薩英戦争
Anglo-Satsuma War

以下湯之平展望所の解説パネルより。

江戸時代の文久2年(1862年)に、生麦村(現在の神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近で大名行列を乱したイギリス人を薩摩藩士が殺傷(生麦事件)した。
その報復として、英国艦隊7隻が鹿児島の錦江湾(鹿児島湾)に現れ、事件の実行犯の処罰と賠償金を要求。
薩摩藩がこれを拒否したため、薩摩藩船3隻を拿捕して焼き払い、薩摩砲台と砲撃戦を展開。
この砲撃戦で近代工業の先駆けとなた集成館が消失、また上町一帯を中心に約500戸が消失。
薩摩藩も奮闘し、敵に多大な被害を与え撃退したものの、イギリスの近代兵器に驚かされた。
これをきっかけに「敵に勝つには敵から学べ」とイギリスに留学生を派遣する契機となった。

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現場地図。湯之平展望所と祇園中州砲台跡にあった解説パネルを元に作成。
鹿児島市中心部側は埋め立て、桜島側は大正時代の溶岩流入により海岸線が当時とは変わっている。

1963年6月28日、英艦隊が交渉の為錦江湾に入り、Aに停泊

翌日、西瓜売り(!)に化けた薩摩の決死隊が来たのでこれを避けるため停泊地をBに移動。

7月2日早朝、交渉に圧力を加えんと、英側は錦江湾北部にて天祐丸など3隻の薩摩船を拿捕し、地図上に示す位置に曳航した。

天保山砲台の砲撃を合図に各砲台が砲撃開始。英側は特に桜島側の袴腰砲台に驚く。

ハボック号は拿捕した3隻の薩摩汽船のそばに残り、この3隻に火を放つ。

残りの英艦隊6隻は体制を整え南下を始め(C)、単縦陣で城下側に艦砲射撃を加えた。
艦列は先頭よりユーライアス、パール、コケット、アーガス、パーシュース、レースホースの順。
琉球船、集成館の近代工場が消失。市街地も最終的に1割程度が消失。

先頭の旗艦、ユーライアラス号が集中砲火を浴び、艦長、副長らが戦死(地図D)。

一方、最後尾のレースホース号が、地図上祇園之洲沖の浅瀬(地図E)に座礁。
しかし、祇園之洲砲台の砲は既に破壊されており射撃不可能。
レースホースは別の艦船に救出され脱出。

英艦隊は2日から3日にかけて地図上Fに停泊。

3日に英艦隊は南下を開始し、沖小島と桜島の間を通過しようとしたが、沖小島の砲台からの砲撃を避ける為進路を変更、結果として薩摩の仕掛けていた水雷を避けて無事に横浜に戻った。

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桜島の、湯之平展望所から薩摩藩城下町(鹿児島市)側を見る。写真左端の河口の向かって右横に、祇園之洲砲台がある。

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祇園之洲砲台跡。
以下、ここの解説パネルより
このあたり一帯は昔、遠干潟で祇園浜と呼ばれていたが、島津家27代斉輿(なりおき)の元で藩政改革を断行した調所広郷(ずしょひろさと)が、兵士の屯集所として埋め立てた。
その後斉彬(なりあきら)がここに砲台を設置し、薩英戦争で初めて実戦に供された。
正午に始まった砲撃戦は、3時間を経過し双方に相当の被害が出ていた。最後尾で祇園之洲砲台を攻撃していたレースホース号が目の前で浅瀬に乗り上げたのはその時。
ところがすでに砲台はイギリスの誇るアームストロング砲で打ち砕かれ、藩士たちは指をくわえて敵艦が救出されるのを見送った。
イギリス側の死傷者63名、薩摩側は死傷者13名だったが、城下の被害はすさまじく、西洋との差を知った薩摩藩は、この戦いを契機に開国へと動き始めた。

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鹿児島市側から桜島方向を見る。フェリーがこちらに向かっているが、フェリー船着場の対岸(現かごしま水族館。金色の屋根)が新波止砲台跡。
湾内を写真左から右(北から南)に進行した英艦隊は薩摩城下に艦載のアームストロング砲、ロケットで攻撃をしてきた。

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桜島の、湯之平展望所から南方向の眺め。
英艦隊は写真右から左に南下して撤退。
写真左の島が沖小島。右の島は神瀬。
手前の桜島本島の部分は1914年の噴火により溶岩が流れ込み、地形が変わっている。
薩摩藩は沖小島と桜島本島の間に水雷を設置して待ち構えていたが、沖小島砲台の砲撃を避けるため進路を変えたので、水雷でダメージを与えることは出来なかった。

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おまけ。活火山、桜島。2012年4月の撮影。このときは一日に何度も噴火・爆発があった。
九州という所、修学旅行、出張、航空ショー見物などでそれまでも何度か来たことはあったのだが、会社の転勤で短期間ながら居住する機会に恵まれ、ゆっくりと観光できた。
信じられないような観光名所ばかりで驚いた。PRが下手なのか、あまり観光客に来て欲しくないのか、関東人には知られていない、他では中々見られない自然景観や歴史遺産が沢山ある。





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