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ダンケルクからの撤退
Operation Dynamo

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30秒で判る、ダンケルクの撤退に至るまでの経緯。
映画「ダンケルク」を見に行く前の予習にご利用下さい。
「あの映画は時代背景の予備知識が無いと、何で海を渡るのかとかわかんないよ」という人が周りにいましたので。

1940年5月10日、それまでの奇妙な戦争(Phoney War)の静寂を破ってドイツ軍B集団は突如ベルギーとオランダに侵攻。
これを受けてベルギー領内にフランス軍とイギリス海外派遣軍(BEF)が進出して、ベルギー軍と共にドイツ軍を迎え撃つ。
しかし、それまでノーマークだったアルデンヌの森を通り抜けて突如現れたドイツ軍A集団に背後を取られ、ドイツ軍が5月21日に大西洋に達した為連合軍は退路を絶たれて袋のねずみとなる。
それから数日、ドイツ軍は次第に包囲網を狭めてきたので、連合軍はベルギー国境に近いフランスの港町、ダンケルク周辺に追いつめられ、背後が海、他の全方向はドイツ軍という絶体絶命の状況に陥る。
いよいよ最終攻撃が始まり全滅か降伏か、と思われていた5月24日、ドイツ軍の進撃は突如停止する。
この進撃停止の理由は未だに謎で、それまでの電撃戦で酷使した車両の整備の為にヒトラーが命じたとも、ゲーリングが「空軍が止めを刺す」と豪語した為とも、英軍に手加減することにより休戦講和を有利にしたい為とも言われる。

とにもかくにも、連合軍は背後の海からの脱出にチャンスをかけることになった。
撤退作戦はラムゼー副提督(後に提督)により指揮され、イギリス本土のドーバー海峡に面するドーバー城の地下室が海軍司令部となった。
地下室には発電室があり、撤退の作戦名「ダイナモ」(発電機)はここに由来する。

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撤退作戦を指揮したラムゼーの銅像。作戦本部のあったドーバー城にて。
51 7 37N 1 19 27E

撤退は5月27日から開始。
軍艦はもちろん、民間の商船、漁船、遊覧船、フェリー、タグボート、救命艇、プレジャーボート、艀....
イギリスは当時動因出来る全ての船舶計800隻を使ってダンケルクから兵の撤退を試みた。
港が空襲で使えないので、駆逐艦など比較的大きな船は湾の入り口にある防波堤に横付けされ、そこから兵士達が乗り込んだ。

小さな船は砂浜から直接兵をピックアップして英国へ向かったり、あるいは沖合に停泊している大型船との間をピストン輸送したりした。

付近には放棄された車両や重火器が散乱し、砂浜から海にかけて船を待つ長い列ができた。
列の前の兵は肩まで水につかりながら乗船出来るのを待った。

撤退を援護するのは主にフランス軍で、6月3日までにはその殆どが降伏した。
こうして6月4日までの9日に渡る撤退作業により、34万近い兵が敵の包囲を抜け出し英国に逃げることが出来た。

ダンケルクの奇跡(Miracle of Dunkirk)はこうして起こった。
現在、イギリス英語で"Dunkirk spirit"と言えば団結して困難に立ち向かうことを意味する。

命からがら包囲網を抜け出しイギリスに逃れたフランス兵14万名の内、その多くは再び戦場に戻り、敗色濃いフランスの戦いを最後まで戦い抜き、戦死・捕虜・武装解除の道をたどった。

フランスの最後の戦いに間に合わなかった残りのフランス兵の多くはフランス休戦後、占領下もしくはヴィシー政権のフランスに戻った。

英国兵20万人はそのまま英国にとどまり、バトルオブブリテンで英国本土の守りに付きヒトラーに英国本土上陸を諦めさせ、北アフリカで戦い、1944年6月6日からのノルマンディー上陸作戦で4年ぶりに再びフランスに戻った。

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ドイツ軍の電撃戦により追い詰められ囲まれてしまった英・仏軍の唯一の退路は海だった。ベルギーの国境に近いBray Dunesにて。砂丘をいくつか越えるとそこはドーバー海峡。
背後にはドイツ軍。目の前に広がる海。フランスの戦いは連合軍の負北で終わりつつあった。
51 3 43 N 2 27 1 E 近辺

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上の写真の撮影地から海岸線に近づき、西のダンケルクの方を見る。
奥に霞んでいるのがダンケルクの町。
この辺の砂浜一帯には英国本土から漁船、タグボート、ヨットなどありとあらゆる船舶が兵士の回収に押し寄せた。
付近にはナポレオンの時代に英軍の侵略を阻止すべく要塞が設けられていた。
英仏軍がダンケルクから撤退した後、ドイツ軍は大西洋岸一帯に大西洋の壁を建設した。
付近にはこの砲台、観測所、トーチカなどが残り、一部は侵食で崩れだしている。
写真左端の丘の上に観測所が見える。
51 3 49 N 2 27 6 E 近辺

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ダンケルクの東側に広がるプロムナード。
画面中央から右にかけて、ダンケルク港の防波堤が伸びている。
ゲーリングは「空軍が敗走する連合軍にとどめを刺します」と豪語し、陸軍の進撃は止まった。ドイツ空軍による空襲の中、防波堤には大型船が横付けされ、兵士たちはここからも船に乗り込み命からがら英国に退却することが出来た。
51 3 4N 2 23 54E

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ダイナモ作戦〜ダンケルクからの撤退作戦は、英国側のドーバー海峡に面する城、ドーバー城から指揮された。当時の司令室は地下にあり見学できるが残念ながら写真撮影は禁止。
51 7 37N 1 19 27E

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英国のBEF兵が撤退する中、主にフランス兵はドイツ軍の進撃を遅らせるべく守りについていた。
「俺たちが犠牲になって」と後々までイギリスを恨む。
英仏の仲の悪さについては言うまでも無かろう。
「飯のまずい国は信用出来ない」というフランス首相の発言に代表されるように仲の悪さは今でも続く。
写真はBray Dunesの入り口にある小規模のフランス軍兵士の墓地。
墓標の日付はいずれも1940年5月下旬のものだ。
51 3 14.3N 2 26 41.3E


ダンケルクを扱った映画にはズバリ初代の「ダンケルク」(1964年 フランス)がある。
実に暗い映画。
っていうか、君たち他にやることあるだろうに、とか、そんな事だからドイツ軍にあっさりと負けちゃうんだよ、という印象しか無い。
でも、やっぱフランス映画は陰気で暗くなくっちゃ。(タクシーシリーズとか作っちゃ駄目だろ...)
ドイツ戦闘機役ではこの頃の戦争映画の定番、Bf-108(あるいはノール1000系)が複数機出てくるのだが、これが超低空飛行で大迫力。
冒頭のビラ巻きを行うFi-156シュトルヒ(多分MS500)もナイス。
街中や砂浜に放棄されているおびただしい車輌も面白そうなものが混ざってるんだろうが...

空戦戦争映画超大作「バトルオブブリテン」(1969年 イギリス)の冒頭で、敗走するBEFが放棄した車両の散らばるダンケルクの砂浜が描かれており、やる気満々のドイツ軍との対比が印象的。

同年公開のB級マカロニコンバット映画(製作はイタリア・スペイン・フランス合作)「空爆大作戦」でもダンケルクの撤退シーンが結構大規模に描かれており、海岸の砂浜に列を作り乗船順番を待つイギリス兵の群集シーンには、CGは勿論特撮マット画も使われていない模様で、一体どうやって撮ったのか?

2017年公開の「ダンケルク」(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ合作)は、50年以上前のフランス映画と邦題は同じながら(原題は違う)、全く新しい映画。
インターステラー、インセプションといった難解だけど楽しめる映画でお馴染みクリストファーノーランの脚本、監督作品。
これはバンコクでタイ語字幕入りを見た。
タイで映画館に行くと、毎回映画が始まる前、国王の映像の所で起立させられる。国王が新しいラーマ10世になっていた....
映画は、何とかイギリスに戻ろうとする歩兵、民間プレジャーボートで救出に向かう親子、そしてRAFのスピットファイア戦闘機3機編隊とそのパイロット達を中心に話しが進む。
編集が独特で、時系列ではなく、常に戦闘機のシーンが一足先の時間軸になっている。
最小限の台詞と緊迫した展開が印象的。
兵士、パイロット、船員、いずれも当事者目線で撮影されており、例えばパイロット目線では照準器ごしに敵機を狙う、計器を眺める、などパイロットに感情移入どころか自分が操縦している気にさせられる。俯瞰などではなく当事者の目線そのまま、または2-3m以内の視点が殆ど。
特筆すべきは航空機にCGを殆ど使っていない様子で、例えばBf-109はCGなら完璧なE型を再現できたであろうが撮影には空軍大戦略同様、スペイン製の機体HA-1112が使われている。
ちらっと登場するブレニム爆撃機はダックスフォード所有の本物。
He-111とJu-87はラジコンとのこと。
いずれも最近の映画でよく見る、妙に機体の質感や機動のおかしいCGではなく、自然な飛行・空中戦シーンとなっている。やっぱり飛行機は実写だ。
主役級の活躍を見せるスピットファイアは中隊コードLCでこれはフィクション。
ちなみにダンケルク撤退当時スピットファイアを装備していたのは
英空軍第19飛行中隊 (中隊コードQB)、41 (EB) 、54 (KL)、64 (SH)、65 (FZ)、66 (LZ)、72 (RN)、74 (ZP)、92 (QJ)、152 (UM)、222 (ZD)、234 (AX)、266 (UO)、602 (LO)、603 (XT)、609 (PR)、610 (DW)、611 (FY)、616 (QJ)で、いずれも英本土をベースとしていた。
他に第212飛行中隊が偵察型P.R.1C型を装備し、フランスに派兵されていた。
映画ではスピットファイアの機体下面が白黒2色に塗り分けられているのが面白い。高射砲の狙いが定め難いように、ということで大戦初期のスピットファイアやハリケーンの一部に施されていたこの塗装、映画初登場では?
この初期スピットファイアの下面白黒は、本来右翼(ラジエータ側)が白、左翼(オイルクーラ側)が黒で、実際映画でも大部分はそのようになっているが、何故か最後のシーンでは逆転している。よく見ると脚を出すシーンは明らかに映像を反転させている(ラジエータが左翼に付いている)。
ネタバレになるので詳しく書かないが、ダンケルク海岸でのラストシーン、夕日の沈む方向もおかしい(海に向かってみると太陽は左方向に沈むはず)。
おそらく西方向に飛行しているシーンを撮影していたはずが、それだと都合が悪い(港、工業地帯に方に行ってしまう、その先に適当なビーチが無い)ので、途中で東に向かうシーンに変更して一部のフィルムは反転して使っているのではないか?
上面の迷彩は登場する3機ともAスキーム。
ダンケルクの砂浜に並行して飛行するシーンでは、バックに実際のダンケルクの海沿いプロムナードの映像を使っているようで、よくみると明らかに戦後の建物が混ざっている。
飛行シーンは全体的に本当に良くできていると思うのだが、機首越しに敵機を見る時のアングルではどうみてもスピットファイアの機首に見えない。後方から敵機Bf-109が迫る時の胴体後部もちょっと不自然。これらはYak52の複座を使っている(カメラを機体外部に取り付けて空撮している)為らしい。空冷エンジンの機体に無理やりダミー排気管を上方に後付けている。
ついでにあら捜しすると、あんた弾丸何発携行しているの、という程最後まで弾丸が尽きない。結構狙いを外していると思うのだが。
それにしても英仏海峡なんてフェリーで簡単に渡れる距離なのに、海峡上のスピットファイアは常に燃料を気にしている。元々欧州の戦闘機は全体的に航続距離が短いが、それにしてもダンケルク上空での空戦時間まで制限される(実話)とは...
ということで、ダンケルクの撤退の話しよりも飛行機に目が言ってしまう私であった。




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