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バンコク空襲
Bangkok Air Raid

15秒で判る近代タイの歴史。
フランスがタイをいじめて領土を奪う→フランスがナチスドイツに占領される→どさくさにまぎれてタイがフランスに戦争をしかけて領土を取り返そうとする→タイ劣勢→日本が交渉に乗り込みタイを助ける→助けてやったんだからと日本がタイに進駐する→しょうがないので日本と手を組む→日本の敵鬼畜米英がタイを爆撃する
やっぱ一番のワルはフランス....でしょうね。

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バンコク空襲は1942年1月7日が初である。これはタイが英米に宣戦布告する前の段階である(日本軍は駐留していた)。
ラングーンに基地を置く英空軍113飛行中隊のブレニム爆撃機によるもの。
1月24日には同飛行隊の飛行可能機全部を動員した空襲があり、これを受けてよりタイは1月25日付で英、米に宣戦布告をした。
アナンタサマーコム殿は、初期のバンコク空襲で被害を受けた。
1942年1月27日の爆撃で中央部が破損している写真がバンコクナショナルメモリアルの展示にある。

バンコクへの初の大規模空襲は1942年12月26日、インドに駐留する米陸軍航空隊により実施され、バンコク中央駅、クローントイ港、操車場、発電所などが目標となった。
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爆撃目標のバンコク中央駅(ファラポーン駅)。
東、東北、北線の殆どの列車と、南線の多くがここが始発。
そして殆どの列車が時間通りには発着しない。そんなのはマイペンライ。山手線に駆け込み乗車してしまうような人、時間にキッチリうるさい人はタイで生きていけない。私はとりあえず大丈夫。
先日タイ人のお客様と京浜急行に乗ったとき、「本列車2分程遅れております。お急ぎの所申し訳ありません」とのアナウンスがあった。一緒に呆れた。
13 44 20 N 100 31 00 E

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バンコク駅構内の様子。この日は駅の開業記念日なのか、蒸気機関車4輌が乗り込んでいた。タイ国鉄で動態保存されている蒸気機関車は全部で6輌だが、内4輌が揃うという、何とも豪華な光景。
手前から
タイ国鉄824号 パシフィック 1949年川崎重工製
タイ国鉄850号 パシフィック 1949年川崎重工製
タイ国鉄715号 C5617 1935年汽車製造製
タイ国鉄713号 C5615 1935年汽車製造製
パシフィックは戦後補償で日本から送ったもの、C56は軍事利用で日本軍が持ち込んだもの。

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次の大規模爆撃目標となった、バンスー駅隣の広大な操車場。1943年4月21日に爆撃を受けた。
現在大規模再開発中で盛土により遠くまで見えないが、奥のほうまで線路が配置されている。
13 48 52 N 100 32 43 E
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B-24の爆撃を受けたラマY世橋。チャオプラヤ川にかかる全長441mの長大な鉄道橋(タイで一番長い)。
1927年開通、戦争中の損傷を修復して1953年に再開通。オリジナルのものとは橋桁形状が異なる。
現在は南隣に高速道路橋が出来、北側には在来線の老朽化と拡張高架線化に伴い新たに橋を建設中で、非常に写真が撮りづらくなっている。
13 48 48 N 100 30 54 E

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バンスーと並んで重要爆撃目標であった、マッカサン操車場と、隣接する整備工場。
開発の進む周囲に比べ、ここだけ取り残されている。さすがに600万人首都中心近くにこれだけの鉄道用地があるのは勿体無いのか、移転の話がある。
バイヨークタワーII展望台からの眺め。
右側にまっすぐ伸びるのはスワナブーム空港とバンコクを結ぶエアポートレールリンクの高架線。

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マッカサン操車場の様子。ジャングルに埋もれている様だが、車輌は放置されているのではなく入れ替わっている。
エアポートレールリンクからの撮影。
エアポートリンクは高架線なので眺めがいいが、多くの車輌は全面ラッピング広告付なので視界が網掛かってしまう。しかし少なくとも1編成は広告無しで運用している模様でこれに運良く乗れれば外の写真が撮れる。
エアポートリンクにはエクスプレス(急行)とシティライン(各停)があるのだが、エクスプレスは2014年から廃止されている。
タクシーが諸経費込みで200-250バーツあればドアツードアで空港まで行けるのに、乗り換えの不便なエアポートリンクエクスプレスが一人150バーツも取っていたのでは、企画倒れといわれてもしょうがないだろう。

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整備工場の建物は戦後建て直されたものとのこと。
ここ、スクラップ置き場の様相だが、よく見ると貴重な蒸気機関車が...
屋根の下左は165号(1912年英ノースブリティッシュ製)、その右は54号(1909年独ヘンシェル製)、手前左は336号(1913年スイスロコモティブアンドマシン・ワークス製)。

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バンコク他日本軍駐留地域爆撃の為に英空軍、アメリカ陸軍航空隊が使用したB-24爆撃機。写真はアメリカ・カリフォルニア州のキャッスル航空博物館に屋外展示されているもの(M型)。
37 21 53 N 120 34 43 W

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タイ国鉄南線がターチン川を渡る鉄橋。 Saowabha Bridgeのプレートが掛かっている。
バンコクからタイ南部方面のみならず、泰緬鉄道にも接続しており、ラマY世橋共々破壊目標になった。
連合軍の攻撃により橋が落ちたが架け直され、更に現在は複線化に伴い隣に新しい橋が出来た。
13 48 22 N 100 11 10 E

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1944年5月9日、米陸軍航空隊の第10空軍 第7爆撃大隊 第9爆撃中隊の隊長、ケロッグ少佐の操縦するB-24J 42-73302 "Leaping Lena"(機名をBOISTEROUS BITCHとした本もあるが...?)は、インドの西ベンガルにあるパンデーブズワー基地を離陸し、当時日本海軍が居たタイ王国チョンブリ県サタヒップの軍港に夜間単機の機雷敷設任務に向かった。
サタヒップ上空では高度250フィートの低空を低速で飛行し機雷を落とし、その後南に向かい軍港を脱出し高度300フィートで飛行していた所で、、日本軍艦艇の真上を飛んで20mm機関砲の銃撃を受け翼がたちまち火を吹きエンジン2基が停止、タイ湾に墜落した。
クルーは高度が足りない為パラシュート脱出できず、搭乗員10名中ケロッグ少佐と、格納式ボール銃座の銃手キンゼー軍曹のみが助かり捕虜となった。
同機のプロペラがタイ海軍博物館に保存されている。

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現バングラデッシュのコックスバザールを離陸し、ドンムアン空軍基地を攻撃したが対空砲火に撃墜されたP-51の残骸。
後方は日本陸軍の97式戦闘機の残骸。タイ空軍博物館にて。

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東京を始めとする日本の各都市爆撃、原爆投下などから日本爆撃オンリーのイメージの強いB-29だが、実戦初出撃は1944年6月5日のバンコク空襲だった。このときは77機がインドのカラグプルから出撃し、5機が帰還しなかったが戦闘による損失ではないとのこと。
アメリカの航空ショーで撮影。現在唯一飛行可能な機体。

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ワット サケット内にある、プーカオトーン(黄金の丘)。
平野に作られた人工的な丘で、太平洋戦争中は日本軍がここに高射砲を設置したとのこと。
法面が漆喰で覆われたのは戦後の事。
全景が見えにくいのでパタヤにあるタイ判東武ワールドスクエア「ミニサイアム」の1/25模型の写真も。
13 45 14 N 100 30 24 E (本物の場所)

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迎撃に向かった1式戦闘機隼。写真は隼U型でインドネシア空軍博物館のもの。胴体前方、主翼中央付近下部及びエンジンはオリジナルと思われるが、それ以外の部分は恐らく新造。作りは結構ラフでプロポーションが崩れている。
まぁでもオリジナル部分が残っているというのはすごいことだと思うが。

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B-29を攻撃してダメージを与えるタイ空軍の隼戦闘機。大本営発表...ってやつか。到底まともに迎撃できなかったらしい。
B-29による大規模バンコク爆撃は1944年6月5日と1945年4月14日の2回行われた。特に後者は最後のバンコク大規模空襲でもある。
右下のサイン脇の44は1944年ではなくて、仏教暦の2544年(西暦2001年)作画。タイ空軍博物館にて。

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B-29による最初の爆撃の攻撃目標の一つ、メモリアル橋。
しかし結局爆弾はかなり離れた場所に着弾し、橋は無事だった。
13 44 22 N 100 29 51 E

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バンコクのドゥシット動物園内に保存されている防空壕。
屋根の上に爆弾が落下しているというアナーキーな展示オブジェ。
13 46 15 N 100 31 02 E

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防空壕の中。いつもは「マイペンライ」と気楽なタイ人だが、さすがにちょっと心配そうな顔つき。

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チャオプラヤ川沿いの倉庫跡を利用した観光客向けショッピングモール「アジアティーク・ザ・リバーフロント」にある防空壕。
日本陸軍の防空壕。
近辺はデンマーク系船舶会社East Asiatic Companyの倉庫(現在のアジアティークのモール建物)で、当時はこれを差し押さえて基地及び兵器庫として利用した。
そういえばケンチキのカーネルサンダース人形は日本以外では見かけない。タイにも居ない。
13 42 12 N 100 30 13 E




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