ハイドリッヒ暗殺とリディツェ村
Operation Anthropoid

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ハイドリッヒを暗殺した一味が篭城したプラハ市内の聖シリルとメソディウス(Cyril & Methodius)教会。
地下室への明かり取りの窓の周りには、ドイツ軍による銃撃の弾痕が残る。
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ラインハルト・ハイドリッヒ(Reinhard Heydrich)は1904年生まれ、海軍勤務を経てナチスに入党して頭角をあらわし、1939年には国家保安本部長官の座に付いた。
1941年にボヘミア&モラビア保護領副総督に任命され、チェコスロバキアの内、ドイツに併合した地区の統治を行う。
この間、ユダヤ人問題の最終的解決を決めたヴァンゼー会議も主催している。
チェコスロバキアはショコダに代表されるとおりドイツの重要な軍事物資生産拠点。
ここの統治を、飴と鞭を使い分けることによって上手く行っているハイドリッヒを、イギリスは危険人物と見なし暗殺を決定する。
暗殺計画はエンスラポイド作戦(Operation Anthropoid:類人猿)と名づけられた。
1941年12月28日、チェコ人の刺客は英国からチェコにパラシュート降下し、地元協力者と接触し暗殺計画を練り直した後、1942年5月27日早朝、実行者2名がプラハ市内で出勤途中のハイドリッヒを待ち伏せて襲撃した。
まず自動小銃(ステンガン)を向け引き金を引いたが、ジャミングを起こして発射出来なかった。
すかさず停車した車に手りゅう弾を投げてハイドリッヒを負傷させ、刺客はそのまま現場を立ち去った。
怪我を負ったハイドリッヒは、その後順調に回復するかに見えたが、敗血症にかかり1942年6月4日にプラハ市内の病院で死亡(ヒムラーの陰謀による暗殺説もある)、プラハとベルリンで壮大な葬儀が行われた。
ハイドリッヒ暗殺の報復として、事件とは実際には無関係のはずの、リディツェ(Lidice)と レジャーキー(Lezaky)村が親衛隊により消滅された。
プラハ郊外のリディツェ村では、建物道路は破壊撤去、16才以上の男性192名は処刑、子供は一部はドイツ人家庭に養子、他は女性とともに強制収容所送り(後に殆どの子供は収容所で死亡)。そして村は地上から姿を消した。
逃げた暗殺犯とその一味計7名はプラハ市内の聖シリルとメソディウス(Cyril & Methodius)
教会に立てこもり、親衛隊に包囲され銃撃と煙攻め、水攻めに合い、銃撃で3名が死亡、残り4名は処刑されるよりは自殺する道を選んだ。
また、教会の司教は神父らと共に暗殺犯をかくまった罪で後日銃殺された。

一連の事件は映画「死刑執行人もまた死す」と、「暁の7人」に描かれている。

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聖シリルとメソディウス(Cyril & Methodius)教会の地下室。明り取りの窓の内側にも弾痕が見える。窓の下には下水道に逃げようと掘りかけた穴が開いている。
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暗殺された日も、ハイドリッヒは総督府のあるプラハ城に向かっていた。写真はプラハ城名物の、衛兵の交代式。

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報復に、家も教会も消滅したリディツェ村
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リディツェ村の子供たちの像
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リディツェ村での出来事を彫った壁。女性は強制収容所送り
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16歳以上の男性は全員射殺
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おまけ。
チェコといえばビール。ちゃんと冷えててドイツのビール(←ぬるくて美味しくない)とは比べるだけ失礼というもの。アサヒスーパードライの次にうまい、と思う。




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