戦跡散歩Home

日本海海戦
Battle of Tsushima

19050527_BattleOfTsushima_0.jpg
原宿・東郷神社の絵馬(表面)
仕事でロシアからのお客さんの応対をするので、「商談が上手くいくように」願いを込めて賽銭を入れ(金額はナイショ)、勢いで絵馬を買ったが結局その場で願い事を書かずに家に持ち帰りそのまま。ま、いっか。
ロシア人との商談に東郷神社がどの程度ご利益あるんだろうか?
(ちなみに今のところ商談成立していない)
ひょっとしてお参りする先を間違えたような気がする....


19050527_BattleOfTsushima_5.jpg
神奈川県横須賀市にある、記念館三笠。
日本海海戦に参加した連合艦隊の艦船で現存するのは本艦だけ。
(バルチック艦隊は防護巡洋艦アヴローラが海戦で艦長以下15名戦死したもののフィリピンに逃げ、現在記念館として繋留保存されている。 9 57 19 N 30 20 16 E)

三笠は第二次世界大戦中、戦後に多くの部品を取られてしまったが本体は無事残り、レストアを経て現在に至る。
船体は英国ヴィッカース社製、砲はアームストロング社製。
ちなみに両社は後の1927年に合併する。
手前の銅像は勿論連合艦隊司令長官、東郷平八郎中将。

19050527_BattleOfTsushima_c.jpg
猿島へ向かうフェリーから見た三笠の全景。
35 17 06 N 139 40 28 E

19050527_BattleOfTsushima_6.jpg
三笠の艦橋

19050527_BattleOfTsushima_e.jpg
日本海海戦時、東郷が指揮を執った操舵室上の甲板。
思わずここに立って「取り舵いっぱい〜」と叫んでしまうのであった。←バカ

19050527_BattleOfTsushima_4.jpg

艦首を見る。
主砲は40口径30cm砲×4門(前方2門、後方2門)
前方に見えるのは米軍の施設だが、実は艦首はその遥か45km先の皇居に向けられている。

19050527_BattleOfTsushima_3.jpg

40口径8cmの補助砲。レプリカもあるが、一部は他の船から外した本物。

19050527_BattleOfTsushima_d.jpg
副砲の40口径15センチ単装砲。砲手10名がここで就寝・食事・砲の手入れ・訓練・砲撃をした。

19050527_BattleOfTsushima_7.jpg
下は福砲で40口径15cm砲×14門。

19050527_BattleOfTsushima_b.jpg
羽田空港の国内線ターミナルで展示されている北原照久氏コレクションのブリキのおもちゃ。
戦艦三笠と、東郷平八郎。
下は日露戦争における日本兵のフィギュア。

19050527_BattleOfTsushima_1.jpg
休日は若者で身動き取れなくなる原宿駅前の竹下通りを場違いなオジサンが歩き、そこからほんの一歩入ると静かな森にかこまれた東郷神社。
勿論東郷平八郎を祭ったもの。
神社は1940年に創設されたが戦災で消失し、現在の建物は戦後1964年に完成したもの。
35 40 18 N 139 42 21 E

19050527_BattleOfTsushima_2.jpg
東郷神社の入り口前にある注意書き。
ロシア語の注意書きが無いのは致し方ないにせよ、英語の注意書きの表題がVerbotenになってるけど、これって実はオランダ語。


19050527_BattleOfTsushima_a.jpg

19050527_BattleOfTsushima_9.jpg
鹿児島県にある、東郷平八郎元帥の墓と、そのそばで桜島を眺める元帥の銅像。
この写真撮影直後、桜島が爆発し、風向きの関係で灰が鹿児島市に降ってきた。
31 36 22 N 130 34 10 E
19050527_BattleOfTsushima_g.jpg
愛媛県松山市には日本海海戦当時の参謀、秋山真之の生家(建物は復元)があり、胸像が置かれている。
日清戦争、米国留学、米西戦争観戦武官、海軍大学校教官などを経て日露戦争では連合艦隊の作戦担当参謀。
日本海海戦時の階級は海軍中佐、最終階級は海軍中将。
33 50 33 N 132 46 18 E

19050527_BattleOfTsushima_f.jpg
おまけ。
真之と同じ生家に置かれている兄、松山好古大将の像。日清戦争、日露戦争で騎兵指揮官として活躍、日本騎兵の父と呼ばれる。

19050527_BattleOfTsushima_h.jpg
松山の道後温泉にある兄の墓(分骨)。
33 51 18 N 132 47 11 E

19050527_BattleOfTsushima_L02.jpg
19050527_BattleOfTsushima_L04.jpg
19050527_BattleOfTsushima_L03.jpg
神奈川県川崎市の大戸神社。戦時中出兵兵士の歓送、戦勝祈願などが執り行われた。
日露戦争戦勝記念の狛犬は砲弾をかかえている。向かって左の狛犬(吽形)の奥に見えるのは1968年に建立された平和の礎。裏には大東亜戦争の戦没者約30名が刻まれている。
35 34 49 N 139 38 23 E

19050527_BattleOfTsushima_L01.jpg
神奈川県川崎市の泉澤寺(せんたくじ)の入り口横に明治20年(1907年)に設けられた日露戦役記念碑。裏側に戦没者122名の名が彫られている。
35 34 55 N 139 38 59 E

19050527_BattleOfTsushima_8.jpg
おまけ。
群馬県高崎市の竜広寺内にあるロシア兵の墓
36 19 08 N 139 00 12 E
日露戦争における捕虜10名がこの寺に拘留され、傷病兵3名が亡くなり埋葬されている。

日本海海戦は映画「日本海大海戦」で、203高地攻略などと共に描かれている。
東郷平八郎役は三船敏郎。三船は、その後の「日本海大海戦 海ゆかば」でも東郷を演じている。
一方、NHKの長編ドラマ「坂の上の雲」の最終話も日本海海戦の話。
こちらは渡哲也が東郷を演じているのだが、どうしても渡哲也と言えば日本酒CMのイメージが拭いきれず、「ウィスキー飲んでいいのか!?」と突っ込んだり、三笠の艦橋ではロシア艦隊を前に何時「しょぅ〜ちっくばい!」と歌いだすのか待ちに待ったものだ。




戦跡散歩Home

Copyright 2011 Morimoto, Makoto : All Rights Reserved.
本ページの写真、文章の無断転載をお断りいたします。

inserted by FC2 system