泰緬鉄道
Death Railway


19431017_DeathRailway13.jpg

これがいわゆる「戦場にかける橋」、メークロン川の支流であるクウェー ヤイ川川にかかる旧泰緬鉄道の鉄橋。
イベントの為ライトアップされ、観覧席、日本軍見張りの塔、病院などが設けられている。
橋は今やタイ王国の貴重な観光資源になっている。
14 2 27 N 99 30 13 E



大東亜戦争中、日本軍にとって西の防衛線であるビルマ戦線。
ここに兵や軍需物資を送る為にシンガポールからビルマを結ぶ鉄道が必要となり、
タイ〜ビルマ(現ミャンマー)間に日本軍が敷設したのが泰緬鉄道(英語:Thai Burma Railway通称Death Railway)。
この工事の為に連合軍捕虜(英、米、豪、蘭)6万名と、現地賃金労働者(タイ、中国、インドネシア、ビルマ、マレー、中国など)20万名が集められ、過酷な労働条件やマラリア・脚気などの病気で4割が命を落としたとも言われるが、1942年6月着工、1943年10月開通という驚くべきスピードで全長400kmを超える路線を開通させた。

19431017_DeathRailway17.jpg
バンコク方面から列車で来ると、ノンプラドックジャンクション駅の先で、南線本線から支線であるカンチャナブリ線及びスパンブリ線が分岐する。
通過する対向上りの南線寝台列車(中国製)を牽引するのは、タイ国鉄4504号 日立製作所製のHDI型。

写真右端の石板は、泰緬鉄道起点駅を記念するもので、「1942年9月16日ここノンプラドック駅から建設が開始されました」と記載されている。
13 49 05 N 99 54 40 E

19431017_DeathRailway09.jpg
クウェー ヤイ川にかかる旧泰緬鉄道の鉄橋を渡る下りの観光列車。
橋桁は、円弧型のトラス構造になっているのが戦争中にかけられたオリジナルの部分で、台形トラス構造で作られている中央2径間が、戦後日本企業が架け直した部分。

橋のあるカンチャナブリー付近は1957年の映画「戦場にかける橋」ですっかり有名となり、完全に俗化した観光地となっている。
この映画、作品賞をはじめとしてアカデミー賞7部門受賞という歴史に残る名作だが、
映画では橋はイギリスの技術で作ったことになっている(実際には日本の技術)
映画では英軍捕虜が進んで橋の建設に参加(実際には捕虜は資材運びが主な仕事で、サボタージュの様なこともそれなりにしたらしい)
映画では脱走不可能なジャングルの奥地(実際にはバンコク方面に殆ど平地。ただ、白人が脱走すると目立ってしょがないだろうが...)
映画では英特殊部隊の仕掛けた爆薬により橋が列車もろとも破壊(実際には米陸軍航空隊主体の空爆による破壊と修復を繰り返した)
といった点で事実と著しく異なり、米・英・日いずれにとっても見方によっては失礼な映画でもある。
この映画、原作がフランス人(フランス人には失礼極まりない人が多い)だからなのかもしれないが、所詮はフィクションと割り切るしかない。
ちなみに原作者ピエール・ブールは猿の惑星の原作でも有名。

一方、2013年製作の「レイルウェイ 運命の旅路」は原作者の実体験に基づく映画。
この映画、私は出張で乗ったタイ航空の機内で見た。
鉄橋やアルヒル桟道橋、ヘルファイアーパスなどが登場し、タイの観光案内も兼ねている感じの映画だが、その地味さ、重さ、史実への忠誠さといった点で、良くも悪くも戦場にかける橋とは対極の映画。
オリジナルのタイトルはRailway Manで、これは電車男とは関係なく、鉄オタ、鉄ちゃんというような意味。
主人公の英軍通信兵は「乗り鉄」「時刻表鉄」で、泰面鉄道の記録を付けた為に日本軍の拷問を受ける。

捕虜よりも現地徴用の工夫の犠牲の方が大きかった点は両方の映画でスルーされているが、これは映画のストーリー上しょうがないので予備知識として勉強しておくしかない。

あと、「戦場にかける橋」の続編でも何でも無いのだが極めて紛らわしいタイトルの、「戦場にかける橋2/クワイ河からの生還」(1989年)は太平洋戦争末期、カンチャナブリから日本に移動させられる連合軍捕虜の話。
これ、DVDが出ておらず、世間の評判も今ひとつ悪い(というか戦場にかける橋の続編・類似作品というだけでハードルは高くなる)のでずっと未見だったのだが....
結論から言うと見てよかった。B級一直線かと思ったらそんな事は無く、少なくとも主演は最初から最後まで人道主義を貫く軍医役のエドワードフォックス(「ジャッカルの日」でお馴染み!ジャッカルの日は死ぬほど面白い)でなかなかのもの。
その周りを囲むのが仲代達矢(人道派だが酔っ払いというとんでもないキャラ)、スタートレックのミスターカトーでお馴染みジョージ武井、インディジョーンズのブロディ教授のイメージしかないデンホルムエリオット(何しに出てきたんだ...)。
しかしエキストラ級となると綺麗な英語の発音で「英語話しません」という日本兵とか、どう見ても日本兵には見えない色黒丸顔の兵士とか、妙に綺麗な民族衣装(モン族のつもり?)を着てゲリラ戦に参加する地元民とか怪しい映画の香りが。
それよりもこの映画、車輌等が面白い。決してB級だから、という訳ではなくそれなりに頑張っているのだろうが、いきなり日本軍の軍用車輌にトヨタFQ15L型3/4トン4輪駆動トラック。2輌出演する。
橋を攻撃する米軍機及び、米陸軍航空隊のパイロットが奪って逃げようとする日本海軍機「ゼロ戦」は共にT-28トロージャンが一人二役を演じている。操縦席に「故障中」の荷札には笑わせてもらいました。そんなの隔離して早く修理しろよ。
日本に輸送される「ぶらじる丸」(徴用貨物船「伯刺西爾丸」を想定か?)の護衛に付いているのはフィリピン海軍のPS-19ミゲル マルバー級コルベット。元々は米海軍PCE(R)-852として1944年に就役した警備救助艦で、その後1966年に南ベトナム海軍に移り、1975年ベトナム戦争終結に伴いフィリピンに亡命し、そのままフィリピン海軍の所属となり2018年現在も就役している。
同型艦は68隻作られ、内11隻がフィリピン海軍で使われており、5隻が現役という。
カンチャナブリからシエムリエップを抜けてサイゴンまで兵を輸送する列車を牽引する蒸気機関車は「C5623」のプレートと713の車輌番号(他に719も確認出来る)を記入しているが、どこかの国の標準軌の保存鉄道を撮影に使っている模様。ご丁寧にテンダー車にタイ文字が記入されているのでタイ国鉄のC56動態保存機関車を模しているという訳。何で戦争中の仕様にしないのかな?

19431017_DeathRailway28.jpg
橋のたもとにある記念碑。
タイ及びビルマで泰緬鉄道建設に関わったアメリカ兵捕虜約700名、また特にその中で病気、栄養失調、過労、虐待で命を落とした356名を記憶するもの。
タイ人の女性が声に出して英語を読み上げていた。英語の勉強頑張って下さい。絶対役立ちますから...
14 02 30 N 99 30 14 E

19431017_DeathRailway35.jpg
橋は歩いても渡れる。
ここを訪問するのは欧米人、次いで中国系が多く、日本人は少ない。
折角日本軍がかけて、日本企業が補修した橋なのに...
大抵の人は途中で引き返すので、カンチャナブリーの対岸まで渡りきると静か。

19431017_DeathRailway30.jpg
カンチャナブリ駅寄りの橋柱は、爆撃の損傷を修復したのか、パッチだらけ。

19431017_DeathRailway26.jpg
列車が徐行で橋を渡る。
機関車はフランス・アルストム社製の4110号。

19431017_DeathRailway29.jpg
現在の終点駅、ナムトックに向かって下り列車が去って行く。

19431017_DeathRailway16.jpg
イベントで、日本の国旗を掲げた蒸気機関車がライトアップされた橋を上り方向に渡る。
車両はSRT(タイ国鉄)の日本製C56で2輌を動態保存している。

19431017_DeathRailway14.jpg
最初にかけられたのは木造の橋で、、鉄橋の下流100mの所に作られた。
戦争博物館の建物内に一部が保存されている。
この橋は泰麺鉄道の建設資材を運ぶのに使われたが、上流に鉄橋が完成し、その後泰緬鉄道が開通すると、木造の橋、鉄橋が並行して使われた。

19431017_DeathRailway05.jpg
現在かかっている鉄橋の上から、下流方向を見る。
写真左端に戦争博物館の建物が見える。
そこから前記の、最初の木造の橋がかかっていた。
泰緬鉄道の多くの部分はジャングルを通るので爆撃が難しく、連合軍は開けた川にかかる2本の橋を狙った。
無論日本軍も橋の重要性を熟知しており高射砲で守りを固めていた。
双方の橋は何度も爆撃を受け破壊され、日本軍は橋を修復する間、無事なもう片方の橋をバックアップとして使った(鉄橋の方が耐荷重は大きい)。

1945年4月3日未明、ライネメン機長以下10名のクルーが搭乗する米陸軍航空隊第7爆撃大隊436爆撃中隊のB-24J 62番機がインドを離陸した。
機体は受領したばかりの新品だった。
途中、月明かりの無いビルマ上空で日本軍戦闘機1機が何故か編隊を組んできてしばらく一緒に飛んだが、攻撃してくることはなく、B-24も機銃を発射しなかった。
やがて戦闘機は離脱していった。あるいはB-24に気付かなかったのかもしれない。
予定では日本軍の対空砲陣地を制圧するため別のB-24が先行して対人爆弾を投下しているはずだったが、朝0900にカンチャナブリの橋に到達してみると先行機が到達した様子は無かった。
長距離ミッションの為燃料が足りなくなるのを恐れ、先行機の到着を待たず、すぐに橋の攻撃に移った。
高度6000フィートで、木造の橋と並行に飛んだ。
日本軍の対空砲火は最初の内、狙いがはずれていて余り心配しなかった。
投下タイミングがずれると近くの捕虜収容所に落ちてしまう。慎重にタイミングを計り、1000ポンド爆弾を木造橋めがけて2発投下した...はずだったが、1発しか落ちなかった。
しかしこの1発は橋に命中し、明らかにダメージを与えた。
旋回して2回目の攻撃に移った。
日本軍の対空砲火は相変わらず外れていたが、炸裂は前よりすこし近づいていた。
今度は爆弾2発を投下したが至近距離で外れた。
再度旋回して3回目の攻撃に入る。
3度目ともなると日本軍は高射砲の狙いが正確になり、ついに砲弾の炸裂に囲まれた。
残り3発全部を投下した。これも極至近距離で外れたが、最初のダメージをカメラで記録すべく、しばらく橋と並行に飛行した。撮影が終わり離脱しようとしたその時、高射砲の砲弾が命中し爆弾槽の扉(B-24のはシャッター式になっている)、右垂直尾翼の一部と右翼端約1mが吹っ飛んだ。更に無線機もやられたが奇跡的にクルーは無傷だった。
命中弾を受けたことにより機は右に降下をはじめた。
ライネメン機長は最初、エンジンがやられたものと思ったがエンジンは無事だった。
何と、エルロンが(ケーブルを切られたのか?)利かなくなっていたのだ!
B-24は非常に安定性が悪く、エルロンが使えない状態での飛行は無理と言われていた。
この点、信じられない程のダメージを受けても帰還することの多いB-17の方が信頼が厚かったが、航続距離はB-24の方が有利だった。
何とかエンジンのパワーと昇降舵で機体を水平に保ったが、クルーは脱出の用意をした。
しかしここは敵地奥深く、味方の前線とは1500km以上離れている。しかし機体は何とか飛んでいる。
降下した時に速度が増し、それによりラダーが(エルロン無しでも)充分に効くようになり、何とかコントロール出来ることが判った。
そうなればすぐに脱出せず、味方前線に出来るだけ近づいた方が良い。
山を避けるように高度をあげ、かつラダーの利きが悪くならないよう速度低下に気をつけながら、敵地タイ、ビルマ上空を抜けた。
何とかビルマの北西、現バングラデッシュの、コックスバザールにある英軍基地上空にたどり着いた。
しかし滑走路両側には爆撃機の隊列が並んでいる。コントロールの悪い機で着陸に失敗したら大変な事になる。
飛行場への着陸は諦めて並行するビーチの浅瀬に機を不時着水させた。
機尾銃手と爆撃手が軽症を負ったものの、全員機から脱出した。
新品だったB-24は失われたが、目標の橋の破壊は出来た。
しかし結局、同年6月まで泰緬鉄道は運行していた。

19431017_DeathRailway01.jpg
ライネメン以下10名が木造の橋の攻撃に使ったのと同型のB-24J
アメリカ・カリフォルニア州の公開イベントで撮影。

19431017_DeathRailway21.jpg
難所の一つ、チョンカイの切り通し。
荒削りの壁面が残る。画面左はクワイ川。
13 59 52 N 99 30 23 E

19431017_DeathRailway20.jpg
チョンカイの切り通しを反対側から撮影。下り列車が近づいてくる。

19431017_DeathRailway04.jpg
踏み切りでみかけた旧泰緬鉄道を走る下りの観光列車。

19431017_DeathRailway18.jpg
カンチャナブリ駅で見かけた、イースタン& オリエンタル・エクスプレスの車両。
バンコク〜シンガポール間を運行し、カンチャナブリ線にも乗り入れている。
2014年にはカンチャナブリ線で脱線事故を起こし、日本人女性二人が怪我をしている。
更に翌年、牽引しているアルストム機関車が燃えるというハプニングが。

3000米ドルを越える価格設定になっている。ドレスコードあり。乗りたい人はどうぞ。
ぷらっとこだま 品川〜新大阪 グリーン車が人生最大の豪華長距離鉄道旅行である私にとっては恐らく一生縁の無い乗り物。
ちなみに大阪からの帰りは新幹線より安いLCCとしたのは言うまでもない。

19431017_DeathRailway11.jpg
ナムトック線の引込み線脇で見かけた保線車。宮城県、岩手県を走る大船渡り線で使われていたものらしく、ドラゴンレールのキャラクタが描かれている。

19431017_DeathRailway02.jpg
工事の難所の一つ、ヘルファイアーパスへと下る道を博物館の見晴台から見下ろす。
奥に見える山の先はミャンマー(旧ビルマ)。
戦後、この付近の泰緬鉄道は線路が撤去されジャングルに戻りつつあったが、オーストラリア人の元戦争捕虜が自分の働いていた場所を探し出し、博物館を設立して廃線跡をハイキングコースに整備した。

19431017_DeathRailway03.jpg
ヘルファイアーパスへ向かうハイキングコースは廃線跡。
線路のレールは鉄材として殆どが売却されたが、当時の枕木が所々に残る。
普段の戦跡訪問は自力で訪れているのだが、さすがに今回は路線バスに乗る時間やタイで車を運転する自身がなく、バンコクからの日帰りガイドツアーにした。
英語のツアーも検討したが何故か値段が高く(どうやらタイでは日本人よりも欧米人の方が高くふっかけられているみたい...)日本語のツアーにした。
数社・数パターンから選べるが、日本人向けでヘルファイアーパスまで行くツアーはマイナーなのか、私達夫婦ともう人家族だけでのこじんまりしたツアーだった。
緑の服の人が、日本語を話す現地人ガイド。
しかし、マニアックなツアーの為か鉄道や橋、切り通しについての知識は事前に当然勉強してる、という前提らしく、ガイドからの説明は殆ど無し。まあ別にいいけど。

19431017_DeathRailway06.jpg
ヘルファイアーパスの切り通し。
ヘルファイアーパス(地獄の篝灯峠)の名は、昼夜を問わない交代制の突貫工事で、夜の作業場を照らすかがり火に浮かび上がる衛兵、労働作業に従事する捕虜のシルエットの様子から名付けたという。
14 21 26 N 98 56 58 E

19431017_DeathRailway15.jpg
70年以上前に架けられた、アルヒル桟道橋を最徐行で進む上りの観光列車。
機関車は米国GE社製。
この日の乗客は殆どタイ人だった。
14 6 13 N 99 10 5 E

19431017_DeathRailway24.jpg
アルヒル桟道橋を見上げる。
どこまでオリジナルなのか、補修はどの程度まで実施されているのか?

19431017_DeathRailway25.jpg
列車が来ない時は観光客が徒歩で散歩する。

19431017_DeathRailway23.jpg
タムクラセー駅を出発して、桟道橋を渡る下り列車。
右を流れる川はクウェー ノーイ川。
ビルマ(現ミャンマー)との国境近くまで、概ねこの川に沿って線路が敷かれていたが、現在は途中のナムトックで終点、その先は線路が撤去されており廃線跡の一部はダムの底に沈んでいる。

19431017_DeathRailway22.jpg
カンチャナブリを紹介する観光案内に必ず登場する定番のアングル。
列車と岩肌はギリギリ。木の橋は軋んで音を立てる。
機関車4307号はフランス・アルストム社製。

19431017_DeathRailway19.jpg
19431017_DeathRailway12.jpg
泰緬鉄道をかつて走っていた蒸気機関車。
上の写真は1935年に日本の汽車製造で作られたC5617(現タイ国鉄715号)。
下の写真はC5617に背中合わせで連結されているC5615(現タイ国鉄713号)。
両車輌共に動態保存されている。
いずれも日本の国鉄用に作られたが、軍に徴用されタイに持ち込まれたもの。
泰緬鉄道をはじめとして、タイ国鉄の線路幅は1000mmなので、日本の国鉄の線路幅1067mmに対し、車輪を内側方向に厚くし、フランジを内側に寄せる改造が取られた。
動輪が線路から外側にはみ出して見えるのはこのため。
このほか日本軍に徴用されタイに持ち込まれたC56の多くはタイに静態保存されている。
また、靖国神社のC5631(静態)、大井川鐵道のC5644(動態)の機関車もタイで走っていたもの。
燃料が日本の石炭とは違い、薪木を搭載しているのが判る。
バンコク中央駅にて撮影。

19431017_DeathRailway32.jpg
こちらはクウェー川鉄橋駅横に静態保存展示されているC56の23号車 タイ国鉄749号。
米語でカウキャッチャーと呼ばれる赤いスカートは日本の国鉄で使われたC56には無いもので、タイで取り付けられたもの。
靖国神社の遊就館に現在展示されているC5631が泰緬鉄道開通式で走った時の写真では装備されていないので、それ以降に取り付けられたものだろう。
私が旧泰緬鉄道の路線に乗ったときも、線路にいた半ば放し飼いの牛が列車に追い立てられて逃げていたので、カウキャッチャーはタイでは必須装備なのだろう。
余談だがタイで買える牛肉の内、濠米日からの輸入品は高価で、国産はイマイチ固い。

19431017_DeathRailway31.jpg
バンコク中央駅に静態保存展示されているC56 タイ国鉄714号。
タイでは、主要駅の構内または駅前に退役した蒸気機関車を展示しているケースが多い。

19431017_DeathRailway37.jpg
タイの映画博物館に展示されているC56の47号、タイ国鉄738号。
プレートはフェイク?

19431017_DeathRailway10.jpg
日中戦争以降、日本陸軍に於ける標準的なトラックであった九四式六輪自動貨車をベースにした一〇〇式鉄道牽引車。内装、エンジン、前輪周り等部品欠落が多く屋外展示で状態は良くないのが残念。
牽引しているもの、及び車体前部を乗せているのは九七式軽貨車。
クウェー川鉄橋駅横に展示されている。

19431017_DeathRailway07.jpg
捕虜の生活の様子を絵や記録で伝えるJEATH博物館。白人の団体ツアー客が続々と入場。
14 0 59 N 99 31 50 E

19431017_DeathRailway33.jpg
カンチャナブリにある、日本軍鉄道隊が建てた犠牲者(南方各国労務者と捕虜)の霊を慰める慰霊碑。とは言っても日本人しか来ないようだが。
14 2 29 N 99 30 20 E

19431017_DeathRailway34.jpg
反対側の碑文には
「泰緬連接鉄道建設の間、不幸にも病にたおれた南方各国の労務者及び俘虜の為、此の碑を建て、恭しくその霊を慰む
昭和十九年二月 日本軍鉄道隊」
(元は旧字旧文体)と彫られている。

そして、こんな所にもあの棒が... ちなみに敷地に2本あった。
そんなに世界人類平和したければ北朝鮮に立ててみろ、といいたい。

19431017_DeathRailway08.jpg
カンチャナブリ駅前にある、連合軍(英連邦、オランダ)兵士の墓地。
太平洋戦争中はこの場所に捕虜のキャンプがあった。
14 1 53 N 99 31 31 E
泰緬鉄道沿いにある3箇所の墓地の内最大のもので、英連邦軍兵約5000名、オランダ軍兵約1800名を埋葬。
駅前ということもあり多くの観光客が訪問する。

19431017_DeathRailway27.jpg
こちらはチョンカイの切り通しの近くにある連合軍(英連邦、オランダ)兵士の墓地。
(墓地を2箇所に分ける意味があるのか?...)
ここも捕虜キャンプ跡地で、当時から埋葬場として使われていた。
英連邦軍1400名、オランダ軍300名を埋葬。
こちらは訪問する人は殆どいない。
14 0 19 N 99 30 52 E

19431017_DeathRailway36.jpg
おまけ その1。
タイ国鉄で動態保存している蒸気機関車が走る。
先頭はタイ国鉄824号 パシフィック 1949年川崎重工製で、その後ろに逆向きにタイ国鉄850号 パシフィック 1949年川崎重工製を連結している。
年4回決まった日に観光用に蒸気機関車を運行しているが、その時はC56ではなく専らパシフィック形が使われている様だ。
私は鉄道の写真を撮る、鉄道で旅をする、登山列車に乗る、鉄道博物館を見る、鉄道を舞台にした映画を見る、などはそれなりに好きなのですが、別に鉄では無いので、ゆる〜く適当にやってます。
例えば、蒸気機関車と犬とどっちが好きか、と聞かれたら「犬」と答える、その程度です。
ですから犬と蒸気機関車と両方を同時に撮影する期会に恵まれれば、つい犬の方にピントを合わせてしまいます。
19431017_DeathRailway39.jpg
19431017_DeathRailway40.jpg
おまけ その2。
バンコク駅近くに展示(というか放置)されている装甲列車とその内部。
13 44 42 N 100 31 00 E
イギリス製という。M2型12.7mm機銃を装備している。
その気になれば簡単に脱線させられる鉄道において、装甲列車がどの程度役立つのであろうか?
でも、これ、現在の日本で列車の運転妨害する一部の撮り鉄の牽制用には使えるんでないか?
特別列車やイベント列車、レアな列車の先頭に装甲列車を連結して、線路に侵入する人に銃を向け、場合によっては放水や空砲威嚇射撃をしながら運転....撮り鉄とは違ったマニアも集まりそうだ。
大井川鐵道機関車トーマスの先頭に装甲列車とか、考えただけでも胸踊る。
ガキ共は夢壊されて泣きやまないかもしれないけど...




戦跡散歩Home

Copyright 2009 Morimoto, Makoto : All Rights Reserved.
本ページの写真、文章の無断転載をお断りいたします。

inserted by FC2 system