ヴァンゼー会議とホロコースト
Holocaust

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有名な Arbeit Macht Frei 労働すれば自由になれる、のスローガンのあるダッハウ強制収容所の入口。
今考えると80年代の日本のサラリーマンは皆この精神で働いていた。
労働環境が良くなり、会社人間が減り、会社人間だった上司や先輩が口数少なくなり、ブラック企業が叩かれる時代になると共に、日本の国力が低下してきた。これこそトレードオフ。
別にブラック企業や会社人間を推進しているわけではない。今までの日本の体質的に、健全な勤務体系では利益を出せないようなことを長年続けてきたツケが回ってきたということだと思う。
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ダッハウ強制収容所の監視塔とフェンス

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居住室。この写真だけ見るとそれ程劣悪な環境には見えないが。

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ダッハウ強制収容所の死体焼却炉。ここはいわゆる絶滅収容所ではないが、このような施設はあった。

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ユダヤ人を示すダビデの星の縫い付けられた囚人服。
ベルギーのDecember 44博物館にて。

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各省庁が協力して、効率よく処分していきましょう、という会議をソツなく行ったヴァンゼーの建物。
元々は別荘だったが1941年に親衛隊が買い取った建物。
1942年1月20日、各省庁・党・SD(親衛隊情報部)の高官15名が、ユダヤ人問題の「最終解決」について話し合った。
会議はSD長官のラインハルト・ハイドリッヒが主催し、議事録(残っている)はアイヒマンSS中佐が作成した。
この会議以前からユダヤ人の処刑は行われていたが、最終解決に向けての諸問題(ユダヤ人の定義も含め)を解消するのが目的の会議という風に受け止められる。
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オランダのフート駅から14000人のユダヤ人が強制収容所に移送された。
ベルギー軍捕虜もここから列車で強制収用所に移送された。駅前の記念碑。
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