杖(Ramrod) - 装薬や砲丸、おくり(砲丸が落ちてこないようにする詰め物)を押し込む棒
当時の英海軍では、弾丸を発射してから砲膣内の燃えカスをAで消火し、Bで掃除し、装薬・砲弾・おくりを順次Cで押し込み、点火して再び発射するというサイクルに90秒要したが、これは他国よりも早かったという。ただし戦闘が続くと疲れや負傷者脱落によりペースは落ちた。

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下砲列甲板の32ポンド砲。戦闘時、各砲甲板には砂をまき、負傷者の血や水しぶきで滑らないようにした。

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中砲列甲板のハンモック。ここは英海兵隊が寝ていたという設定。
乗艦している海兵隊は上陸して敵と戦う他に、敵艦に乗り込み戦う、乗り込もうとしてきた敵兵と戦う、艦内の秩序を保ち水兵の反乱や暴動を抑え込むといった任務にあたった。

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ヴィクトリー号他英海軍艦艇に配備されていた英国海兵隊員。ワーテルローの模擬戦にて。
(ワーテルロー会戦には参加していないのだが...)
後ろは大英帝国と同盟だったプロシア(プロイセン)の兵隊。

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船長の寝床

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風通しの良さから前方に設けられている病室。戦闘時には病人は下層甲板に移され、ハンモックは片付けられ大砲を撃つのに邪魔にならないようにした。

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手前にあるのがエルムポンプと呼ばれる、掃除や消火のために海水をくみ上げるためのポンプ。
他に船底に溜まった水を排出するためのチェーンポンプもあった。

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階段の奥にキャプスタンが見える。錨の巻き上げなどロープを大きな力で引っ張るためのもの。
棒を差し込んで中心から棒の端ま最大10人×12本で回転させる。景気づけとペース維持の為、鼓笛を演奏する、歌を歌うなどした。

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上砲列甲板の最後尾は提督の部屋とダイニングルーム。幹部乗組員と会食が出来るよう豪華なテーブルと調達品が用意されている。

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後部ギャレーを外から見る。現代の水準からは無駄にしか見えないデコレーション。

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調理場。ビスケット、チーズ、塩漬け肉など保存食が中心で野菜類はどうしても不足する。
チーズの上にはネズミ。

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調理場隣にあるかまど。燃料の薪は船底の船倉に保管されていた。

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船大工の作業場。絶えずメンテナンスが必要なので休む間がなかった。

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錨に結ばれているロープ。

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武器の展示。

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ライフル銃は通称Bron Bess として知られる当時の英軍の代表的なマスケット銃British Land Pattern Musketの、海軍モデル(Sea Service Pattern)

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ピストルは22-Bore Flintlock 1801 Pattern Long Sea Service Pistol

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弾薬庫にて、樽に入った火薬。静電気でスパークしたり湿気が侵入する、ねずみに樽をかじられるといった事のないように壁には銅板が貼られている。

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火薬を装薬袋に詰め替える場所。火気厳禁で、ガラスで仕切られた隣の部屋から明かりをもらった。

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弾薬室で袋詰めにされ運搬用ケースに入れられた火薬は、ハンギングマガジンと呼ばれるエレベータで船倉から最下甲板へと昇り、そこでパウダーモンキーと呼ばれる弾薬運びの少年兵が受け取り砲まで運んだ。

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医務室に展示されていた医療器具。
ガラス瓶にはアヘンチンキ(モルヒネの成分が含まれている)と亜麻仁油(火傷などの治療)。
右端のノミやのこぎりは大工道具にしか見えないが複雑骨折してつながる見込みのない骨を取り除いたり放置すれば壊死する手足を切断したりするもの。ぎゃぁ。
ネルソン提督も1797年、アフリカ沖のスペイン領サンタクルスデテネリフェを襲撃した際に右腕を撃たれて切断している。

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生きたニワトリ。 ビスケット(乾パン)に湧くウジ虫やコクゾウムシをエサに与えたりしたらしい。
いずれにせよ一般船員には新鮮な卵や肉は行き渡らなかった。

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砲弾の貯蔵庫かな?

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長期保存の為に樽の中で塩漬けにされた肉。
調理する前に水に浸して塩抜きした。
豚肉、牛肉双方搭載していた。
1週間の食事は
ビスケット 3.2s
牛肉 1.8s
豚肉 0.9s
豆 1.1リットル
オートミール 1.7リットル
バター 170g
チーズ 340g
水は臭くなるので普通はビールを飲んだ。1日当たり1ガロン=4.5リットル。いや、これ結構な量...私も下戸ではないが、ちょっと毎日は...
野菜は寄港した後しか接種出来なかったが、陸上の庶民よりも満足に食事が出来たという。

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水、酒、塩漬け肉、チーズ、ビスケット(乾パン)、豆などは樽に入れられ、ホールドといわれる艦の底部の貯蔵スペースに保管されていた。
概ね6か月の航海に足りるだけの備蓄を積んだ。
船底には鉄のバラストが置かれ、更にその上に砂利(Shingle)をまいて重心調整と積み荷の安定を図っていた。

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ヴィクトリー号の全景が判る模型。
横須賀にある記念館三笠の艦内展示。
米海軍の航行可能な帆走フリゲート艦USSコンスティトゥーション、英海軍のHMSヴィクトリーと並んで世界3大記念艦つながり。

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同じく記念館三笠の館内で展示されている、HMS ヴィクトリーに使われていた樫の一部
ヴィクトリー建造には約6000本の木が使われたといわれ、大半は樫だが、他に楡(ニレ)、松、樅(もみ)、癒瘡木(ユソウボク)なども使われた。
艦底は銅張りでフナクイムシ(貝の一種だけど...)の付着を防いだ。

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ロンドンのマダムタッソー館に居るネルソン提督。

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ロンドンの中心部にはトラファルガー広場があり、ネルソン提督は1843年に作られた塔の上から、敵国フランスの方角を今日も見つめている。
51 30 28 N 0 7 41 W

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塔の基部四隅をライオンが守る。

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おまけ。古い経営体質・ビジネスモデルを放置して没落まっしぐらの(←個人の感想です)某百貨店のシンボル。
三越のライオン像はトラファルガー広場のライオンをモデルにしているという。
写真は銀座店のライオン君。新型コロナ絶賛蔓延中の2021年なのでマスクをしている。
35 40 17 N 139 45 55 E

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こちらは北の大都会、札幌にいる三越仕様のライオン君。
新型コロナウィルスも変異を繰り返し重症化しなくなったので感染者数はやたらと多いけどマスクは放棄。
43 03 33 N 141 21 10 E

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四国の松山三越にて。
33 50 28 N 132 46 11 E

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こちらもトラファルガーのライオンがモデルなんだろうが、ちょっと微妙な像。ライオンズマンション道後公園第二にて。
33 50 51 N 132 47 01 E

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かなり小ぶりのライオン。劣化度合いが激しく、もはやこうなるとトラファルガー広場のライオンがモデルなのか怪しくなってきた。
愛媛県松山市の、ライオンズプラザ松山大手町にて。
ちなみに伊予鉄環状線(路面電車)と伊予鉄高浜線が平面交差するダイアモンドクロスがすぐ目の前。
33 50 24 N 132 45 19 E

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オーストラリアの大都市、シドニーにあるLord Nelson Hotel Breweryは1841年創業。
33 51 30 S 151 12 12 E

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1階(地上階)のバーカウンター。
トラファルガー海戦、ネルソン提督にちなんだ絵やグッズが飾ってあり、醸造しているビールの銘柄もそれにちなんだもの。
Victory Bitterはオーストラリアを代表する全国ブランドのビール、Victoria Bitterのパロディだろう。
看板ビールの 3 Sheets とは、ロープが緩んで船が不安定になること、転じて泥酔いの意味。
対戦したフランスと大英帝国の国旗が並ぶが、料理はイギリスよりもはるかにおいしく、フランス程手は込んでいない。素材を活かした典型的なオーストラリア料理。

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ドイツ・ハノーファーの展示会場内にあったRestaurant Lord Nelson.
そういえばイギリスの現在の王室であるウィンザー朝って、元々はハノーファー朝。フランスとは宿敵。トラファルガー海戦の勝利は嬉しかっただろう。
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おまけ。
1960年代に建造され、揚陸艦 HMS フィアレスに搭載されたLCVP Mk2 4隻の内のF8号艇。
フォークランド紛争に参加している。HMS ヴィクトリーを展示しているのと同じポーツマスの英海軍軍港にて撮影。
その後2018にレストアされ自力航海が可能になったとのこと。

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おまけ。
神奈川県の芦ノ湖に於いて、「海賊船」と呼ばれる遊覧船になっている、なんちゃってビクトリー。
船体はともかく、フィギュアヘッドと船尾は結構凝ってる。



1941年の映画「美女ありき」にはネルソン提督が登場し、トラファルガー海戦のシーンもある。さすがに模型を使った軽い映像には時代を感じる。

ハリウッドのメジャー映画「マスターアンドコマンダー」(2003年)は19世紀初頭の海戦の様子や、大英帝国海軍の組織運用活動が判る(トラファルガー海戦に直接関係は無い)。
1隻対1隻の戦闘なのだが迫力満点。CGを使っているらしいのだが、実写撮影完了から公開までの間にCGの調整に充分な時間を確保したのが功を奏したのか、海戦の様子など極めてリアル。





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