ドイツ運河水路橋爆撃
German inland canal aquaduct air raid

ヨーロッパと日本のインフラの最も顕著に異なるものの一つが、内陸水運である。
山が多く河川の流れが急な日本にくらべ、平地が多く河川がゆっくりと流れる運河は
水運に最適な為、古代から内陸水運が発達していた。
燃料、材料、廃材、製品を大量に安く運ぶことが出来た為、運河を使用不能に出来れば戦略的効果がある。これはその運河爆撃に執念を燃やした英空軍の話。



ドルトムントエムス運河
ルールの工業地帯から北海に効率的に出るルートが開拓されれば、沿岸の工業地帯や
港との交易が容易になる。
そのため、19世紀後半からドルトムントエムス運河が構想され、1892年に着工、7年
の歳月をかけて長さ266km、20の水門とボートリフト1基を備えたドルトムント運河が
完成した。
これによりルール工場地帯の中枢都市のひとつであるドルトムントから、北海に面し
た港町エムデンまでの水路が出来た。
以降、拡張と改良が今日まで重ねられ、現在は3500トン級の船舶が航行できる。
その戦略的重要性から、第二次世界大戦中、運河は連合軍爆撃機の攻撃目標となり、
フランスの戦いが終わった1940年6月から、ルール地方が包囲される前の1945年3月ま
での間、何度も爆撃を受けることになった。
特に、人工の運河が河川の上を立体交差する水路橋は、もしそこを破壊出来れば運河
の水が抜けて航行不能となり、修復にも労力を要する為、集中的に狙われた。


【ドルトムントエムス運河がエムス川を越える水路橋】
バトルオブブリテンたけなわの1940年8月12日、83飛行中隊と49飛行中隊から計11機
のハンプデン爆撃機が英スキャンプトン基地を離陸した。
この内の5機が、ドルトムントエムス運河がエムス川を越える水路橋を目標に割り当
てられておりそこへ向かった。
ここは古い水路と、1930年代に新設された新しく広い水路が並行して流れており、水
路橋も2つある。
新しい水路の方はそれ以前の爆撃で破損し水が抜かれていた。
よってこの日の攻撃目標は古い水路橋である。
この夜は半月で、月明かりにより運河が視認出来た。
まずピットケアリンヒル少佐機が攻撃。
対空砲に被弾したものの投下した爆弾は命中した模様だが橋は決壊していなかった。
次にロス中尉機が超低空げ攻撃を試みてそのまま引き起こさず墜落、
続くムーリガン大尉機は対空砲火に何度も被弾した為高度を上げて乗員はパラシュー
ト降下し、2名が捕虜、2名は死亡。
マシューズ少尉機はエンジン1基が停止しながらも対空砲火幕を縫って目標近くに爆
弾を投下し(戦果無し?)、何とか基地に戻った。
最後の1機、レアロイド大尉機に対空砲火が集中する。
サーチライトに目が眩み、対空砲の命中弾を受けながらも、運河に沿って150フィー
トの高さ(低さ)を維持し、爆弾を水路橋に投下した。
対空砲圏内を離脱し、機体を点検した。
油圧をはじめ随所に被害があったが幸い乗員と燃料タンクは無事だった。
そして、機載していた伝書鳩は激戦の最中に卵を産んでいた!
2日後の偵察の結果、水路橋は決壊しており、レアロイド大尉はこの功績により英軍
最高栄誉であるヴィクトリア勲章を受勲した。
しかしドイツ側も負けてはいない。速やかに修理を行い2週間後には運河の機能が復
帰した。

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ハンプデンの攻撃を受けた古い方の橋。
奥の2つのアーチ周りは、手前2つとは色、石積が異るので、修理をしたことがはっきりと判る。
現在は水を抜かれ、運河としては使われていない。
52 2 25 N 7 40 49 E

19400812_DortmundEmsCanal_03.jpg
同じく古い橋。欄干と水路の間に歩道が設けられているが、ここも修復した部分(奥)とオリジナルの部分(手前)では仕上げが違う。

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古い橋から、南西方向を見る。古い橋は使われておらず、橋の上自体は現在水が抜かれているが、橋の南西すぐ近くまで使われなくなった水路が残っている。

19400812_DortmundEmsCanal_04.jpg
古い方の水路橋から見た、新しい方の橋。
当時は両方の水路橋を使っていた。
新しい方の水路橋は、古い方よりも前に空襲を受けて破損していたが、
両側に昇降式の安全水門あった為それを閉じ、橋上の水が無い状態だった。
運河システム自体は古い方の橋を使って航行可能だったため、英空軍としてはこちら
も破壊する必要があった。
今日現在、船は新しい方の水路橋を通る。
大雨の影響で下を流れる川は増水しており、通常はこれ程は水量は無い。
52 2 29 N 7 40 41 E



【エルティングミューレン川にかかるドルトムントエムス運河水路橋】
第二次世界大戦中は、運河のこの付近を拡張中で、水路は2本並行に流れていた。
すなわち、古い水路(1代目)が東側、新しく広い水路(2代目)が西側を並行して流れ、当時は双方が使える状態であった。
ドイツ側も水路橋が攻撃されたときの被害を十分想定しており、川をカモフラージュネットで覆い橋の位置を特定しにくくしていた。
1944年9月23日夜、モスキート5機とランカスター136機がこの場所を空襲し、ランカスター14機を失い、かつ、着弾も広範囲に散らばってしまい水路橋は破壊出来なかったものの、2本並行ではしる運河の堤を両方とも決壊させることに成功し、100隻以上の艀が立ち往生した。
修理が何とか終わった1944年11月4日に、2回目の空襲があった。今回は水路橋が破壊され水が抜け、再び航行が出来なくなった。
この被害を補修し終わり、航行の準備をしていたとき、3回目の空襲がありまた水が抜けてしまった。抜けた水は周辺の畑を冠水した。
諦めずにこれを修復している最中の1945年1月1日昼間に、モスキート2機とランカスター102機が晴天の空から爆弾を落とし、被害が広がった。
英空軍はしつこく爆撃を続けた。1945年2月7日の深夜の空襲はランカスター177機によるものだが、ラードベルゲン近郊に増強された対空砲火により5機を撃墜、散らばった編隊が投下した爆弾は殆どが目標を外れ近辺の畑に落ちた。
トドメに1945年3月3日夜、モスキート10機とランカスター212機による空襲で2本の運河は長さ100mに渡り完全に破壊され、付近は月面のような地形になった。
戦後、西側の水路を修復し、古い東側の水路は埋め立てた。
しかしその後、水路を更に広げる必要が生じ、古い東側の水路(1代目)があった場所を再び掘りおこして現在の運河(3代目)を同じルートに作り、西側の運河(2代目)は埋め戻した。
つまり、現在られる運河と運河橋は、場所こそ戦時中の1代目の運河と同じだが、まったく新しく作り直したもので運河橋の構造も異なる(1代目の橋はアーチ式)

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ラードベルゲンの町近郊で、エルティングミューレン川にかかるドルトムントエムス運河水路橋。左にエルティングミューレン川が見える。
クリックで拡大。
52 5 44 N 7 42 3 E


【ミッテルランド運河がヘルステラー川を越える水路橋】
ミッテルランド運河は、ドルトムントエムス運河から別れ、最終的にエルベ河につなげるべく、1906年から着工した。
1938年にドルトムントエムス運河からマグデブルグまでが開通しており、戦略的重要性はこちらも高い為、英空軍の爆撃を受けた。
ただし、第二次世界大戦の時点で、運河はエルベ河まで到達していなかった。
その後冷戦の期間は中東西ドイツ分断により工事は行われず、最終的にエルベ河に合流したのは実に2003年のことである。
この完成により旧東西ドイツ間のみならずフランス・スイス・ベネルクスとポーランド・チェコ・バルト海が内陸水路で航行できるようになった。
ドルトムントエムス運河同様に、こちらもミッテルランド運河がヘルステラー川を越える水路橋が狙われた。
橋というよりも、小川が運河の下を小さな穴でくぐる、といった方が正確で、ピンポイント爆撃精度が要求された。
1944年11月6日?7日にかけて、モスキート7機とランカスター235機による攻撃を受けたが、英軍はランカスターを10機失い攻撃は途中で中止された。
次に、1944年11月21日、モスキート6機とランカスター138機が空襲に参加し、ランカスター2機が失われたものの水路橋の破壊に成功し、60隻の艀が水の抜けた運河で立ち往生した。
強制労働者と捕虜を使って補修した結果、水路が再び使える様になった。
翌1945年1月1日の昼間にモスキート5機、ランカスター152機による爆撃を受け英側は損失なし、爆撃を受けたドイツ側は、今度は水は運河の水は抜けなかったものの、土手が大きく破損し船舶の航行に支障が出た。
そして1945年2月21日〜22日にかけて、モスキート12機とランカスター165機の爆撃により、運河は壊滅的な被害を受け、船舶の航行は戦後の復興を待たねばならなかった。

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爆撃目標の、ミッテルランド運河がヘルステラー川を越える水路橋。
判りにくいが、右の手すりの下からヘルステラー川が流れ出る。
52 17 39 N 7 36 44 E

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集中的に爆撃されたことを記憶するための記念碑。
周囲に落ちた不発弾を使って出来ている。
52 17 31 N 7 36 45 E

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同じく記念碑のあたり。
一人用の防空壕が置かれている。

19400812_DortmundEmsCanal_08.jpg
1944年の運河爆撃で大量の爆弾の雨を降らせたアブロランカスター爆撃機。
英空軍博物館ロンドンの所有機。
ちなみに1940年の運河爆撃に使われたハンプデンは現存していない。残念。




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