元々ドロミテのある南チロル地方は領土問題を抱えており、イタリアはこの戦争に乗じてこの地をイタリアに組み込むことを狙っていた。 イタリアの参戦に伴い、ハプスブルグ家が1511年から保持していたコルティナダンペッソを放棄し、ファルツァレゴ峠近くの、トレサッシにある堡塁まで後退しそこで防衛を固めた。 イタリア軍は5月29日にコルティナダンペッソを占拠したが、以降の進撃は慎重で、オーストリア軍の防衛線まで来たのは6月15日の事だった。 イタリア軍は到達したチンクエトッリィから砲撃を開始した。7月5日、砲弾がトレサッシの堡塁に着弾し、オーストリア軍は堡塁を放棄した。 |
イタリア軍の砲撃により破損した。 46 31 40 N 11 59 29 E |
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46 30 36 N 12 2 54 E 近辺 (座標は余り正確でなはない) この周辺に砲撃陣地を築き、オーストリア軍を砲撃した。 標高は2200m弱。近辺はスキー場になている。 |
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ピッコロラガツォイからの絶景!氷河も見える。 46 31 40 N 12 0 32 E (撮影場所) |
フランスでの前線同様、ここでも両軍は塹壕を掘り睨みあう形となった。 イタリア軍は尾根まで兵員と物資を揚げるため、登山道とトンネルを整備し、荷揚げのロープウェーを設けた。 |
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左にプクッと出っ張っている岩の辺りが、イタリア軍の大砲陣地のあるチンクエトッリ。 |
トンネルへ向かう途中、坑道戦により吹き飛ばされた所を通る。 山の形がすっかり変わってしまった。 |
ず〜っと階段が続く。 |
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結局、イタリアは戦勝国となり南チロルはイタリアとなった。 それから90年経た2008年夏、私はオーストリアを旅行した後イタリアに入り、ドロミテのファルツァレゴ峠近くのホテルにチェックインする為中に入った。 現地人には現地語で挨拶するのが礼儀だ。イタリアに来たからには「ボンジョルノ」と挨拶しよう、と思っていた矢先、ホテルマンが先に私に挨拶してきた。 「グリュースゴット」....!? 何なんだ? 島国で基本的に単一国家・単一民族の日本とは全く別次元の所だ。 この戦跡ページを最初に公開した2011年の時点ではドロミテを舞台にした戦争映画は無かったと思うのだが、2014年に映画「サイレント・マウンテン 巌壁の戦場」が公開され、第一次世界大戦の定番戦法とも言える塹壕戦、坑道戦が山岳高地で行われ、敵弾だけでなく雷も危険となる様子が淡々と描かれている。 |
ドロミテ山系と言えばやはりトレチーメ! 46 37 7 N 12 18 8 E |