29 24 55 N 1 10 29 W ユタビーチはノルマンディに連合軍が上陸したビーチの内、一番西側に位置する。 当初は上陸する予定ではなかったが、上陸用舟艇に余裕が出たことから上陸地点として追加された。 ふたを開けてみると最も簡単に上陸に成功したビーチとなった。 |
ユタビーチを見渡す「トブルク」(一人用機銃陣地) |
上陸は朝6:30から始まった。 予定上陸地点よりも全体的に1〜2km程南に流されてしまったが、特に混乱もなく、それどころか大きな抵抗も無く上陸に成功した。 49 24 55 E 1 10 24 W |
上陸初日の6月6日の終わりまでに、米兵2万3000名と車両1700輌が上陸した。 損害は200名程度で、ノルマンディのビーチでも最も楽に上陸出来た。 予定地点よりも南に流されたことが結果として守りの薄い場所に上陸することになり、損害が少なかった。 他には、未明に内陸に降下した空挺部隊への応戦にドイツ側が手一杯だったこと、戦車の揚陸が上手くいったこと(シャーマンDDはオマハよりもはるかに海岸近くで降ろされたので沈んだものが殆ど無かった)などが成功要因に上げられる。 29 24 55 N 1 10 29 W |
ユタビーチが00km。概ねパットン将軍の進撃ルートに沿って1km毎に置かれ、最終地点はベルギーのバストーニュ。 49 24 57 N 1 10 32 W |
本来の上陸予定地にあり、実際に上陸した地点からは離れた場所にあった。 全体的に守りの薄い所に上陸出来たのは米軍にとって幸いであった。 49 27 44 N 1 13 48 W |
49 27 42 N 1 18 24 W |
ここからの砲撃により、米駆逐艦USSコリーを直撃して沈めたといわれる。 米側の公式記録では機雷に接触して沈没となっているが、乗組員の証言などから砲撃による可能性が高い。 上陸の翌日、米軍が到来し占拠した。 49 28 46 N 1 17 46 W |
これは調理場。 |
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内、外部とも非常に良く復元・整備されており堡塁の機能、生活の様子をうかがい知ることが出来る。 メインのビーチから外れているということもあり観光客が少なめ(私が行ったときは他に誰も居なかった)だが、西の壁に数多く存在する堡塁を理解するには一番のお勧め。 |
自由フランス軍の第二機甲師団はここから祖国解放に向かい、パリ、ストラスブールを解放した。 49 26 37 N 1 12 35 W |