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ディエップ上陸作戦
Operation Jubilee

1942年8月19日未明、英連邦下のカナダ軍を中心とする兵力6000人がドイツ占領下フランスの港町、ディエップに上陸した。

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「夏の日帰り遠足」あるいは「お前らちょっと行って暴れてこい」というノリで計画されたとしか思えない作戦は、同日昼過ぎには撤退完了する。
かろうじて脱出できたのは約半数でその多くは負傷兵。
残りの者は捕虜または死体として残したまま....
連合軍側の惨敗故に、殆ど語られる事のない無謀な作戦の跡地を訪問した。



1942年春、ヨーロッパ大陸西部はスイスとスペインの中立国を除き、完全に枢軸国の支配下にあった。英国は何とかバトルオブブリテンを戦い抜いてドイツ軍の上陸を免れたものの、北アフリカではロンメル将軍のアフリカ軍団相手に苦戦、大陸に大反撃を企てるには程遠い状態にあった。
ドイツの主要前線は対ソ連の東部戦線であり、モスクワ攻略こそ失敗したもののソ連領内に深く侵攻していた。
「米英はソ連とドイツの共倒れを狙っているのではないか」と不満を持つソ連から、「もっと西部戦線で行動を起こしてドイツの勢力を削いてほしい」と言われだした。
前年の末から連合軍側に米国が参戦しているものの、緒戦は対日戦で負け続き。
暗いムードのイギリスで、「ここらで一つ明るい勝利が無いと」と思ったのも無理はない。

そこで1942年4月に提案されたのが、港町ディエップへの上陸作戦で、当初「ルター作戦」(Operation Rutter)と呼ばれていた。
これには上陸に加えて、拠点に対する事前の爆撃と、空挺降下が含まれていた。
上陸予定は1942年7月上旬に設定され、イギリス、カナダ軍が5,6月に英国内の「砂浜」で上陸訓練を実施した。
しかし結局、ディエップ現地の天候が思わしくないなどの理由により7月の上陸は中止となる。

上陸日は新たに8月19日に設定され、作戦名も「ジュビリー作戦」(Operation Jubilee)と改められた。
爆撃は民間人への被害を懸念して中止に、そして空挺降下はコマンド部隊の奇襲へと改められた。


恒久的に港を占領したり、さらに内陸に進展する勢力は用意されず、一時的に港を占拠して主要施設を壊して港の敵艦船を盗み出した後、退却するだけの作戦で、何よりも奇襲であることが成功の絶対条件である。
ドイツ側に「東部戦線だけではなく西にも気をつけていないといつでも上陸されるぞ」と気づかせることにより対ソ戦兵力を弱めること、さらに将来来るであろう大陸への大規模上陸の為の実地練習とデータ集めの意味合いが強い作戦だった。

一方、ドイツ側は内通者を通じて英国がディエップを狙っていることを事前に察知しており、わざと防衛が手薄であると見せかけながら建物や壕に火砲を隠していた。
もうこの時点で作戦は失敗したも同然であった....



ディエップ Dieppe はパリの北西150Km、カンの北東140km、カレーの南西120kmに位置する港町&リゾート地で、ノルマンディー東、コー地方に属する。
モネ、ルノワール、ドガ、ゴーガン、ピサロといった画家にもゆかりの地。
湾口付近の海岸以外は切り立った崖が多く、景勝地としてはともかく、上陸するとなるとアプローチは限られてしまう。
周辺の内陸には砲台が点在し、これらを無力化することも必要であった。

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上陸ビーチは西から順に

オレンジU及びオレンジT
内陸の砲台の破壊
(英国第4コマンド部隊)

グリーン
内陸の拠点の占拠、港地区への展開
(南サスカチェワン連隊、キャメロンハイランダース)

ホワイト及びレッド
港地区へのメインの上陸。
(ロイヤルハミルトン軽歩兵連隊、カルガリー連隊(第14戦車連隊)、レ・フュージリア・モン連隊、エセックススコティッシュ連隊、英国海兵隊)

ブルー
周辺の占拠、港地区への展開
(カナダ連隊)

イエローU及びイエローT
内陸の砲台の破壊
(英国第2コマンド部隊)

が割り当てられた。



英国コマンド、英国海兵隊以外は全てカナダ第2師団下の部隊である。
また、米国第一レンジャー大隊の兵士50名が、英国コマンド部隊に分散配置された。

作戦を支援する海軍は駆逐艦4隻を含む艦船240隻を参加させた。
連合軍側の参加空軍力は飛行隊70個で、大部分は英空軍(亡命ポーランド含)だが米陸軍航空隊からもB-17が出撃している。

一方、迎え撃つドイツ側は第302不動歩兵師団をはじめ対艦砲、対空砲隊
連合軍側はドイツの兵力を2000と見積もっていたが、実際には6500人体勢で守備に当っていた。こうなると崖を利用した高台の確保、事前情報に基づく守備機材のカモフラージュなど、勝負は見えている。守る側絶対有利である。

ドイツ空軍はJG2,JG26が迎え撃つ体勢であった。
機数は連合軍を下回るが、地元での迎撃戦である。そして機材も最新のFW190Aが配備されていた。


1942年8月19日 03:00
艦船がディエップ沖合い8マイル(13km)に集結、上陸準備を始める。
直後に最初のトラブル発生。ブルーのビーチに上陸する舟艇が、間違った船の後ろに付いてしまう。ミスに気づいたものの、結局ビーチへの上陸が20分遅れることになる。

03:45
イエローのビーチに向かっていた舟艇が偶然にもドイツの船団に遭遇、銃撃戦となる。
これにより奇襲ではなくなってしまう。
洋上戦の混乱でバラバラになったこの船団の一部はイエロービーチへ到達し、わずか20名足らずの兵がBernevalの砲台を襲撃し、敵200名を制圧した(大砲自体は破壊出来ず)

04:45
コマンド部隊がオレンジのビーチに上陸してVasterivalにある砲台を破壊、12人を除き無事に帰還する。
本作戦の中で唯一、目的達成となる。

同時刻にグリーンのビーチへの上陸も果たすが、こちらは目的地である市街地にたどり着くことが出来ず、84名を失い退却している。

05:06
ブルーのビーチへの上陸部隊は20分遅れた為奇襲の効果が無く、周囲も明るくなってきた為完全に不利な状況。結局目的を達せずこのビーチだけで捕虜264名、戦死225名を出す。脱出出来たのは33名のみ。

5:20
メインのビーチ、ホワイトとレッドへの上陸開始。
西の崖上や、海岸通りのカジノ内に偽装された壕をはじめとする機銃掃射、砲撃を浴びる。

05:35
合計29輌のチャーチル戦車がホワイトとレッドのビーチに上陸を開始するが、海岸が演習時とは異なる「砂利浜」だった為上手く前進できない。
キャタピラを切ってしまう戦車もあり、上手く浜辺を脱出出来たのは一部の車両のみ。
これらもバリケードに阻まれて前進出来ず破壊されるか退却するかとなる。

結局主力の上陸部隊はホワイト、レッドのビーチに釘付けで殆ど前進できない。

沖合いの駆逐艦は長射程砲を持たず、また上陸部隊との通信が上手く行えないことからサポートが殆ど出来なかった。

連合軍航空機による支援は上陸地点に張られた煙幕に遮られこれまた満足に出来ず、その間迎撃に出てきたドイツ空軍戦闘機の餌食になってしまった。

09:00
撤退命令が出されるが、混乱の中、命令が伝わるのには時間がかかった。

13:00
海岸からの撤退完了。ドイツ側は深追いしてこなかった。



被害は資料によってバラツキがあるが、連合軍側の上陸部隊6000人(内、実際に上陸したのは5000人)の内死者は1000+人、捕虜2000+人、負傷者(捕虜、脱出出来た者双方)2500人程度。
上陸した29輌の戦車の内、回収できたのは3輌のみ。
上陸を支援した英海軍は死傷者550名
英空軍は100機以上を撃墜され150名の損失
一方、ドイツ側は死者500人、航空機損失50機程度と言われている。


この作戦で得られた教訓をオーバーロード作戦(1944年6月6日のノルマンディ上陸作戦)に活かせた、従って無駄ではなかった、と主張する人たちもいる。
例えば空挺部隊の奇襲による拠点の事前確保、艦砲射撃による拠点の事前破壊、主要港の攻略を避ける、砂利浜は避ける、「下見」の実施、沖合いの艦船と上陸部隊の無線の確保などである。
データ集めの為に犠牲になる兵士にとってはたまったものではないが。

Dieppeでの無残な敗退から2年後、ノルマンディーのジュノービーチに上陸を既に果たしたカナダ第2歩兵師団は、今度は陸続きにディエップへ向かっていた。1944年9月1日、敗走するドイツ軍はディエップを既に放棄しており、熱狂する市民に今度こそは本当の解放軍として迎えられた。

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グリーンのビーチ。
この地方は切り立った崖が海岸線に続き、わずかに崖の無い部分には港と集落がある。
ここに上陸した部隊は敵を制圧をしながらディエップの市街地(撮影地の後方)へ向かう予定であったが待ち構えるドイツ軍に行く手を阻まれた。
画面右端の、霧にかすむ崖の突端付近に、オレンジIのビーチがある。オレンジI、IIに上陸したコマンド部隊は内陸の砲台の破壊に成功している。
49 55 10N 1 2 25E

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ディエップ港の周囲は切り立った丘で守るのには有利。
ただし写真の観測所トーチカはいわゆる「大西洋の壁」 Atlantikwall の一部で、ディエップ上陸時にはまだ完成していなかったと思われる。
49 55 30.2N 1 3 54.2E

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海岸沿いのホテルの部屋から見た、メインの上陸地点となるホワイトビーチ。
ホテルから海岸線までの間、何も遮蔽物が無いことが被害を広げた。
49 55 38.3N 1 4 35.0E

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連続するレッド(手前)とホワイト(奥)のビーチは合わせて約1.5kmの長さ。
ドイツ軍は奥に見える切り立った崖の上や、左の建物に火砲を配備して、迎撃準備は万端だった。
海岸は砂浜ではなく玉砂利なのに注意。傾斜もキツい。
ディエップ上陸が初陣となるチャーチル歩兵戦車はこの砂利浜に足を取られて立ち往生した。
49 55 59N 1 5 0E

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ホワイトのビーチ西にある、古城とその下の記念公園。
花壇の花は満開になると赤い花をつけて、上陸を試みたカナダの国旗になるようだ。
49 55 30.8N 1 4 13.4E

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ディエップの旧市街
49 55 30N 1 4 32E 近辺

19420819_dieppe05.jpg

ディエップの港。満潮、干潮の水位差が大きいので、船は桟橋もろとも上下するようになっている。写真撮影時は干潮。
ここに係留されている敵艦船を適当に奪う、という予定もあったが...
写真後方の高台の、その更にずっと後ろがブルーのビーチ。
49 55 39N 1 4 52E





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