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ダムバスタース
Operation Chastise

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写真:メーネダム
人類に於けるダムの歴史は古く、紀元前2700年頃のエジプトで洪水防止の、提高10mを超えるダムが作られた。
ドイツでは鉄鋼業の発達と共に16、17世紀から主要なダムが作られ始めた。
産業革命と共に今日の様な大規模なダムが必要となった。
メーネダムは1906年に計画、1908年〜1912年の間に建設された。
貯水量1.35億立方メートルは日本の利根川水系・下久保ダムと同程度の規模。
51 29 23 N 8 3 31 E

1943年5月16日の夜、英国の空軍基地から19機の特別改造されたアブロ・ランカスター爆撃機が、アップキープという特殊爆弾を抱えて離陸した。目的地はドイツのダム。通常の爆弾では破壊が望めないダムを如何に攻撃するのか、攻撃は成功するのか、そして無事帰れるのか.... 一夜限りの特殊作戦の戦跡を巡る。

今の日本ではダムはどちらかというと疎まれる傾向だが、発電、防災、飲料水や工業・農業用水の水源と、その役割は多い。
水上輸送の発達しているヨーロッパではさらに運河の水源としても使われる。
大きなダムともなると1億立方メートル以上の水を湛える。

爆撃で敵国にダメージを与える為には都市・軍需工場を直接攻撃する以外に効果的な方法は無いか?
もしも重要なインフラ源であるダムを破壊することが出来れば、それにより発生する洪水で都市、工業地帯を破壊し、発電を停止させ、水源として使えなくすることが出来る。何よりも都市への間接攻撃で敵国民の戦意を喪失させることが出来る。

英空軍が当時の仮想敵国、ドイツのダムへの攻撃の有効性に着目したのは、記録にある限り1937年からである。
具体的にメーネダム、ゾルペダムへの攻撃が早くも検討されている。
以降、ありとあらゆる可能性-通常爆弾の直撃、リモートコントロールされた爆薬満載の飛行艇による攻撃、魚雷攻撃、特殊部隊の潜入、10トン地震爆弾など。しかしいずれも可能性が低く却下された。
巨大なダムと言えども高空からピンポイントで直撃弾を浴びせるのは難しく、例えダム壁に命中しても土手やコンクリートの厚さで簡単には破壊出来ない。
内側から魚雷を爆発させれば水圧との相乗効果で破壊の可能性もあるが、ドイツ側もそれを十分承知で、魚雷避けにネットを張ってることが判った。

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写真:エダーダムに張られていた、魚雷の進入を防ぐネット。1つの輪は直径10cm程度。
錆びにくい材質(クロム鋼?)なので戦後、付近の農民は畑や牧草地のフェンスに利用したという。
エダーダムの旧発電所でのダムバスタースの展示で撮影。
同じネットは英仏海峡沿いのフランス海岸にも張られていた。

第二次世界大戦勃発時、ヴィッカースアームストロング社の航空機部門の設計副部長だったバーンズ・ウォリスもダム破壊による戦略的効果に着目していた。

彼はドイツで発行されていた土木、建築、インフラなどの学術誌を通じてドイツのダムの構造を分析し、ダム破壊に必要な爆薬量と手段を算出しようとしていた。
爆破はダム内側からでなければならない。

破壊の効果が期待出来るダムとして、ドイツのメーネダム、エダーダム(共に重力ダム)の他にイタリアのサルディナにあるアーチダムが検討された。

この内、最も破壊が難しいと思われるメーネダムの1/15縮尺程度の模型を数個製作して爆破実験を行った後、1942年7月24日、英国・ウェールズにある、使用されていないNant-y-Groダムを実際に破壊して効果を確認した。
その結果、壁の内側に接して水中爆発させれば、航空機1機で運べる爆薬の量でも十分破壊が可能と思われた。
しかし実用上の問題として、如何に爆弾を壁際の水中で爆破させるか?は未解決だった。

石を水に投げると「ポチャリ」と沈んでしまう。
しかし、平たい石を水面に対して浅い角度で投げれば、石は水面上を跳ねる。上手くやれば数回跳ねさせることも出来る。
平らでなくとも、丸いものでも十分な速度があれば水面を跳ねる。
浅い角度で水面に当たった砲弾が跳ねる事は昔から知られており、17世紀頃から海戦では大砲の射程を延ばす方法として既に用いられていた。
ただし、玉にバックスピンを与えるともう少し深い角度でも水面を跳ねる、と言うことを発見したのはウォリス博士である。
「これは行けるかも」とウォリス博士が気づいてからは、自宅の庭で娘のビー玉を水面に投げてみた。
池を跳ねたビー玉は、ベニア板の壁に当たってその場に沈んだ。ビー玉は爆弾、池はダム、板はダム壁。水中の魚雷避けネットには引っかからない。
ビー球のお遊びはやがて長さ200mを超える水槽での実験となった。
しかし、この頃既に、ヴィッカース社も英空軍も、通常爆弾でのダム破壊の可能性が無いことからダム攻撃に積極的ではなかった。
ウォリス博士は会社幹部と航空機製造省庁を説得して1942年8月に、実機でのテストの了解を得る。
実際にダム破壊に必要な爆弾は4発エンジン級でないと運べないが、より小型の回転爆弾を使い、同年12月から改造したウェリントン爆撃機を使って、海岸でのテストが始まった。

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写真:ヴィッカース・アームストロング・ウェリントン爆撃機。
ウォリス博士の設計。x字型編み込みフレームに布張りという独特の構造をしている。
これは通常爆撃型で大戦初期に活躍した。
ウェリントン爆撃機の改造機でウォリス博士は回転跳躍爆弾の試験を行ったが、爆弾を覆う球形ケースの破損に悩まされた。
英空軍博物館(ロンドン)での撮影

1943年1月、航空省はじめ政府高官にウォリス博士がダム攻撃用爆弾の説明をしたところ、海軍で敵戦艦テリピッツへの攻撃に使用したいのでそれを優先する様に言われる。
その後、海軍の話は無くなったがダム攻撃に使うには効果の程が判らないとか、大型の爆弾にバックスピンをかけると振動が問題になるのでは、或いは全く他の方法でダム攻撃出来ないか、実証されていない武器の為に生産ライン上の貴重な爆撃機をまわすのは如何なものか、といった意見ばかり出て話が先に進まなくなってしまった。(こういうのは今の私の仕事でもよくあります)
ウォリス博士がしつこくテスト継続を政府高官に要求するので疎まれ、ウォリスの勤務先であるヴィッカースアームストロング社のクラベン会長が開発を中止するように命じた。ウォリスは「じゃあ会社辞める」と返答。

ところがその2日後の2月24日、ウォリスは呼び出されて航空省高官、クラベン会長から「状況が変わった。最優先でダム攻撃爆弾を実用化して欲しい。攻撃のタイムリミットは5月26日」と言われた。
タイムリミットはダムの水位(満水が最も効果的)と夜間低空飛行に必要な月明かりを条件にしている。

2月28日には爆弾の図面を完成させた。
当初、直径7フィート6インチの楕円形状の爆弾としたかったのだが必要な高張力鋼が不足していたので仕方なく板金を円筒に丸めて溶接し、その外に木製のケースを被せて金属帯で縛る形とした。
信管は海軍で使用している水圧式のものを3つと、時限式のもの1つが備えられた。時限式のものはダム以外の場所に爆弾が落ちた場合敵の手に渡らないようにするためである。
爆弾はアップキープと名付けられ、120個が発注された。内、60個は練習用のダミーで灰色塗装、60個は高性能火薬RDX入りでダークグリーン塗装。
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写真:コブレンツの軍事技術博物館入り口に置かれている回転跳躍爆弾「アップキープ」。
レプリカ?でしょうな。
ホンモノは9250ポンドの重さがある。

母機にはアブロ・ランカスターが選ばれた。
爆弾倉を改造し、アップキープを収納して飛行中にベルトを介して回転出来るようにした。
外観上は爆弾倉周りの他に、重量軽減の為胴体上部銃座が撤去されているのが特徴。
最初の改造機は4月8日に到着した。

実験場所にはケントの海岸が選ばれた。
何度か投下したが爆弾を覆っている木製ケースは着水時に破損してしまう。
木製ケースを外してトライしたがこれも破損してしまった。
結局、木製ケース無しで、爆弾の投下高度を下げることにより解決した。

5月13日に実弾を使った投下実験が行われた。500rpmの回転数のバックスピンをかけた爆弾は高度75フィートから投下され、7回跳躍して800ヤードの距離を進んだところで水中に沈み4秒後に爆発した。
爆発と同時に高さ750フィートを越える水柱が上がった。

この様に機材と戦術は作戦決行直前にようやく目処が付いた訳だが、一方の人員はどうなっているのか。
ダム攻撃には専門の飛行隊を新たに組織することが3月に決められた。
飛行中隊は当初Xスコードロンと呼ばれたがやがて617スコードロン(第617飛行中隊)という番号が割り当てられた。
隊長には当時24歳だったガイギブソン中佐が任命された。
ギブソンは英空軍にパイロットとして入隊するとホーカー ハインド軽爆撃機、ハンドレーページ ハンプデン双発爆撃機などを飛ばした。
一時期夜間戦闘機パイロットに転向し、ブリストル ブレニム、ブリストル ボーファイターでパトロール飛行し、後者でドイツ空軍爆撃機を複数機撃墜している。
爆撃隊に戻りアブロ マンチェスター、アブロ ランカスターでドイツ本土爆撃に参加した。この後第617飛行中隊のリーダーに引き抜かれた。

3月下旬にはクルー、地上要因を含め700名がスキャンプトンの飛行場に集結した。
英空軍だけではなくカナダ、オーストラリア、ニュージーランド空軍の人員で構成されていた。パイロットの一人はアメリカ人だった。
機密保持の為の緘口令が敷かれた中、貯水池上空での訓練が始まった。
まず昼間に低空飛行の訓練をし、次に夜間の訓練をする。
作戦決行時は月が出ているはずなので、夜間訓練といっても月が出ていない場合は日没後まだ薄明るい時間帯に飛んだり、キャノピー内側に着色したセルロイドを貼って昼間飛んだ。
当初は他の飛行隊の所有する、未改造のランカスターを使って訓練したが、4月中旬からは、アップキープを搭載し回転出来るように改造されたランカスターが第617飛行中隊に配備されだした。

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写真:訓練で投下されたアップキープの実物。爆薬の代わりにコンクリートが詰められている。
水面から60フィートという低い高度を保って飛行する為通常の高度計は使用出来ず、機体の前方と中央2箇所に設けたスポットライトの作る2個の光の丸の重なり具合で高度を判別した。
すなわち2個のスポットライトは機体右下の水面を照らし、光の丸が離れていれば高度が高すぎ、8の字に接していれば丁度良く、重なってしまうと低すぎという具合である。

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超低高度の為爆撃照準機が使えず、アップキープを投下するタイミングを知る為手作りの測距計を用意した。これは全機共通ではなく、基本的にはダムにある2つのタワーの見え方を基準にしたものだが、V字型に糸を貼る、爆撃手窓に相マークを書き込む、手持ちのY字形測距計を作るといったものだった。
写真はニュージーランド空軍博物館の展示で、手持ちY字形測距計を再現したもの。
ニュージーランドからも作戦に参加しているのでダムバスターズ及び第617飛行中隊についてのパネル展示がある。


低空を飛行するため特別にVHF無線機を装備するなど、ミッション特有の準備が整っていった。
実際の投下訓練で低く飛びすぎた為、アップキープの着水で起きた水柱で尾翼周りを破損した機体が2機あった。

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写真:通常型のランカスター爆撃機。
帝国戦争博物館ダックスフォードでの撮影。
アップキープ搭載型の改造機は現存していない。

飛行訓練は5月14日まで続けられた。
5月15日に機材の最終点検が行われた。

ギブソンは真っ黒なラブラドールレトリバー犬を飼っていた。
ニガーと名づけられたその犬は皆に可愛がれていた。
ところが5月15日にニガーは基地の前で車に跳ねられて死んでしまった。
これを悪い予兆と思われないよう、ニガーの死について出撃するクルーには伝えなかった。

5月16日は攻撃の最終準備が行われた。
ランカスターに回転バランスを取った実弾のアップキープを搭載した。
アップキープの鉄の外皮はコンパスに影響を与えるので、アップキープ有、無でのコンパス補正が必要だった。
機銃は全弾に曳光弾が搭載された。
ウォリス博士も参加して、全クルーに作戦詳細が説明された。
攻撃目標はドイツ本土にあるダムで、

メーネ Moehne
ゾルペ Sorpe
リスター Lister
エンネペ Ennepe
エダー Eder
ディーメル Diemel
メーネ、エダー、ゾルペが本命のダムで、これらが破壊出来たら他のダムも攻撃する。

攻撃は3波に別れて行い、
第一波(9機)メーネ、エダーダム攻撃
第二波(5機)ゾルペダム攻撃
第三波(5機)予備

となる。
万一目標となるダムにアップキープを投下出来なくとも、着陸前にアップキープは投機する様指示が出た。

5月16日夜の2110、ギブソンの乗るランカスター、コードレターAJ◎Gから赤い信号弾が発射され、第一、第二波の航空機全機がエンジンを始動した。
第二波の方が飛行距離が長い為先に2128に離陸タキシーを開始した。

第二波に続いて、第一波が2139に離陸を始めた。
第一波はギブソンの指揮で、3機づつ3つのグループに分かれて離陸した。
計9機は無事に離陸すると、オランダ上空を南寄りのルートで地形や町、運河を目印にしながら飛行した。

ドイツに入り、ライン川をリース市上空経由で超え、マルベックという小さな町の近くにさしかかったとき、第一波の1機、コードレターAJ◎Bは高圧線の鉄塔にぶつかってしまった。
機体は鉄塔から500m程離れた場所に墜落し乗員は全員死亡した。
アップキープは機体から外れて更に200m先の場所に飛ばされ、そこで時限信管が作動して爆発した。

メーネダム上空には翌日5月17日の0015に到着した。
ギブソンは編隊を集合させ、ホールディングパターンで旋回した。8機が揃ったが、AJ◎Bは待っても来なかった。

まずギブソンがダムの攻撃パターンに入った。
全ては事前の航空偵察の通りだった。ダムの堰堤に対空砲陣地が3つ、さらに下流の谷間に3つ。
高度測定用スポットライトを点灯したランカスターに容赦なく対空砲が発射される。

0028にギブソン機AJ◎Gがアップキープを投下。
爆弾は3回跳ねて堰堤に当たり沈んで爆発した。巨大な水柱が立った。

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写真:メーネダムの堰堤から、ギブソンが進入してきた方向を見る。
攻撃は、ダムが満水だとアップキープが堰堤を飛び越える可能性があるので、満水よりも少し水位の下がった時が選ばれた。
写真は満月、ほぼ満水という、攻撃当時と同じ状況で撮影。ただし5月ではなく6月中旬の撮影である。

しかし、ダムは決壊しなかった。
モールス信号を使い、司令部に予め決められた暗号で状況を無線連絡した。

水面が静まるのを待ってから、次にAJ◎Mが攻撃パターンに入った。
対空砲火が命中したのか、エンジンと翼が炎に包まれだした。
爆弾は投下されたがタイミングが遅すぎた。
爆弾は堰堤を飛び越えて、下にある発電所に落ちた。
時限信管が作動し、発電所は破壊された。
AJ◎Mはそのまままっすぐ飛行し、高度を上げようとした。
クルー3名が脱出し、2人はパラシュートが開き着地に成功したが、もう1人はパラシュートが開ききる前に地面に激突して死亡した。
機体はダムから8km程先の高速道路近くに墜落し、パイロットを含む残りのクルーは死亡した。
脱出に成功した2名はドイツの捕虜になった。

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写真:メーネダムの堰堤から下を見る。
調整池の真ん中に巨大な発電所の建物があったが、アップキープの命中により木っ端微塵に吹っ飛び、その後のダム決壊で跡形も無く流された。
ダム修復時、発電所の建物は再建されなかった。
AJ◎Mの墜落地点は正面約8km先
3番目にAJ◎Pが攻撃した。
今回はギブソンがAJ◎Gで横を飛行し、対空砲火を惑わせるようにした。
爆弾は再び水中で爆発したが、やはりダムは決壊していない。

今度はAJ◎Aが攻撃した。今度はAJ◎Pが囮として併走し、ギブソンは対空砲火を引き付けるためにAJ◎Gの灯火をすべて点灯した。
アップキープは再び命中。しかしまだ決壊には至らない。
諦めずにAJ◎Jが攻撃する。AJ◎GとAJ◎Pが囮で飛行する。
この時、ダム壁が一部破損していて上部が崩れだしていた。
構わずにAJ◎Jは爆弾を投下した。
完全なコース、完全なタイミングだった。壁際の水中でアップキープが爆発し、再び巨大な水柱があがった。

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写真:攻撃を受けた時と同じ、満月&ほぼ満水のメーネダム。5月ではなく、6月中旬の撮影。
ちなみに完全な満水だとアップキープが壁を越えてしまう恐れがあり、満水よりもわずかに水位が低い時というのも時期の選択条件だった。
取水塔の屋根に高射砲が据え付けられていた。
また、堤沿いに、ダム壁をカムフラージュするようにダミーの木が沢山置かれていたがとても壁を隠せるようなものではなかった。
攻撃時、月は写真よりももっと左(東)寄りにあって、攻撃ルートのほぼ真後ろにあった様だ。
しかしやはりダムは決壊していないようだった。司令部に無線で未決壊と連絡した。
ギブソンはAJ◎Lに攻撃を命じた。
と、そのとき、突然、ダム壁が崩れた。地震計が1943年5月17日0049の出来事と記録している。
ビックリしたように対空砲火もパタと止んだ。AJ◎Lは攻撃を中止した。
怒号の様に水が流れ出した。7機のランカスターのクルーは呆然と見守った。自分たちの攻撃が生んだ成果は巨大な水の洪水だった。
本部にダム決壊の連絡を無線で行った。
決壊の暗号は犬の名前「ニガー」だった。

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写真:メーネダムを見上げる。
ダム壁は赤線で示した部分が、高さ22m、幅77mに渡り崩れ、決壊した。
崩れた部分は元通り修復され、よく見てもどこが修復部分なのかは判らない。
現地にはダム湖を解説したドイツ語、英語のパネルがあり、規模や役割、構造を解説すると共に英空軍による破壊についても触れられている。
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写真:メーネダムの決壊により大きな被害の出たネハイムの町の目抜き通り。左にダム決壊50周年に建てられた慰霊碑が写っている。
51 27 8.2 N 7 57 42.7 E
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写真:慰霊碑のアップ。メーネダムが決壊し、人々が洪水に飲み込まれている。
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写真:メーネダムから直線距離で35km程下流にある、ハーゲンとヘルデッケを結ぶ鉄道橋。
ダム決壊の急流により、橋柱の1つ(写真手前から2番目)が崩れ落ちた。

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写真:当時、橋は複線だったが、現在は片方の線路を撤去し単線として運行されている。51 23 59 N 7 25 16 E

メーネダム攻撃の任務を果たしたことにより、爆弾を投下し終えたAJ◎PとAJ◎Jは帰路に着き、無事帰投した。
ギブソンのAJ◎Gは爆弾を投下した後だったが、飛行隊長として編隊を率いて次の目標に向かった。
AJ◎Aも爆弾を投下した後だったが、ギブソン機に万一の事があった場合編隊長となるべく、同行した。
第一波でアップキープを持っているのはAJ◎Z、AJ◎L、AJ◎Nの3機だ。
合計5機で次の目標、エダーダムに向かう。

エダーダムはメーネよりも険しい地形の中にあり、見つけるのに苦労した。
やっと見つけると、ダム北々西に位置するヴァルデック城を目印に旋回してホールディングに入った。
エダーダムに高射砲は配備されていなかった。
しかし、ダム周囲の地形が険しく、メーネダムと異なりダム壁に対し直角の長い飛行コースが取れない。
ヴァルデックの城をかすめ、ダム湖に流れ込む支流が作った谷間を飛行してダム湖上に出て、低空を飛びながらハマーベルグの岬で左に急旋回してダム壁に向かうという攻撃ルートしかとれない。
更にダム壁の向こう川には山があるので、アップキープ投下後は直ちに急上昇に移り山を避けなければならない。
(ただし険しい地形とは言っても、日本のダムに比べればかなりなだらか。)

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写真:エダーダムは建設当時ドイツ一の貯水量を誇った。(現在は3番目)
エダーダムの貯水量2億立方メートルは日本の黒部水系黒部ダム、利根川水系矢木沢ダムと同程度。
攻撃当時満水から4cm程水位が下の状態だった。写真も同じく殆ど満水の状態。
0120頃、ギブソンはまずAJ◎Lに攻撃を命じた。
彼は3回挑戦したものの、ランカスター爆撃機の巨体を投下コースに乗せることが出来なかった。
一旦AJ◎Lはホールディングパターンに戻り、今度はAJ◎Zがトライする。
2度攻撃を試みるものの、彼もやはり投下コースに上手く乗ることが出来なかった。
再びAJ◎Lが攻撃を試みる。
2回の挑戦はダメだったが、3回目に何とかコースに乗せて、0137にアップキープを投下した。
しかしアップキープは右(南)に大きく逸れてしまい、壁際で爆発したもののダムに損傷は無かった。

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写真:エダーダムの攻撃のための飛行ルート。丘の上の城がワルデック城。その左にある谷間を飛行して湖にアプローチし、左から突き出しているハマーベルグの岬の突端で急旋回してダム壁に向かう。急旋回後水平超低空飛行に移り爆弾を投下するまでには5〜6秒しか無い。
AJ◎Lの投下したアップキープは大きくそれてしまい、画面手前あたりのダム壁端近くで爆発した。
51 11 00 N 9 3 30 E


AJ◎Zが再度攻撃する。
今度は2回目のアプローチでアップキープを投下したが、ギブソンの目にはタイミングが遅すぎるように見えた。
アップキープはダム壁に当たった瞬間、衝撃で爆発した。周囲は一瞬、昼間の様に明るくなった。
アップキープは本来壁にぶつかって沈んでから爆発するように設計されているが、早い速度で壁に当たった場合、衝撃で爆発することはウォリス博士も予測していた。
爆発の衝撃でAJ◎Zは大きく揺れた。
ギブソンはAJ◎Z機に呼びかけたが返答はこもった様な声でよく聞き取れなかった。機体が損傷を受けたのだろう。皆、AJ◎Zは墜落したものと思ったが、実はAJ◎Zは何とか帰投コースに乗っていた。
もはやアップキープはAJ◎Nの一発しか残っていない。
慎重にコースに乗せ、最後のアップキープが投下された。
アップキープは水上を3回跳ねて、ダム壁中央よりも少し右(南)にそれた所で沈み爆発した。
「まるで巨大な手がダンボールに穴をあけるように」(ギブソン談)ダムの壁が崩れた。
エダーダムへの攻撃も成功した。0154にエダーダム決壊の暗号「ディンギー」が発信された。

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写真:左の矢印は最初の、AJ◎Lが投下したアップキープが爆破した位置で、堤端近くの水中。
右の矢印はAJ◎Zの投下したアップキープが堤に当たった瞬間、爆発した場所。
赤線はAJ◎Nのアップキープにより決壊した部分を示す。
修復された部分はそれとなく明るい色になっている。エダーダム独特の放水ゲートは等間隔で並んでいたが、修復時に再現されなかったので破損箇所がすぐに判る。

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写真:エダーダムのすぐ下流にあるアッフォルダーンの町は洪水に襲われ孤立したが、中世の塔は無事だった。

こうして第一波による攻撃は、2つのダムを決壊させることに成功した。
ダム堤上でアップキープが爆発した為機体に損傷を受けたAJ◎Zは何とか帰投コースに乗っていたが、ライン川沿いの町、エメリッヒ郊外で0236に対空砲火に撃墜されて搭乗員は全員死亡した。
また、メーネダムで爆弾を投下した後、予備の編隊長としてエダーに向かったAJ◎Aは、帰路に対空砲火の餌食となりオランダの海岸沿いで0258に墜落し、クルー全員が死亡した。
結局、第一波は9機が出撃し、4機が失われた。

第二波は最初から運に見放されていた。

AJ◎Q(ED923)は離陸しようとエンジンを始動させたが冷却水漏れが見つかった。
パイロットのマッカーシーは予備機AJ◎Tに乗り換えることにしたので出発が遅れた。
残りの4機(AJ◎E,K,H,W)は予定通り1943年5月16日の2128に離陸し、第一次攻撃隊とほぼ同じ頃、第一次攻撃隊よりも北方でオランダの海岸線を越えた。
これにより小規模な分散攻撃と敵に思わせる狙いがあった。
AJ◎Tは2300頃、海岸沿いに配備された高射砲により撃墜され、全員死亡した。
アップキープは入り江に落ちたが時限装置が作動せず、2週間後に突如爆発した。
オランダ・テクセルの内陸で、AJ◎Wが対空砲火で損傷し、電気系統に被害が出た。VHF無線機とインターカムが使えないので基地に引き返すことにした。
命令に反して、アップキープを投棄せず搭載したまま、17日の0030にAJ◎Wは着陸した。
AJ◎Hは低空を飛びすぎて海面にアップキープを接触させ、もぎ取られてしまった。
0050頃、何とか基地に着陸した。
AJ◎Eはドイツ上空にまでたどり着いたが、高圧線の塔に当たり墜落した。
クルーは全員死亡し、アップキープは機体から離れてころがったが爆発しなかった。
アップキープは翌日爆弾処理兵が信管を外した。
ドイツはこのアップキープの他、機体の残骸や捕虜となったクルーからの情報を元に、ダム攻撃爆弾の仕組みを解析した。
英国はアップキープの情報を戦後1963年まで開示しなかったが、既にドイツでは既知の技術となっていた。
現在書籍やインターネットで出回っている図解にドイツ語のもの(あるいはドイツ語の部分だけ翻訳したもの)が多いのはこの為である。

さて、エンジントラブルの機体から乗り換えた予備機AJ◎Tのマッカーシーは、20分遅れて離陸した。
この予備機にはVHF無線機、低空飛行用スポットライトが装備されていなかった。
遅れを取り戻すべくフルスロットルで飛行し、目標のゾルペダムに到着したのは0045であった。この時既に、他の4機は墜落もしくは任務放棄していた。
近辺には霧が出ていたがダム湖自体は晴れていた。

ゾルペダムはアースダムだった。ダム壁は平たい三角の断面をしており、メーネやエダーとは勝手が異なった。
水面下での爆発では壁が厚すぎて決壊出来ない。
ウォリスもアップキープはアースダム攻撃には向いていないと断言している。
ゾルペダムの場合はアップキープに回転をかけず、堤上で爆発させることにより損傷させ、そこから水が流れ出すことにより周囲の土砂を流して決壊部分を広げ、最終的に大規模決壊につながるはずだった。
スポットライトを持たないAJ◎Tはダム西側のラングシャイドの町にある教会の塔をかすめ、堤に沿って急降下して爆弾を投下しようと試みた。
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写真:アメリカ人でカナダ空軍所属のマッカーシー機は、写真中央に見えるラングシャイドの町から、写真撮影地点であるダム堤中央めがけて何度も急降下を試みた。

何度もトライして、最後に爆弾を投下した。爆弾は堤中央よりちょっと東に逸れた場所の、水面下4〜5mの所で爆発した。損傷を与えたが決壊しなかった。
帰り際、AJ◎Tはメーネダム上空を飛びダムの決壊状況を視認した。
AJ◎Tは0323に着陸した。対空砲火にやられたらしくタイヤが片方パンクしていた。

AJ◎Tの機長、マッカーシー大尉はアメリカのニューヨーク出身で、プロのパイロットになりたくてアメリカ陸軍航空隊に何度か志願したが採用されなかった。
1941年5月にカナダに渡りカナダ空軍に入隊、その後渡英し飛行訓練を完了させると第97飛行中隊でドイツ爆撃に参加した。この頃ギブソンと知り合った。
ダム攻撃後も第617飛行中隊に残りパスファインダー、V兵器基地爆撃、運河爆撃、ノルマンディ上陸作戦支援などに参加した。
欧州終戦直後に鹵獲したドイツ空軍の様々な機体に搭乗し評価し、戦後カナダ国籍取得、カナダ空軍に留まった。最終階級中佐。1998年没。

結局、第二次攻撃隊の成果は無かった。出撃した5機の内、2機は墜落、2機は途中で引き返し、目標に到達して無事戻ってきたのは1機だけだった。

第三波は第一波、第二波に対し2時間以上間を空けて、17日の0009〜0015にかけて離陸した。
AJ◎FはAJ◎Tが攻撃して破壊できなかったゾルペダムに再挑戦すべく向かった。
途中、銃手が列車に機銃弾を撃ち込んだ、と記録されている。
2時間前にAJ◎Tが攻撃したゾルペダムに到着した。
今度はスポットライトがあるので、メーネダム同様に、ダム堤に対し直角に、貯水池上空60フィート上を飛行しながら攻撃した。
1回目ではアップキープを投下せず、やり直して2回目に回転を付けずに投下した。
アップキープはほぼ中央の、堤際の水面下2〜3mで爆発し、堤周りに損傷を与えた。
後日の航空偵察で、AJ◎T、AJ◎Fの2つのアップキープの爆発による損傷で水の滲み出した形跡が確認できたもの、ダムは決壊しなかった。
AJ◎Fは05:33に基地に戻り着陸した。

19430517_dambusters_19.jpg
写真:西側(ラングシャイドの町側)から見たゾルペダムの堤。
現在は街灯の灯るレクリエーションエリアだが、攻撃の翌日には再攻撃を防ぐ為3.7cm対空砲と阻さい気球が配備された。
51 21 3 N 7 58 7 E

第三波の1機、AJ◎Sは0200頃、低空を飛びすぎて地面に接触して墜落、アップキープは時限装置が作動して爆発した。搭乗員は全員死亡。
目撃者によるとサーチライトが低空飛行する機体を捕らえ、逃れようとしたパイロットが高度を下げて墜落したらしい。対空砲は全く発射していないので「サーチライトによる撃墜」という珍しい戦果だ。

別の1機、AJ◎Cは離陸後、リスターダム攻撃の命令を受けるがドイツ上空で対空砲火の餌食となり、0235にハム郊外で墜落した。墜落の衝撃で機体後部が分離した。アップキープの時限装置が作動し、機体は炎に包まれた。
後部銃手のティース軍曹は負傷して捕虜となり、他のクルーは全員死亡した。

AJ◎Yはディーメルダムに向かったが霧が出てきて地上目標が見えなくなり、任務を放棄せざるを得なかった。
0530に基地に戻ったが、AJ◎W同様、命令に反してアップキープを積んだまま着陸した。

AJ◎Oは単独でエンネペダムを攻撃した。
エンネペダムはダム湖の真ん中に中州があり、真正面からのアプローチを難しくしていた。

19430517_dambusters_20.jpg
写真:満水状態のエンネペダム湖。ダム壁に真正面から向かうコースには中洲があり、AJ◎Oは写真向かって中州右から進入してきた。
51 14 29N 7 24 40 E

アップキープに回転をかけるとバランスが上手くとれていないのか振動し、機体も震えだした。
3回コースに乗せようとしたが上手くいかず、4回目でアップキープを投棄した。
水面を2回跳ねた後、ダム壁手前50mで沈み、0338に爆発した。
ダムに被害は無かった。

19430517_dambusters_21.jpg
写真:攻撃を受けたが被害の無かったエンネペダム。
攻撃の翌朝、アップキープの爆発で死んだ魚を採りに近所の人が沢山訪れた。魚は採り放題だった!

AJ◎Oは0613に着陸し、これをもって一夜限りの攻撃、チャスタイズ作戦は完了した。
メーネ、エダーの2つの巨大ダムを決壊させることに成功したが、作戦に参加した19機中、8機が失われ、搭乗員53名が死亡、3名は捕虜と損害も大きかった。

作戦に従事したクルー34名がバッキンガム宮殿に呼ばれて勲章を授与された。
特にギブソンはダム破壊作戦のリーダーシップと、後続の攻撃機から対空砲火をそらす為に自ら囮になった勇気が評価され英連邦軍最高栄誉であるヴィクトリア勲章を授与された。
カナダ、アメリカに凱旋し有名人となり、自伝を執筆、政界入りの話も出たが、結局英空軍に残った。
1944年9月14日、第5飛行集団所属のギブソン中佐は第627飛行中隊所属モスキートで出撃(飛行集団直属の機体が飛べなかったので借りた)、ドイツのメンヒェングラートバッハおよび隣接するライト爆撃の夜間パスファインダーのミッションを終え帰投途中、オランダのステーンベルゲンで墜落死した。墜落原因は謎のままだ。

19430517_dambusters_22.jpg
写真:ギブソンが戦死したオランダにある博物館、Wings of Liberation の、ガイギブソンコーナーの展示。左手に持っているのはパイプ。壁にはヴィクトリア勲章(無論レプリカでしょうが)

メーネ、エダーダム決壊による被害は死者1400名以上だが、その内、493名はウクライナから強制労働で連行されてきた女性だった。
畑の浸水4000ヘクタール以上、死んだ家畜6000匹以上。
炭鉱が浸水したり、工場が操業出来なくなる被害も多く、工業用水の不足もあり1943年後半のルール地方の鉄鋼生産量は前半に比べ8%低下したというデータがある。
エダーの方が流出した水量が多いが、下流に人口密集地、工業地帯をかかえるメーネの方が被害は大きかった。
ダム及び橋梁の補修はトッド機関が行い、大西洋の壁(Atlantikwall)建設に必要な人員を多量に回したこともありメーネ・エダー両ダムともに1943年10月初頭には修復されたが、再び満水になるまでには3年の歳月を要した。

その後2度とアップキープを使った攻撃は実施されなかった。まさに一夜限りの攻撃である。
ダムの攻撃を実施した第617飛行中隊は、その後同じくウォリス博士の発明した地震発生爆弾、トールボーイやグランドスラムの投下ミッションに従事した。使用したのはやはり改造ランカスターだった。
現在も第617飛行中隊は存続し、パナビア・トーネード戦闘機を運行している。



この作戦は「暁の出撃」という邦題(英語名はずばりThe Dambusters)で1955年に映画化されている。
長らくDVD化されなかったが、やっと登場したので早速レンタル屋で「新作料金」(何でじゃ...)を払って借りて見た。
日本語字幕の翻訳がとにかく酷い。わん公の名前がトリガーって....!? 黒人団体に遠慮した確信犯?
飛行可能なランカスターが登場し、それらしくアップキープを搭載しているが、まだ機密解除されていない時代なので巨大なケース付として描かれている(ケースの破損に悩まされたのは事実だが、史実では結局ケース無しで投下している)。
バックスピンをかけることは機密だったのか、単に投下するのみに見える。
実写、記録フィルム、模型を組み合わせた白黒映像の映画は時代を感じさせるが、実機の存在感は現代のCGにはない説得力がある。
ランカスターがダム上空を超低空で飛ぶのは圧巻。
後に大スターになるロバートショーが、ギブソン隊長機AJ◎Gの機関士、パルフォード軍曹役で出ている。
ストーリーは実話ベースだが映画としてまとめる上で誇張、省略、嘘があるのは仕方の無いところ。
決壊できなかったから仕方ないけどゾルペ、エンネペダム攻撃は完全にスルーされている。
最近リメイクの話があったが結局どうなったのだろう。

19430517_dambusters_23.gif
資料1:攻撃時の飛行ルートと損失機墜落場所。
ルートの色、ダムの色は下の表に対応。


資料2
19430517_dambusters_24.gif

資料3:攻撃目標のダム緒元
ダム名
ダム堤座標
水系
型式
工事期間
総貯水量
億立方m
堤高
堤長
主要用途
ディーメルダム
51 22 40 N
08 43 41 E
フルダ川 重力ダム
1912
1923
0.2
42m
194m
洪水防止
発電
レクリエーション
エダーダム
51 11 00 N
09 03 30 E
フルダ川 重力ダム
1908
1914
2.0
47m
400m
運河水位調整
洪水防止
発電
レクリエーション
エンネペダム
51 14 29 N
07 24 34 E
ルール川 重力ダム
1902
1904
0.13
51m
275m
飲料水源
リスターダム
51 05 39 N
07 50 15 E
ルール川 重力ダム
1908
1912
0.22
40m
240m
飲料水源
発電
レクリエーション
メーネダム
51 29 24 N
08 03 34 E
ルール川 重力ダム
1908
1913
1.35
40m
650m
飲料水源
洪水防止
発電
ゾルペダム
51 21 04 N
07 58 06 E
ルール川 アースダム
1926
1935
0.7
60m
700m
発電
レクリエーション
洪水防止
飲料水


資料4:攻撃に参加した機体とクルー

AJ◎G/ED932 第一次攻撃隊リーダー機 帰還

機長:ギブソン中佐
航法手:タエラム少尉(カナダ空軍)
爆撃手:スパッフォード少尉(オーストラリア空軍)
機関士:パルフォード軍曹
無線手:ハッチンソン大尉
前部銃手:ディーリング曹長(カナダ空軍)
後部銃手:トレバーローパー大尉

AJ◎M/ED925 第一次攻撃隊 被撃墜

機長:ホップグッド大尉 (死亡)
航法手:アーンショー中尉(カナダ空軍) (死亡)
爆撃手:フレーザー曹長(カナダ空軍) (捕虜)
機関士:ブレナン軍曹 (死亡)
無線手:ミンチン軍曹 (死亡)
前部銃手:グレゴリー少尉 (死亡)
後部銃手:ブーチャー少尉(オーストラリア空軍) (捕虜)

AJ◎P/ED909 第一次攻撃隊 帰還

機長:マーチン大尉
航法手:レッゴ大尉(オーストラリア空軍)
爆撃手:ヘイ大尉(オーストラリア空軍)
機関士:ホイッタカー少尉
無線手:チャンバース中尉(ニュージーランド空軍)
前部銃手:フォックスリー少尉(オーストラリア空軍)
後部銃手:シンプソン曹長(オーストラリア空軍)

AJ◎A/ED877 第一次攻撃隊 サブリーダー機 被撃墜

機長:ヤング少佐 (死亡)
航法手:ロバーツ曹長 (死亡)
爆撃手:マックカウスランド中尉(カナダ空軍) (死亡)
機関士:ホースフォール軍曹 (死亡)
無線手:ニコルス軍曹 (死亡)
前部銃手:イェオ軍曹 (死亡)
後部銃手:イボットソン軍曹 (死亡)

AJ◎J/ED906 第一次攻撃隊 帰還

機長:モルトバイ大尉
航法手:ニコルソン軍曹
爆撃手:フォート少尉
機関士:ハットン軍曹
無線手:ストーン軍曹
前部銃手:ヒル軍曹
後部銃手:シモンズ軍曹

AJ◎Z/ED937 第一次攻撃隊 被撃墜

機長:モーズレー少佐 (死亡)
航法手:アーカート中尉(カナダ空軍) (死亡)
爆撃手:フラー少尉 (死亡)
機関士:マリオット軍曹 (死亡)
無線手:コッタム准尉 (死亡)
前部銃手:ティサーレイ中尉 (死亡)
後部銃手:ビュロース軍曹 (死亡)

AJ◎L/ED929 第一次攻撃隊 帰還

機長:シャノン大尉(オーストラリア空軍)
航法手:ウォーカー中尉(カナダ空軍)
爆撃手:サンプター曹長
機関士:ヘンダーソン軍曹
無線手:グッデール中尉
前部銃手:ジャッガー軍曹
後部銃手:バックレー中尉

AJ◎N/ED912 第一次攻撃隊 帰還

機長:ナイト少尉(オーストラリア空軍)
航法手:ホッブデイ中尉
爆撃手:ジョンソン中尉
機関士:グレイストン軍曹
無線手:ケロー曹長(オーストラリア空軍)
前部銃手:スザーランド軍曹(カナダ空軍)
後部銃手:オブライエン軍曹(カナダ空軍)

AJ◎B/ED864 第一次攻撃隊 墜落

機長:アステル大尉 (死亡)
航法手:ウァイレ少尉(カナダ空軍) (死亡)
爆撃手:ホプキンソン中尉機関士:ニンニア軍曹 (死亡)
無線手:ガーショウィッツ准尉(カナダ空軍) (死亡)
前部銃手:ガーバス曹長(カナダ空軍) (死亡)
後部銃手:ボリッソ軍曹 (死亡)

AJ◎T/ED825 第二次攻撃隊 リーダー機 帰還

機長:マッカーシー大尉(カナダ空軍)・アメリカ人
航法手:マックリーン中尉(カナダ空軍)
爆撃手:ジョンストン軍曹
機関士:ラドクリッフェ軍曹
無線手:イートン曹長
前部銃手:バトソン軍曹
後部銃手:ロジャー中尉(カナダ空軍)

AJ◎E/ED927 第二次攻撃隊 墜落

機長:バーロゥ大尉(オーストラリア空軍) (死亡)
航法手:バーゲス中尉 (死亡)
爆撃手:ジレスピー少尉 (死亡)
機関士:ウィリス少尉 (死亡)
無線手:ウィリアムス中尉(カナダ空軍) (死亡)
前部銃手:グリンツ中尉(カナダ空軍) (死亡)
後部銃手:リッデル軍曹 (死亡)

AJ◎K/ED934 第二次攻撃隊 被撃墜

機長:バイヤース少尉(カナダ空軍) (死亡)
航法手:ワーナー中尉 (死亡)
爆撃手:ウィッタカー少尉 (死亡)
機関士:テーラー軍曹 (死亡)
無線手:ウィルキンソン軍曹 (死亡)
前部銃手:ジャービー軍曹 (死亡)
後部銃手:マックダウエル曹長(カナダ空軍) (死亡)

AJ◎H/ED936 第二次攻撃隊 帰還

機長:ライス少尉
航法手:マックファーレーン中尉
爆撃手:スレーシャー准尉
機関士:スミス軍曹
無線手:ゴゥリー准尉(カナダ空軍)
前部銃手:メイナード軍曹
後部銃手:バーンズ軍曹

AJ◎W/ED921 第二次攻撃隊 帰還

機長:ムンロー大尉(ニュージーランド空軍)
航法手:ランブスル中尉
爆撃手:クレイ軍曹
機関士:アップルバイ軍曹
無線手:ピジョン中尉(カナダ空軍)
前部銃手:ホワース軍曹
後部銃手:ウィークス曹長(カナダ空軍)

AJ◎Y/ED924 第三次攻撃隊 帰還

機長:アンダーソン曹長
航法手:ナジェント軍曹
爆撃手:グリーン軍曹
機関士:パターソン軍曹
無線手:ビックル軍曹
前部銃手:エワン軍曹
後部銃手:バック軍曹

AJ◎F/ED918 第三次攻撃隊 帰還

機長:ブラウン曹長(カナダ空軍)
航法手:ハール軍曹
爆撃手:オアンシア軍曹(カナダ空軍)
機関士:フェネロン軍曹
無線手:ヒューストーン軍曹
前部銃手:アラットソン軍曹
後部銃手:マクドナルド曹長(カナダ空軍)

AJ◎O/ED886 第三次攻撃隊 帰還

機長:タウンゼント曹長
航法手:ハワード少尉(オーストラリア空軍)
爆撃手:フランクリン軍曹
機関士:パウエル軍曹
無線手:チャルマース曹長
前部銃手:ウェッブ軍曹
後部銃手:ウィルキンソン軍曹

AJ◎S/ED865 第三次攻撃隊 被撃墜

機長:バーピー少尉(カナダ空軍) (死亡)
航法手:ジェイン軍曹 (死亡)
爆撃手:アーサー曹長(カナダ空軍) (死亡)
機関士:ペグラー軍曹 (死亡)
無線手:ウェラー少尉 (死亡)
前部銃手:ロング軍曹 (死亡)
後部銃手:ブラディ准尉(カナダ空軍) (死亡)

AJ◎C/ED910 第三次攻撃隊 被撃墜

機長:オットレー少尉 (死亡)
航法手:バーレット中尉 (死亡)
爆撃手:ジョンストン曹長 (死亡)
機関士:マースデン軍曹 (死亡)
無線手:グターマン軍曹 (死亡)
前部銃手:ストレンジ軍曹 (死亡)
後部銃手:ティース軍曹 (捕虜)



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