同一写真に全く別の解説を付けてみました。 電撃戦により迫り来るドイツ軍にパリも占領され、フランスは停戦することになった。 1940年6月22日、フランスのコンピエーニュの森に停車した列車(国際寝台車会社CIWLの2419D号車)の車中にて、仏独の代表により代表により停戦協定に調印された。 |
49 25 38 N 2 54 23 E 左のポールで囲まれたところが、客車を停めてその中で調印した所。 右に見えるお立ち台の上面にはドイツ語で「1940年6月22日、フランスは、彼らが奴隷同然にしていた最優秀民族の電撃戦に敗れ、その破廉恥高慢なプライドは打ち砕かれた」と書かれている...のはウソです。 |
内装は1918年11月11日の停戦調印式に使われたオリジナル、ということは1940年6月21日の時とも大体同じだろう。 残念ながら博物館内部は車輌を含め撮影禁止。不名誉なフランスの敗北の証の撮影は絶対に許さないということか。 仕方ないので列車の絵葉書を買った。 オリジナルの列車はその後、ベルリンで展示されていたが、1945年初頭にドイツ中央部のオーアドルフに避難、そこにも米軍が迫った為SSが火を放ち消失した。(空襲で焼けた、との文献もあるが?) 確かに陰湿なフランス人のこと、ドイツの降伏調印はランスなんかではなくコンピエーニュの森で、当該車輌で行いたがるのは目に見えている! |
第一次世界大戦中の1917年に開発されたもの。 確かに当時は最新鋭戦車で、前方に操縦室、中央に砲塔、後部に隔壁で仕切ったエンジンという構成は現代の戦車と同じで、それ以前の菱形だかディガー・クローラー風だかの戦車とは一線を画す画期的なものだった。 しかしだからと言ってそれを第二次世界大戦勃発まで使い続けるとは... 第二次世界大戦緒戦においていかにフランスが戦車の運用に失敗したかを示す意味でも、この場所に置くのにふさわしい。 というか、このコンピエーニュの森において、フランスの戦い(当然フランスが敗北)を彷彿とさせる屋外展示はこれだけだったりする。 |
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さすがにフランス嫌いのドイツも、この像だけは破壊しなかった。 |
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フランス降伏と共にドイツにより破壊された。現在のものは再建されたもの。 |