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ノルマンディ上陸作戦〜英空挺師団の作戦〜
Operation overload / Operation Tonga

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写真:カン運河横にあるペガサス記念博物館で展示されているホルサグライダーのレプリカ。
完全な形の保存機は存在しない。

ノルマンディ上陸に先立ち、英軍はカン運河とオルネ川にかかる2つの橋梁は陸上部隊の進出の為に確保、それよりも東に位置するディーヴ川にかかる何本かの橋はドイツ軍の応援が到着出来ないように破壊、更にスウォードビーチを砲撃出来るメルヴィル砲台を無力化する必用があった。
この為、上陸が決行される前日の6月5日深夜、第6空挺師団を乗せた、輸送機及び牽引されたグライダーが英国の基地を飛び立った。
ペガサス橋とホルサ橋

ジョン・ハワード少佐の指揮する急襲部隊は3機のグライダーに分かれてカン運河とオルネ川の間の空き地に着陸した。グライダーから直ちに兵が飛び出し、カン運河にかかる橋に向かった。
橋の警備兵は信号弾を発射、もう一人は急襲部隊に発砲して応戦されて戦死、3人目は逃げた。
次にドイツ軍の下士官が現れ自動小銃を発射してきたが、全弾撃ちつくして逃げた。
当初橋には爆薬が仕掛けられていると思われ、爆弾処理の工兵も同行してきたのだが、実際には爆薬は無かった。
軽微な損害を出したものの、カン運河にかかる橋は6月6日00:24に確保出来た。

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写真:カン運河にかかる橋。戦時中の橋はそのまま1994年まで使い続けられたが、交通量の増大に伴い一回り大きなものに架け替えられた。
船が通れるように開くのだが、ヒンジを使わない構造で巨大なカウンターウェート(バランス用の錘)が付いている。
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写真:空挺部隊が奪取に成功した、戦時中の橋。現在はペガサス橋と呼ばれる。
橋の架け替えに際し、橋の近くにあるペガサス記念博物館に移転され屋外展示されている。
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写真:橋の脇に立つカフェ。フランスで最初に開放された建物になる。
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カン運河のすぐ東にあるオルネ川にかかる橋は別の2機のグライダーから降りた部隊が確保に向かった。(グライダー1機は他の川と間違えて13Km離れた地点に降りてしまった。)
オルネ川の橋では敵の機銃陣地を迫撃砲で制圧し、6月6日00:35までには橋を確保することが出来た。こちらも味方の損害は軽微だった。
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写真:オルネ川にかかる橋。現在はグライダーの名前を取ってホルサ橋と名づけられている。ペガサス橋から400m程しか離れていないが、博物館、記念碑、観光客で俗化しているペガサス橋と比べホルサ橋は至って地味な普通の橋だ。
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写真:急襲隊のグライダーが着陸した地点にあるハワード少佐の胸像。
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急襲隊に続く本部隊は着陸地点が上手く探せなかったりして散らばってしまったが、橋に到着したものは急襲隊と合流して橋をドイツ軍から守る事になった。
ドイツ側は歩兵、戦車、船舶などで橋を攻撃したものの、組織的な攻撃ではなく全て撃退された。ドイツ空軍が投下した爆弾は不発だった。
6月6日の夜19:00頃から、スウォード海岸に上陸した英陸軍歩兵が到着しだした。
そして最初に橋を確保してから24時間以上経った6月7日の午前01:00に第6空挺師団は橋の確保の任務を終えた。

メルヴィル砲台
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写真:メルヴィル砲台
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ペガサス橋、ホルサ橋から北東に約4Km行った所にメルヴィルの砲台はある。
4門の砲が各々厚いコンクリートに守られている。
150mm砲と思われ、スウォード海岸に上陸する英陸軍にとって脅威となる。
砲台の周囲は対戦車壕、有刺鉄線と地雷で守られていた。
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写真:ブンカー内部での兵士の生活を再現


作戦計画ではランカスター爆撃機が砲台を爆撃し、次に4名の空挺部隊員が有刺鉄線を切り地雷原に道を空ける。
主力部隊が着陸し工兵隊が地雷、有刺鉄線を更に処理して砲台の扉を破壊、狙撃兵が機銃手を無力化するのと同時に正面入り口を攻撃、そしてホルサグライダーが砲台陣地に着陸して別の主力部隊が砲台を火炎放射器とステンガンで制圧する、という計画であった。万一失敗した場合、沖合いから巡洋艦が砲撃を加える予定だ。

実際にはこのようにスムーズに事は運ばなかった。
ランカスターから投下された爆弾は砲台を外れて別の場所に落ちた。そこには降下地点をマークする為に先に降下していたパスファインダー隊が居た。
続くパラシュート部隊は方々に散らばってしまった。予定の650名中、集合出来たのは150名程度。
ジープ、対戦車砲、迫撃砲、地雷探知機、衛生兵などは集合地点に来なかった。
02:30まで待ったがこれ以上待てず砲台に向かう。
オトウェイ中佐率いる第3旅団は6月6日早朝04:00に砲台に到着した。
有刺鉄線と地雷源を処理する為の爆雷を仕掛け、04:30に工兵の乗ったグライダーが到着すると同時に攻撃を開始した。
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写真:一帯は博物館になっていて、砲台の一つでは内部の様子を再現して光、音と煙のショーが行われている。


ドイツ側は急襲を受けてビックリしたがすぐに持ち直した。双方に多くの犠牲者を出しながらイギリスのパラシュート部隊は05:00までに4つの砲台全てを制圧した。ドイツ側は130名中120名、イギリスは150名中75名程度の死傷者だった。
砲台の砲はドイツ製150mm砲と思われていたが、実際には第一次世界大戦のチェコ製100mm砲だった。
威力は落ちるが脅威に違いは無い。
英軍は砲を無力化することに取り掛かった。
砲を破壊する爆薬が到着しなかったので、82型対戦車手榴弾を使った。
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写真:メルヴィル砲台襲撃を指揮したオトウェイ中佐の胸像


ディーヴ川橋梁

ディーヴ川にかかる橋を破壊する部隊もやはり広範囲に散らばってしまったが、無事に5つの橋を破壊することが出来た。(残念ながらディーヴ川までは訪問していないので写真が無い)

その後も第6空挺師団は前線に留まり、オルネ川から東進し1944年8月26日にセーヌ川河口に到着、翌8月27日に前線任務を解かれた。


ノルマンディ上陸作戦当日未明の、英軍空挺部隊の活躍は映画「史上最大の作戦」に描かれている。
グライダーが曳航機から切り離されて、無音の中、着陸地点に向かう時の緊張感が何とも言えない。
実際にはカン運河の橋とオルネ川の橋を確保、ディーヴ川にかかる5本の橋を爆破、メルヴィル砲台を無力化という全ての任務を達成した訳だが、映画ではカン運河にかかるペガサス橋の確保保守だけが描かれている。
この映画、コーネリアスライアンが取材した実話エピソードを元に、別々の人が体験した事を一人の体験にまとめたりしている。
出演者を絞るための手法でノンフィクションをベースにしたフィクションと言える。
この手法は悪くないと思うが、以下の様な矛盾も生まれる事になった様だ:
頭のハゲたドイツ兵はイギリスの落下傘兵が降りてくるのを見て慌ててブーツを左右逆に履いて出発し、何故かアメリカの落下傘兵の居る地区で射殺される。アメリカの空挺作戦場所とイギリスの空挺作戦場所は100km離れている。いくらドイツ兵が慌てていて、アメリカ兵が迷子とは言えこれはちょっと離れすぎ。




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