大西洋の壁
Atlanticwall

ヨーロッパ大陸西部を制覇したナチスドイツは、連合軍の反撃上陸を防ぐ為沿岸防衛線を構築した。大西洋の壁は、ドイツをはじめ、ナチスドイツが占領したノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、フランスの大西洋及び英国海峡に面して1942年から1944年の間に設置された防衛線で、障害物・観測所・砲台・トーチカなどで構成される。
建設はトート機関が行った。しかし結局、充分に防衛線強化が出来ない内に、連合軍のノルマンディ上陸作戦が始まってしまう。ここではノルマンディ上陸ビーチ以外の大西洋の壁の現在を紹介する。特に英仏海峡が最も狭くなるカレー地区は防衛施設が密に配置されていた。

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トート機関の制服。OT(Organization Todtの略)が襟にデザインされている。
トート機関は軍民双方の建設を請け負った。
当初はドイツ人の失業対策としてアウトバーン建設を行ったが、その後は強制徴用のフランス人、捕虜などの人員を使った。トート砲台の博物館にて。

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ナチスドイツ政権下、軍需大臣フリッツ トートの像。1942年にJu-52飛行機墜落事故で死亡。墜落原因は謎のまま。シュペーアがあとを継いだ。トート砲台の博物館にて。

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ベルギーの沿岸、ラフェルスアイデにある沿岸防衛の要塞。第一次世界大戦時にこの地を占領したドイツ軍が沿岸防衛の為に要塞を構築し、第二次世界大戦で再び占領したドイツ軍が、大西洋の壁の一部として設備をアップグレードして使用した。
野外博物館として見学出来る。
51 12 06 N 2 50 48 E

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ラフェルスアイデの要塞内、珍しい第一次世界大戦時の兵員の様子

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第二次世界大戦時のラフェルスアイデ要塞の様子。食料貯蔵庫と医務室。

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フランスのカレーに残っているバンカー。トート機関が1941年に建設し、ドイツ海軍が司令部として使用した。
約90m×14mと横長で、内部は20の部屋に分かれている。
現在は戦争博物館になっている。
50 57 08 N 1 51 02 E

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ドーバー海峡を挟んでイギリス本土とフランスとの最狭部は33km(32とか34とか書いた資料もあるが。潮位で陸地が変わる関係だろうか?)
晴れた日には対岸の、いわゆる「ドーバーの白い壁」が余裕で見える。
当然、ドイツ軍もイギリス軍もここの防御・攻撃を最大限にして、お互い陸地を攻撃したり通過する艦船を攻撃したりした。
フランスを占領したドイツ軍にとって、カレー近辺は連合軍の上陸も予想されており、特に防御が強化されていた。実際に上陸が行われたノルマンディと比べると、海岸線防御の密度が違うのが体感できる。
50 52 03 N 1 34 54 E

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パ ド カレー県にあったリンデマン砲台の模型。カレーの戦争博物館にて。本物は残っていない。撃沈された戦艦ビスマルク号の艦長、リンデマン大佐から命名。
砲はクルップの40.6cm SKC/34。コンクリートの厚さは4mに及び、度重なる爆撃にも耐えた。
警備兵の人形はタミヤ1/35 ドイツ歩兵セットに入っている兵隊だろう。これって50年も前の金型。今でも売ってる。
ちなみに大口径沿岸砲はドイツ海軍が運用していた。

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パ ド カレー県にあるトート砲台。クルップの38 cm SKC/34砲を装備。ビスマルク級戦艦に搭載されたものと同じ砲だが、射程を伸ばす為薬室を増やしている。射程56kmは英国本土に届いた。コンクリートの厚さは3.5m。砲は撤去されてしまったが、コンクリート建造物は残っており、内部は博物館として公開されている。
50 50 39 N 1 35 60 E


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トート砲台の模型。砲が装備されていた頃の様子が判る。

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トート要塞の居住区の再現。

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砲台の構造を示す展示パネル。


トート砲台の同型砲台は全部で4基あった。以下に残り3基を紹介する。いずれも砲は屑鉄目当てに撤去されてしまっている。

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2番砲台の周りは木が育ったので、森の中の秘密基地の様相。
50 50 28 N 1 35 59 E

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3番砲台は戦後砲を解体するときに爆発事故が発生し、分厚いコンクリート構造が吹き飛んだ。
50 50 25 N 1 35 51 E

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4番砲台。開けた土地にある。
50 50 23 N 1 35 40 E

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4番砲台の内部。茶色のイラストやスローガンは第二次世界大戦中に描かれたもの。
それをアーチストと自称する、平和な現代に生きる人間のクズが、芸術性の欠片も無い落書きで上書きする。歴史への冒涜、貴重な歴史遺産の破壊。
開発、風化、安全確保、リサイクル、左翼、右翼などと並んで、おバカな自称アーチストは戦争遺産保存の敵。

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1番砲台(トート砲台)の隣の小さなトーチカ。機銃陣地のトブルクを堀ここしたものだろうか。現在はヤギさんの住居。ヤギを守るには充分すぎるほどのコンクリートの厚さがある。矢でも鉄砲でも大砲でも持って来い!狼が侵入したら困りそうだけど...
日本でも羊肉はたまに見かけるが、ヤギはまず見かけない。しかし、世界的に見るとヤギの肉というのは消費が多い。Lambと表示して売っていても実際には羊ではなくヤギの肉だったりする。ヤギは育てるのに手間がかからず、不毛な地でも育つ。特に中近東(イスラム教徒は豚を食べない)やインド(神聖な牛を食べない)で多いらしい。ヤギ肉は硬くて、柔らかく煮込まないと美味しくない。一度シンガポールの市場で買って自分でバーベキューにしたが硬くて不味かった。
ちなみにヨーロッパでは、ヤギの乳からチーズを作る。ホロホロとした独特の触感。ヤギと羊は親類のはずなのに、迷える子羊に対して悪魔のヤギ。差別だ。ハイヂのヤギはユキちゃん。何で日本名なの?教えてぇ、おぢいさん〜

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沿岸防衛のドイツ海軍砲兵。右は夏服。カレーの戦争博物館にて。

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ドイツ海軍・沿岸防衛指揮所の様子。左は通信兵の伍長、その隣が海軍将校、右は兵卒。カレーの戦争博物館にて。

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クルップ製K5型28cm列車砲。
25門(25輌?)が建造され、内3門は英仏海峡を通過する敵国艦船の砲撃用に配備されたが成果は無かったという。
最大射程距離は64kmなので実際には英本土のドーバーあたりは射程内に入った。
射角は左右に計2度しか首を振らないので、大まかな角度調整はレールのカーブを使って行われた。
写真はトード砲台横に展示されているもの。
50 50 40 N 1 36 00 E

尚、K5はもう一門、イタリア戦線で使われたものが現存しており(ハセガワの1/72プラモで有名なレオポルド)、米国に保存されている。 米国にある列車砲の座標は37 15 01 N 77 20 26 W

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K5列車砲の格納庫。撮影当時は新車の倉庫になっていた。
最近(2016年8月撮影)のストリートビューだとクルマが無くなって本来のコンクリート構造物だけが残っている。
列車砲の格納庫はドムブンカー(Dombunker、Domは大聖堂の意味)と呼ばれたが、これは丁部のとんがりが、大聖堂のゴシック様式開口部の形状と似ている為。全長80m、高さ10m
50 57 16 N 1 49 54 E

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お洒落な家が並ぶ海岸線沿いのプロムナード。よく見ると防波堤にトーチカが組み込まれている。
50 49 17 N 1 35 33 E

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海岸沿いの防衛陣地。背後の家とそこから続く垣根と一体化して白く塗られている。私有地(Prive) 表示上の開口部(蓋をしてある)に比較的小口径の砲を配置していたのだろう。よく見ると防波堤にも銃眼がある。
50 49 24 N 1 35 26 E

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Mahon砦(別名 Ambleteuseの砦)は17世紀末、ルイ14世の命令で軍事建築家として名高いヴォーバンが築城した。
ヴォーバンといえば稜堡式城郭が有名だが、ここは海に面しており近づく敵が見つけやすいのか半円形になっている。
第二次世界大戦中、ドイツ軍は場内にコンクリート製のトーチカを増設して海岸防衛を補強した。1945年に機雷で外郭が破損したが、現在は修復されている。
50 48 19 N 1 36 02 E

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ノルマンディ地方、アメリカ軍が上陸したユタビーチの北方、ラ ペルネルという村の、丘の上にある観測所のキューポラ。
近辺には砲台2箇所(ペルネルTが第一次世界大戦の105mm砲6門、ペルネルUがクルップの170mm砲3門を装備)とレーダー基地があった。
49 37 08 N 1 17 53 W

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海側の眺望と、キューポラのアップ。側面は鋳肌のまま、上面は旋盤の荒仕上げ、天面は上仕上げ。

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港町シェルブールの東で、コタンタン半島の北東に位置する、ガットゥヴィル ル ファールにある4基の砲台。
畑の真ん中にあり、小路が砲台間に通じているものの、私有地なので近づけない。
ドイツ軍が鹵獲した、旧式のフランス製(ドイツ製という資料もあるが)155mm砲を装備。北向きの砲台は、ユタビーチに上陸後、北上して(南から攻めて)くる米軍には無力だった。
49 41 29 N 1 16 40 W (撮影場所)

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コタンタン半島東側、アーヴル ド ウルヴィの陣地。ここには大砲の砲台が見当たらず、機銃、迫撃砲陣地だけのようだ。
陣地をコンクリート製の塹壕で結んでいるのが珍しい。一人やっと通れる大きさだが第一次世界大戦を彷彿とさせる。
49 41 09 N 1 16 03 W

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シェルブールの東、コタンタン半島北海岸ネヴィル岬にある砲台群。
砲台は全部で3門で、英国領チャンネル諸島をドイツ軍が占領した時に鹵獲した英国製94mm砲を据え付けた。
他に対空砲、対戦車砲、サーチライトなどが据え付けられていた。
各々の砲台や各施設の間はコンクリート製のトンネル(塹壕ではなく天井がある)で結ばれている。
米軍が迫ってきた為、駐留していたドイツ海軍は施設の多くを破壊してシェルブールに撤退した。
海際ギリギリに配置されており、海岸線の侵食と共に、現在、満潮時は海に一部施設が漬かっている。
49 42 06 N 1 19 58 W

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70年以上前から、犬は固まる前のコンクリートを歩くのが大好き。グローバルスタンダードだワンッ。人間の足跡もある。フランス人によるせめてものサボタージュ?

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夏だ!バカンスだ!南仏だ!
ということで南フランス プロヴァンス地方のカンヌにやってきた。
トップレスのオネーサン(&おばさん、おばあさん)が日光浴している芋洗いビーチを離れて、船に乗って、ひと気の無いサント マルグリッット島へ。島を探索していると早速ドイツ軍の作った砲台や機銃陣地(トブルク)が。
43 31 17 N 7 01 56 E

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同じくサント マルグリッット島の砲座。尚、ここは地中海に面しており厳密には「大西洋の壁」ではない。
43 31 05 N 7 02 06 E




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