建設はトート機関が行った。しかし結局、充分に防衛線強化が出来ない内に、連合軍のノルマンディ上陸作戦が始まってしまう。ここではノルマンディ上陸ビーチ以外の大西洋の壁の現在を紹介する。特に英仏海峡が最も狭くなるカレー地区は防衛施設が密に配置されていた。 |
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トート機関は軍民双方の建設を請け負った。 当初はドイツ人の失業対策としてアウトバーン建設を行ったが、その後は強制徴用のフランス人、捕虜などの人員を使った。トート砲台の博物館にて。 |
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野外博物館として見学出来る。 51 12 06 N 2 50 48 E |
約90m×14mと横長で、内部は20の部屋に分かれている。 現在は戦争博物館になっている。 50 57 08 N 1 51 02 E |
晴れた日には対岸の、いわゆる「ドーバーの白い壁」が余裕で見える。 当然、ドイツ軍もイギリス軍もここの防御・攻撃を最大限にして、お互い陸地を攻撃したり通過する艦船を攻撃したりした。 フランスを占領したドイツ軍にとって、カレー近辺は連合軍の上陸も予想されており、特に防御が強化されていた。実際に上陸が行われたノルマンディと比べると、海岸線防御の密度が違うのが体感できる。 50 52 03 N 1 34 54 E |
砲はクルップの40.6cm SKC/34。コンクリートの厚さは4mに及び、度重なる爆撃にも耐えた。 警備兵の人形はタミヤ1/35 ドイツ歩兵セットに入っている兵隊だろう。これって50年も前の金型。今でも売ってる。 ちなみに大口径沿岸砲はドイツ海軍が運用していた。 |
50 50 39 N 1 35 60 E |
トート砲台の同型砲台は全部で4基あった。以下に残り3基を紹介する。いずれも砲は屑鉄目当てに撤去されてしまっている。 |
50 50 28 N 1 35 59 E |
50 50 25 N 1 35 51 E |
50 50 23 N 1 35 40 E |
それをアーチストと自称する、平和な現代に生きる人間のクズが、芸術性の欠片も無い落書きで上書きする。歴史への冒涜、貴重な歴史遺産の破壊。 開発、風化、安全確保、リサイクル、左翼、右翼などと並んで、おバカな自称アーチストは戦争遺産保存の敵。 |
日本でも羊肉はたまに見かけるが、ヤギはまず見かけない。しかし、世界的に見るとヤギの肉というのは消費が多い。Lambと表示して売っていても実際には羊ではなくヤギの肉だったりする。ヤギは育てるのに手間がかからず、不毛な地でも育つ。特に中近東(イスラム教徒は豚を食べない)やインド(神聖な牛を食べない)で多いらしい。ヤギ肉は硬くて、柔らかく煮込まないと美味しくない。一度シンガポールの市場で買って自分でバーベキューにしたが硬くて不味かった。 ちなみにヨーロッパでは、ヤギの乳からチーズを作る。ホロホロとした独特の触感。ヤギと羊は親類のはずなのに、迷える子羊に対して悪魔のヤギ。差別だ。ハイヂのヤギはユキちゃん。何で日本名なの?教えてぇ、おぢいさん〜 |
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25門(25輌?)が建造され、内3門は英仏海峡を通過する敵国艦船の砲撃用に配備されたが成果は無かったという。 最大射程距離は64kmなので実際には英本土のドーバーあたりは射程内に入った。 射角は左右に計2度しか首を振らないので、大まかな角度調整はレールのカーブを使って行われた。 写真はトード砲台横に展示されているもの。 50 50 40 N 1 36 00 E 尚、K5はもう一門、イタリア戦線で使われたものが現存しており(ハセガワの1/72プラモで有名なレオポルド)、米国に保存されている。 米国にある列車砲の座標は37 15 01 N 77 20 26 W |
最近(2016年8月撮影)のストリートビューだとクルマが無くなって本来のコンクリート構造物だけが残っている。 列車砲の格納庫はドムブンカー(Dombunker、Domは大聖堂の意味)と呼ばれたが、これは丁部のとんがりが、大聖堂のゴシック様式開口部の形状と似ている為。全長80m、高さ10m 50 57 16 N 1 49 54 E |
50 49 17 N 1 35 33 E |
50 49 24 N 1 35 26 E |
ヴォーバンといえば稜堡式城郭が有名だが、ここは海に面しており近づく敵が見つけやすいのか半円形になっている。 第二次世界大戦中、ドイツ軍は場内にコンクリート製のトーチカを増設して海岸防衛を補強した。1945年に機雷で外郭が破損したが、現在は修復されている。 50 48 19 N 1 36 02 E |
近辺には砲台2箇所(ペルネルTが第一次世界大戦の105mm砲6門、ペルネルUがクルップの170mm砲3門を装備)とレーダー基地があった。 49 37 08 N 1 17 53 W |
畑の真ん中にあり、小路が砲台間に通じているものの、私有地なので近づけない。 ドイツ軍が鹵獲した、旧式のフランス製(ドイツ製という資料もあるが)155mm砲を装備。北向きの砲台は、ユタビーチに上陸後、北上して(南から攻めて)くる米軍には無力だった。 49 41 29 N 1 16 40 W (撮影場所) |
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陣地をコンクリート製の塹壕で結んでいるのが珍しい。一人やっと通れる大きさだが第一次世界大戦を彷彿とさせる。 49 41 09 N 1 16 03 W |
砲台は全部で3門で、英国領チャンネル諸島をドイツ軍が占領した時に鹵獲した英国製94mm砲を据え付けた。 他に対空砲、対戦車砲、サーチライトなどが据え付けられていた。 各々の砲台や各施設の間はコンクリート製のトンネル(塹壕ではなく天井がある)で結ばれている。 米軍が迫ってきた為、駐留していたドイツ海軍は施設の多くを破壊してシェルブールに撤退した。 海際ギリギリに配置されており、海岸線の侵食と共に、現在、満潮時は海に一部施設が漬かっている。 49 42 06 N 1 19 58 W |
ということで南フランス プロヴァンス地方のカンヌにやってきた。 トップレスのオネーサン(&おばさん、おばあさん)が日光浴している芋洗いビーチを離れて、船に乗って、ひと気の無いサント マルグリッット島へ。島を探索していると早速ドイツ軍の作った砲台や機銃陣地(トブルク)が。 43 31 17 N 7 01 56 E |
43 31 05 N 7 02 06 E |