ベルギーの開放
Liberation of Belgium

1944年8月25日にパリを開放した連合軍は、ドイツ本土を目指してセーヌ川西岸を発ち、東進を続けた。
1944年9月2日に米軍がベルギーに入った。
同日、モンス近郊にドイツの第2機甲師団と歩兵師団数個(第18空軍野戦師団を含む)が残存していることを知ったブラッドレー将軍は、ここが英軍担当地区であるにもかかわらず軍をモンスとトゥルネーに進撃させて町を開放すると同時にドイツ軍を包囲した(モンスポケット)。
包囲されたドイツ軍の内、かなりの兵は東に脱出したが、その後2〜3日の包囲戦で将軍3名を含む10000〜25000名(資料によりバラツキあり)のドイツ兵が捕虜になった。
その後米軍は順調に東進し、9月8日にはドイツに程近い東部の大都市、リエージュを開放している。
他に南部では米軍が9月10日にルクセンブルグ王国のルクセンブルグ市やベルギーのサンヴィットを開放した。
どこもかしこも連合軍=解放軍として歓迎されたが、ザンクトフィートだけは元々ドイツ帝国の領土ということもあり住民はムッとしていた(さすがドイツ系!)
9月中旬にはベルギーの米軍担当地区の開放が終わった。

北を進む英軍は9月3日にベルギーに入り、早くも9月4日には首都ブリュッセルを開放した。
そして9月12日にはカナダ軍がヘヒテルを開放しオランダ国境に迫った。
マーケットガーデンは、開放したベルギーのレオポルドブルグを基点に9月17日から実施され、オランダ経由でドイツのルール地方攻略を目指したが失敗した。
アントワープ港確保には相変わらず手こずっていた。ドイツ軍もこの港の重要性を充分承知しており、粘り強く抵抗した。
北海に近いオランダ国境沿いのウェストカペッレで最後のドイツ軍がカナダ軍に投降し、1944年11月3日にベルギー全土が開放された。
相変わらず連合軍の物資はノルマンディーで荷揚げされた後東方へ運ばれていた。
補給線は伸びきり、進撃は停滞していた。
しかし、アントワープ港への海路は機雷除去が必要で、連合軍の最初の輸送船が入港したのは1944年11月28日になってからであった。
米軍はドイツの最初の都市、アーヘンを攻略後ヒュルトゲンの森で泥沼の戦いに足を踏み入れていた。
その様な状況の中、ベルギー南東とルクセンブルグ地域でのドイツ軍の抵抗は少なかった。
よってこの地域は「静かな戦線」となり、米軍の兵力は薄く配備された。
このアルデンヌ地方に配備された米軍は大きな戦闘に巻き込まれず、静かな戦場をのんびりと心行くまで謳歌した。1944年12月16日までは...


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リエージュの開放記念パレード。
ジープに乗ったアメリカ兵がガキお子様にチョコを渡す光景は何も終戦直後の日本だけの事では無かったらしい。
私もしっかりもらいました。今回配っているのはチョコではなく、飴玉。

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場所はあえて特定しないが、ベルギーで行われる大規模な開放記念パレードの様子。
車輌展示、戦車/装甲車の体験乗車、模擬戦、郊外のパレード、町中のパレード、開放式典、ベルギー軍の新兵募集と内容は盛りだくさん。

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リエージュ郊外にある開放記念博物館。展示内容はショボい。
手前のコンクリート辺は「西の壁」の対戦車バリケード「竜の歯」
右はビッグレッドワンと呼ばれた第一歩兵師団の記念碑。

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バルジの戦いを含む、ベルギー開放戦での米兵犠牲者を多く埋葬している墓地。
バティス要塞の近く。




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