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ベルギー・モンスBEF最初と最後の戦い
Mons

大英帝国は、ドイツ帝国に対して1914年8月4日に宣戦布告した。
8月9日にBEF(大陸派遣軍)がフランスに向かった。
英軍BEFは兵力こそ8万と少ないものの、職業軍人のみで構成され、錬度では敵国ドイツや同盟国フランスを上回っていた。
ドイツ軍はベルギーの主要都市を次々と制覇しながら西進して、ベルギー〜フランス国境に迫ってきた。
8月22日、BEFはベルギーの町、モンスに到着した。
BEFはモンスの町の北を流れる運河に沿って防衛線を張った。
同日朝6:30、パトロール中の第4近衛騎兵隊がモンス北東部でドイツの騎兵隊に遭遇し、これを追跡した。
ドイツ騎兵は数キロ逃げたところで反転して英軍に射撃を浴びせてきた。
英軍BEFの太鼓手の騎兵隊員が、馬から降りてドイツ軍に向け発砲、命中した。
これが、第一次世界大戦で初めての英陸軍の発砲となる。
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写真:英陸軍が第一次世界大戦で初めての射撃を行った場所には記念碑が立つ。

結局、1914年のモンスの戦いではドイツ軍に数で押され、英軍は8月22日午後から早くも後退を始めており、24日夜には15km程後方の、バランシエンヌ〜モブージュを結ぶ道路沿いまで撤退し新たな防衛線を築こうとした。
しかし圧倒的優勢なドイツ軍の進撃を食い止められず、2週間で300km以上後退した。
その後西部戦線の前線はベルギー〜フランス国境に沿う形で4年近くに渡り膠着し、塹壕戦&消耗戦に発展した。
西部戦線が大きく動いたのは1918年3月から始まった春の攻勢(カイザー戦、ルーデンドルフ攻勢とも言われる)で、ドイツ〜ロシア間の休戦が成立した為東部戦線の人員を西に回して一気に進撃し、米国が本格的に参戦する前に決着を付ける戦略だった。
これにより長らく膠着していた戦線は大きく西進したものの、連合軍は100日攻勢(あるいは大攻勢、カナダの100日とも言われる)を1918年8月8日から行い、ドイツ軍をそれまで膠着していた戦線よりも更に奥に押し戻した。1918年10月27日、ドイツ北部のキール軍港で、出撃命令を受けた水平の反乱が起き、これが革命へと発展しドイツ皇帝が退陣、1918年11月11日午前11:00に第一次世界大戦は休戦となった。
そしてこの時、英軍BEFはやはりベルギーのモンスで戦っていた。

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写真:英軍が第一次世界大戦で最後の射撃を行った場所。記念プレートが壁に埋め込まれている。
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写真:ちなみに最初の射撃と最後の射撃の位置関係はこんなもの。左が最初、右が最後。その間4年ちょっとの間、戦線は遥か離れた所にあった。
ウソみたいな本当の話。
50 30 19 N 3 59 54 E

リチャードアッテンボロー監督のブラックユーモア満載戦争ミュージカル映画「素晴らしき戦争 」(1969年)で、英兵が「ここはモンスだ、振り出しに戻った」とつぶやく台詞がある。




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