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アミアン刑務所空襲
Operation Jericho

旧約聖書 ヨシュア記 6章 より

主はヨシュアに言われた、
「見よ、わたしはジェリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。
あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。
六日の間そのようにしなければならない。
七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、に先立たなければならない。
そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。
そして祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし、そのラッパの音が、あなたがたに聞える時、民はみな大声に呼ばわり、叫ばなければならない。
そうすれば、町の周囲の石がきは、くずれ落ち、民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」

注)
・ジェリコは、イェリコ、エリコと記載する場合もある。
 パレスチナに実在する町。31 51 N 35 27 E
・箱とはモーゼの十戒を書いた石板を収めた、アーク(聖櫃)。
 インディアナ・ジョーンズの映画1作目でお馴染み。
 ちなみに石板のことを英語ではタブレットと言います。
 十戒は2枚のタブレットに書かれていたとの事でtabletsです。
 十戒のタブレットにはUSB,Wi-Fi,ブルートゥース等は付いていないと思います。
 十戒とは、
 @神は俺様だけ Aフィギュア禁止 
 B俺の名をむやみに出すな C休みの日に俺を敬え
 D父ちゃん母ちゃんは偉い E殺すな 
 F不倫するな G盗むな H嘘つくな I羨ましがるな
 といった感じ(だいぶ脚色してます)。
 これ、会社で言ったらたちまちモラハラパワハラブラック上司認定間違いなし!
・私は無宗教です。まぁ軍用機オタが宗教そのものですが。
 航空ショー礼拝。航空博物館巡礼。航空無線で説法。写真とプラモで偶像崇拝。
・主の指示は細かいですね…何様のつもりなんでしょう!?(←神様)
・アミアン刑務所空襲には作戦名が無かった、ジェリコは後付け、という説も。
 確かにネーミングがストレート過ぎ...

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アミアンの刑務所。現在も刑務所として使われている(その為かGoogle地図の航空写真ではモザイク処理されている)。
4方を壁で囲まれている。壁は第二次世界大戦当時のままだが、中の建物は完全に建て直されたようだ。
果たしてジェリコの様に壁はくずれるのか... ? !
49 54 32 N 2 19 26 E


1944年2月18日の1100前、雪の降る悪天候の中、ロンドンの北北東約30kmにあるハンスドン(Hunsdon)基地から、第464飛行中隊(オーストラリア)、第487飛行中隊(ニュージーランド)、第21飛行中隊(英)所属のモスキートFB.VI 計18機と、英空軍映画製作隊(RAFFPU)のモスキート B.VIPR×1機の合計19機が離陸した。
攻撃隊長は487飛行中隊のピカート大佐。
この日は雪のみならず霧も出ており、3機は合流に失敗したり、エンジントラブルが発生したりで任務を放棄せざるを得ず引き返した。
護衛には174、198、245飛行中隊のタイフーン戦闘爆撃機が付く。護衛機とは英国南部のリトルハンプトン周辺で合流。

相変わらずの悪天候の中、モスキートとタイフーンは海面スレスレの低高度を一路フランスへと向かった。
編隊がフランス本土に入ると天候は幾分か回復した。

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一面の雪景色を見下ろし、アミアン市街を北周りで迂回した編隊は、攻撃態勢を整える為3つのグループに分かれて集合し、アミアンの東北東の方角から、古代ローマ人が開設した一直線のアミアン〜アルベール道路に沿って地上5m以下の超低空飛行に移った。
写真は、アミアン〜アルベールを結ぶ直線道路で、奥がアミアン。
49 55 03 N 2 21 22 E


モスキート爆撃機の攻撃目標はアミアン刑務所。
軍事施設にはおおよそ見えない刑務所という施設が何故爆撃目標になるのか?

実はここにはフランスレジスタンスのメンバーが捕らえられていた。
処刑が予定されている者、オーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)の情報を持つ者も捕らえられていたのだ。

攻撃はフランスレジスタンスの要請によるものだった。何とか勇敢な同志を助けて欲しい。どうせ処刑される身、空襲で死んでもしょうがない。


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英国と連絡を取るレジスタンス、のイメージ。ランスの降伏調印博物館にて。
ただし最近の研究では、レジスタンスは空襲について何も知らなかった、刑務所の空襲はレジスタンス解放とは関係なく、連合軍の上陸地点を惑わせるための陽動という説がある。事実なのかいわゆるトンデモのネタなのか。


空襲と同時に地上でもレジスタンスが行動を起こし、脱獄した仲間を連れ出してかくまう予定だ。

看守は昼食時に控えの建物に集まることが判っている。昼時を狙い看守や警備を出来るだけ無力化する。

上空400〜500フィートを観測の偵察型モスキートが旋回する中、攻撃は1203に始まった。

第一波は487中隊。

まず3機が東側の壁に向かってまっしぐらに突進し、爆弾12発を投下して壁スレスレに離脱。
爆弾には11秒の遅延信管が付けられている。
爆弾は東の壁に命中したのものあれば、オーバーシュートして西の壁に当たるもの、更に外れて北の空き地に落ちるものがあった。

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最初に目標となった東の壁。結局この壁は全く崩れなかった模様。


直後に、別の2機が今度は北から南に飛び去りつつ、これまた北の壁をギリギリにかわしながら爆弾を投下した。

この時点で壁の破壊は確認出来ていないが、既に壁が崩れていた、あるいは弱くなっていたのかもしれない。

1206分に今度は第二波の464飛行隊が攻撃を開始。高度50フィートから東の壁に爆弾を投下し、ぼほ同時に高度100フィートから建物自体に攻撃を行う。
この攻撃中に464飛行中隊のマックリッチー少佐機が対空砲火に当たり墜落、爆撃手は戦死し、少佐は捕虜になった。
上空を旋回する映画製作隊のモスキートからは、これまでの攻撃で北側の壁が一部崩れ、建物本体も西側を中心に損傷が確認出来たとの報告が入る。
中庭に何人か人が出ており、既に壁の外へ脱出した人も見える。
この成果により、映画製作隊と、攻撃隊長から、21中隊に対して攻撃を中止する様無線連絡が入った。
(攻撃隊長のピカードは既に撃墜されており攻撃中止を命令したのは映画製作隊のみ、という説もある)
攻撃は成功したのだ。
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南側、アミアン〜アルベールを結ぶ幹線道路沿いの壁。南の壁に相当する。
ここは爆撃により黒い車の後ろの部分が大きく崩れ落ちた。修復部がはっきりとわかる。

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画面の後方がアミアン市中心部、前方がアルベール。刑務所は左奥に見える。
周囲の建物は当時の攻撃中の航空写真に写っているときのままだ。

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西側の壁。この壁の、北壁との角部(画面手前)は大きく崩れて穴が開いた。


攻撃中止の連絡を入れた直後、攻撃隊長のピカードは帰投しようとした所をドイツ空軍JG26所属フォッケウルフFw-190の攻撃を受け、撃墜されてしまった。

結局予備の21中隊は攻撃を行わず、攻撃隊は1300には基地に帰投した。

モスキート2機は現地で失われ、2機は英本土にたどり着いたものの不時着。他にはタイフーン2機の損失。

712人の囚人の内、102名が死亡、74人が負傷して入院、258人は脱獄に成功した。
脱獄者の中には50人のレジスタンスメンバーが含まれ、内12人は処刑予定者であった。

まるで冒険小説そのままのような実話である。
ただし、折角脱獄した者の内、約2/3は後日捕まってしまう。

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刑務所正門横の記念碑と、そこに掲げられている2枚のプレートのアップ。
「1944年2月18日にこの牢獄で野蛮なナチスにより殉死させられたフランス愛国者に捧ぐ」。
「アミアンの(強制労働で)国外に連れ去られた者、国内の愛国者に」。
えっ… 戦死や捕虜で未帰還者が出たイギリス空軍は? 空襲を実施してくれた人たちへの感謝は?
(これだからフランス人は...)


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イギリス・ロンドン郊外の英空軍博物館ヘンドンに展示されているデハビランド モスキートB35爆撃機TJ138。
残念ながらアミアン空襲に使われたFB Mk IVでは無い。
胴体には通常の金属製の機体に見られるリベットが全くないのに注目。

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オーストラリア・メルボルン近郊のオーストラリア空軍博物館で2018年4月現在、モスキートPR Mk XVI型偵察機A52-600のレストアを行っている。
Wooden Wonder (木の脅威)と言われた高性能機で、防御武装を持たず速度で逃げ切るというポリシー。木製の胴体、水平尾翼がよく判る。
デハビランド社はその後開発したジェット戦闘機、バンパイアでも一部に木材を使っている。
本機はデハビランド製で1944年12月からオーストラリア空軍第87飛行隊に配属された。

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同じくレストア中の偵察型モスキート。
これは爆弾槽の開閉式カバーで、偵察型の本機の場合はカメラを収納し丸いカメラ窓が設けられている。さすがにカバーの様な薄い部分はジュラルミンだろう、と思っていたがここも木製。

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レストアに際し胴体後部が失われていたので、新造するために型を作った。
その型を使って構造見本をオマケで製作したとのこと。クリックで拡大。
Birch はサクラ、Spruce はトウヒ、Balsaはバルサ。

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アメリカ空文博物館の展示機。本機はエアスピード社製でB.35として完成。633爆撃隊、モスキート爆撃隊の映画に出演している。1984年からアメリカ空軍博物館の展示。展示に際して偵察型のPR.XVI NS519となった。

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オーストラリア戦争記念館にて。デハビランドのオーストラリア法人が製作し、当初はFB.40として製造したが後にPR.41として完成。 シリアルはA52-319。

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コスフォードのイギリス空軍博物館にて。
デハビランド社製のB.35で映画633爆撃隊に主演している。TA639。

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帝国戦争博物館(IWN)ダックスフォードの展示機。奥まった所に置かれていて正面からしか写真が撮れない。
デハビランド製のB.35で本機も映画633爆撃隊に出演。その後着陸時に胴体下部を損傷。モスキート爆撃隊では地上シーンに出演。TA719。

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ベルギーの王立軍事博物館の展示機。
デハビランド製のNF.30型で、英空軍のシリアルはRK952。1953年にベルギー空軍に移籍、同空軍のシリアルはMB24。
1957年以降本博物館にて展示。

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モスキートのコックピット(レプリカ?)。
ニュージーランド空軍博物館でフライトシミュレータのアトラクションとして使われているもの。アミアン刑務所攻撃ミッションも選べる。


映画「モスキート爆撃隊」(1969年)は明らかにこの作戦をモデルにしている。
(というよりも、実話のほうが面白い)
この映画は、多くの場面を「633爆撃隊」(1964年)で余ったフィルムから流用しており、一部のシーンは全く同じものを共用していたりする。
Bf109役で登場するBf108も共通。
更に、モスキート爆撃隊での冒頭V-1発射シーンは「クロスボー作戦」(1965年)の流用ではないか?チラッと有人型も見えるし。
無論、モスキート爆撃隊の為に新たに録り直した飛行機のシーンもある。
中学生〜高校生の頃、モスキート爆撃隊はTV放映で何度も見たが、633爆撃隊の方は見た記憶が無い。
世間では633爆撃隊が王道の戦争映画(テーマの音楽も有名)、モスキート爆撃隊はB級という認識で、後者の方が放映料が安かったのだろうか?
確かにモスキート爆撃隊、爆弾がポンポンと地面を跳ねるフィクションはいい加減にしろよ、と言いたくなる。
V-2に続いてV-3&V-4ロケット...と訳の判らない台詞も。
シャーマンにマズルブレーキを付けたドイツ戦車もB級プンプン。
ついでに字幕にケチを付けると、1時間18分35秒あたりで"We're down to two shots"「(爆弾)2発しか残ってない」を"2機撃墜したが"と訳しているのは間違い。敵機は1機だけ。
しかし今回、改めて双方の映画を立て続けに見てみると、ラストが悲惨な633爆撃隊よりはモスキート爆撃隊の方がまだ面白い、と思ってしまう。
モスキート爆撃隊の方も4輪装甲車Sd Kfz222もどきが出て頑張っているし。
ただ、両方の映画共に、生きているモスキート爆撃機の実写が見られる、という以外、あまり好きな映画ではない。双方とも恋愛ストーリーが余りにもチープだし。




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