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地下室への明かり取りの窓の周りには、ドイツ軍による銃撃の弾痕が残る。 50 4 33 N 14 25 1 E |
1941年にボヘミア&モラビア保護領副総督に任命され、チェコスロバキアの内、ドイツに併合した地区の統治を行う。 この間、ユダヤ人問題の最終的解決を決めたヴァンゼー会議も主催している。 チェコスロバキアはショコダに代表されるとおりドイツの重要な軍事物資生産拠点。 ここの統治を、飴と鞭を使い分けることによって上手く行っているハイドリッヒを、イギリスは危険人物と見なし暗殺を決定する。 暗殺計画はエンスラポイド作戦(Operation Anthropoid:類人猿)と名づけられた。 1941年12月28日、チェコ人の刺客は英国からチェコにパラシュート降下し、地元協力者と接触し暗殺計画を練り直した後、1942年5月27日早朝、実行者2名がプラハ市内で出勤途中のハイドリッヒを待ち伏せて襲撃した。 まず自動小銃(ステンガン)を向け引き金を引いたが、ジャミングを起こして発射出来なかった。 すかさず停車した車に手りゅう弾を投げてハイドリッヒを負傷させ、刺客はそのまま現場を立ち去った。 怪我を負ったハイドリッヒは、その後順調に回復するかに見えたが、敗血症にかかり1942年6月4日にプラハ市内の病院で死亡(ヒムラーの陰謀による暗殺説もある)、プラハとベルリンで壮大な葬儀が行われた。 ハイドリッヒ暗殺の報復として、事件とは実際には無関係のはずの、リディツェ(Lidice)と レジャーキー(Lezaky)村が親衛隊により消滅された。 プラハ郊外のリディツェ村では、建物道路は破壊撤去、16才以上の男性192名は処刑、子供は一部はドイツ人家庭に養子、他は女性とともに強制収容所送り(後に殆どの子供は収容所で死亡)。そして村は地上から姿を消した。 逃げた暗殺犯とその一味計7名はプラハ市内の聖シリルとメソディウス(Cyril & Methodius) 教会に立てこもり、親衛隊に包囲され銃撃と煙攻め、水攻めに合い、銃撃で3名が死亡、残り4名は処刑されるよりは自殺する道を選んだ。 また、教会の司教は神父らと共に暗殺犯をかくまった罪で後日銃殺された。 一連の事件は映画「死刑執行人もまた死す」(1943年)と、「暁の7人」(1975年)に描かれている。 暁の7人の方はTV放映で何度か見ている。 2016年には「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦」というB級としか思えないタイトル(原題は作戦名のAnthropoid。確かにこのままじゃ集客は難かしいかも)の映画が公開。 実話ベースだが登場人物が英語で会話しており気持ち悪い。 |
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チェコといえばビール。ちゃんと冷えててドイツのビール(←ぬるくて美味しくない)とは比べるだけ失礼というもの。アサヒスーパードライの次にうまい、と思う。 |