ダンケルクからの撤退
Operation Dynamo

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撤退作戦を指揮したラムゼーの銅像。作戦本部のあったドーバー城にて。
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1940年5月10日、それまでの奇妙な戦争(Phoney War)の静寂を破ってドイツ軍B集団は突如ベルギーとオランダに侵攻。
これを受けてベルギー領内にフランス軍とイギリス海外派遣軍(BEF)が進出して、ベルギー軍と共にドイツ軍を迎え撃つ。
しかし、それまでノーマークだったアルデンヌの森を通り抜けて突如現れたドイツ軍A集団に背後を取られ、ドイツ軍が5月21日に大西洋に達した為連合軍は退路を絶たれて袋のねずみとなる。
それから数日、ドイツ軍は次第に包囲網を狭めてきたので、連合軍はベルギー国境に近いフランスの港町、ダンケルク周辺に追いつめられ、背後が海、他の全方向はドイツ軍という絶体絶命の状況に陥る。
いよいよ最終攻撃が始まり全滅か降伏か、と思われていた5月24日、ドイツ軍の進撃は突如停止する。
この進撃停止の理由は未だに謎で、それまでの電撃戦で酷使した車両の整備の為にヒトラーが命じたとも、ゲーリングが「空軍が止めを刺す」と豪語した為とも、英軍に手加減することにより休戦講和を有利にしたい為とも言われる。

とにもかくにも、連合軍は背後の海からの脱出にチャンスをかけることになった。
撤退作戦はラムゼー副提督(後に提督)により指揮され、イギリス本土のドーバー海峡に面するドーバー城の地下室が海軍司令部となった。
地下室には発電室があり、撤退の作戦名「ダイナモ」(発電機)はここに由来する。

撤退は5月27日から開始。
軍艦はもちろん、民間の商船、漁船、遊覧船、フェリー、タグボート、救命艇、プレジャーボート....イギリスは当時動因出来る全ての船舶を使ってダンケルクから兵の撤退を試みた。
港が空襲で使えないので、駆逐艦など比較的大きな船は湾の入り口にある防波堤に横付けされ、そこから兵士達が乗り込んだ。
小さな船は砂浜から直接兵をピックアップして英国へ向かったり、あるいは沖合
いに停泊している大型船との間をピストン輸送したりした。
付近には放棄された車両や重火器が散乱し、砂浜から海にかけて船を待つ長い列
ができた。
列の前の兵は肩まで水につかりながら乗船出来るのを待った。
撤退を援護するのは主にフランス軍で、6月3日までにはその殆どが降伏した。
こうして6月4日までの9日に渡る撤退作業により、34万近い兵が敵の包囲を抜け出し英国に逃げることが出来た。
ダンケルクの奇跡(Miracle of Dunkirk)はこうして起こった。
現在、イギリス英語で"Dunkirk spirit"と言えば団結して困難に立ち向かうことを意味する。

命からがら包囲網を抜け出しイギリスに逃れたフランス兵14万名の内、その多くは再び戦場に戻り、敗色濃いフランスの戦いを最後まで戦い抜き、戦死・捕虜・武装解除の道をたどった。
フランスの最後の戦いに間に合わなかった者の多くはフランス休戦後、占領下もしくはヴィシー政権のフランスに戻った。
英国兵20万人はそのまま英国にとどまり、バトルオブブリテンで英国本土の守りに付きヒトラーに英国本土上陸を諦めさせ、北アフリカで戦い、ノルマンディー上陸作戦で再びフランスに戻った。

ダンケルクを扱った映画にはズバリ「ダンケルク」があるが暗い映画。
空戦戦争映画超大作「バトルオブブリテン」の冒頭で敗走するBEFと放棄された車両の散らばるダンケルクの様子が描かれており、やる気満々のドイツ軍との対比が印象的。
B級イタリアン戦争映画の「空爆大作戦」でもダンケルクの撤退が結構大規模に描かれている。

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ドイツ軍の電撃戦により追い詰められ囲まれてしまった英・仏軍の唯一の退路は海だった。ベルギーの国境に近いBray Dunesにて。砂丘をいくつか越えるとそこはドーバー海峡。
背後にはドイツ軍。目の前に広がる海。フランスの戦いは連合軍の負北で終わりつつあった。
51 3 43N 2 27 1E 近辺

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上の写真の撮影地から海岸線に近づき、西のダンケルクの方を見る。
奥に霞んでいるのがダンケルクの町。
この辺の砂浜一帯には英国本土から漁船、タグボート、ヨットなどありとあらゆる船舶が兵士の回収に押し寄せた。
付近にはナポレオンの時代に英軍の侵略を阻止すべく要塞が設けられていた。
英仏軍がダンケルクから撤退した後、ドイツ軍は大西洋岸一帯に西の壁Westwallを建設した。
付近にはWestwallの砲台、観測所、トーチカなどが残り、一部は侵食で崩れだしている。
写真左端の丘の上に観測所が見える。
51 3 49N 2 27 6E 近辺

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ダンケルクの東側に広がるプロムナード。
画面中央から右にかけて、ダンケルク港の防波堤が伸びている。
ゲーリングは「空軍が敗走する連合軍にとどめを刺します」と豪語し、陸軍の進撃は止まった。ドイツ空軍による空襲の中、防波堤には大型船が横付けされ、兵士たちはここからも船に乗り込み命からがら英国に退却することが出来た。
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ダイナモ作戦〜ダンケルクからの撤退作戦は、英国側のドーバー海峡に面する城、ドーバー城から指揮された。当時の司令室は地下にあり見学できるが残念ながら写真撮影は禁止。
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英国兵が撤退する中、主にフランス兵はドイツ軍の進撃を遅らせるべく守りについていた。
「俺たちが犠牲になって」と後々までイギリスを恨む。英仏の仲の悪さについては言うまでも無かろう。「飯のまずい国は信用出来ない」というフランス首相の発言に代表されるように仲の悪さは今でも続く。
写真はBray Dunesの入り口にある小規模のフランス軍兵士の墓地。
墓標の日付はいずれも1940年5月下旬のものだ。
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