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ドロミテ
Doromiti

1915年5月23日、イタリアはオーストリアハンガリー帝国に宣戦布告した。
元々ドロミテのある南チロル地方は領土問題を抱えており、イタリアはこの戦争に乗じてこの地をイタリアに組み込むことを狙っていた。
イタリアの参戦に伴い、ハプスブルグ家が1511年から保持していたコルティナダンペッソを放棄し、ファルツァレゴ峠近くの、トレサッシにある堡塁まで後退しそこで防衛を固めた。
イタリア軍は5月29日にコルティナダンペッソを占拠したが、以降の進撃は慎重で、オーストリア軍の防衛線まで来たのは6月15日の事だった。
イタリア軍は到達したチンクエトッリィから砲撃を開始した。7月5日、砲弾がトレサッシの堡塁に着弾し、オーストリア軍は堡塁を放棄した。

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トレサッシにある、オーストリア軍の堡塁跡。
イタリア軍の砲撃により破損した。
46 31 40 N 11 59 29 E

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イタリア軍の、チンクエトッリの塹壕
46 30 36 N 12 2 54 E 近辺
(座標は余り正確でなはない)
この周辺に砲撃陣地を築き、オーストリア軍を砲撃した。
標高は2200m弱。近辺はスキー場になている。

1915年10月20日には、イタリアの山岳部隊がラガツォイの尾根にたどりついた。

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現在、ファルツァレゴ峠からラガツォイの尾根まではロープウェーで上れる。
ピッコロラガツォイからの絶景!氷河も見える。
46 31 40 N 12 0 32 E (撮影場所)

しかしここで戦線は膠着する。
フランスでの前線同様、ここでも両軍は塹壕を掘り睨みあう形となった。
イタリア軍は尾根まで兵員と物資を揚げるため、登山道とトンネルを整備し、荷揚げのロープウェーを設けた。

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ロープウェイ乗り場に展示されている、第一次世界大戦時の遺留物

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ピッコロラガツォイのロープウェーから東に歩いてすぐの所にある、オーストリア軍の機銃陣地

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2500mを超える標高に設けられたオーストリア軍の塹壕

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画面中央下に、イタリア軍のトンネルの横穴が見える。
左にプクッと出っ張っている岩の辺りが、イタリア軍の大砲陣地のあるチンクエトッリ。

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ヘルメットとライト(ロープウェー乗り場横で有料で貸してくれる。要身分証明書)を付けてトンネルに向かう。

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やがて塹壕戦は坑道戦へと発展した。岩盤に穴を掘り敵塹壕の下と思しき所まで掘り進めた後、そこに大量の爆薬をしかけて敵兵を塹壕もろとも生き埋めにする。
トンネルへ向かう途中、坑道戦により吹き飛ばされた所を通る。
山の形がすっかり変わってしまった。

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イタリア軍が下界とラガツォイの尾根を往来する為に掘ったトンネル。
ず〜っと階段が続く。

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途中何箇所かある観測所の1つ。ここも絶景。

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壁面から機銃を発射できる陣地

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この部分はオーストリア軍から狙撃されない死角なのでトンネルではなくがけ沿いの山道になっている。ほっと一息。

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これも途中にあったトンネルだが、出口がどこにも通じていない模様。

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途中にあるイタリア軍の生活壕。ライフルが無ければ普通の山小屋だ。

1917年10月にオーストリア軍とドイツ軍が南下してイタリア軍を追い払うまで、ドロミテでの塹壕戦は続いた。
結局、イタリアは戦勝国となり南チロルはイタリアとなった。

それから90年経た2008年夏、私はオーストリアを旅行した後イタリアに入り、ドロミテのファルツァレゴ峠近くのホテルにチェックインする為中に入った。
現地人には現地語で挨拶するのが礼儀だ。イタリアに来たからには「ボンジョルノ」と挨拶しよう、と思っていた矢先、ホテルマンが先に私に挨拶してきた。
「グリュースゴット」....!?
何なんだ? 島国で基本的に単一国家・単一民族の日本とは全く別次元の所だ。


この戦跡ページを最初に公開した2011年の時点ではドロミテを舞台にした戦争映画は無かったと思うのだが、2014年に映画「サイレント・マウンテン 巌壁の戦場」が公開され、第一次世界大戦の定番戦法とも言える塹壕戦、坑道戦が山岳高地で行われ、敵弾だけでなく雷も危険となる様子が淡々と描かれている。


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おまけ。
ドロミテ山系と言えばやはりトレチーメ!
46 37 7 N 12 18 8 E




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