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ニヴィル攻勢
Niville Offensive

悪名高いニヴィル攻勢の中でも主力の攻撃となったのが、1917年4月16日から始まった第二次エーヌの戦いである。
ちなみに第一次エーヌの戦いは1914年9月に、一旦パリに近づいたものの連合軍の反撃に合い退却するドイツ軍を追撃する戦い。
また、第三次エーヌの戦いは1918年5月27日〜6月6日にかけての、ドイツ作戦名ブリューヒャー(ドイツ軍によるカイザー戦)

1917年4月16日、シュナイダー戦車128輌が、フランス・ピカルディー地方のコルブニーとベリーオーバックの間で敵戦線突破するために進撃を開始した。
しかし、その重すぎる車体によりすぐに進撃は頓挫し、次々とドイツ軍による砲撃の餌食になった。
結局128輌中52両が破壊され(内、35輌炎上)他に21輌が故障やスタックで進撃不能となった。
結局戦車は殆ど戦果をあげられず、1917年5月9日 ニヴィル攻勢は失敗に終わり、フランス軍のモラルも地に落ちた。


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ベリーオーバックの北西、国道44号線と925号線の交差点脇に展示されているフランス軍の戦車と装甲車。
ここで、フランス軍による最初の大規模な戦車導入がされ、そして玉砕した。
49 24 48 N 3 53 14 E
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実際に作戦に使われたのはシュナイダー戦車。
フランスのソミュール戦車博物館に現存している。




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