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報復兵器V-1,V-2,V-3
Vergeltungswaffe V-1, V-2, V-3

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オランダのWings of Liberation博物館に展示されているV-1。V−1が目的地に達すると水平尾翼のラダーが写真の様にフルに下がりスポイラーとなり、コントロールを失って墜落する。V-1はエンジンが止まって落ちる、というイメージがあるがエンジンが切れるのはあくまでもコントロールを失って姿勢が崩れ、エンジンへの燃料供給が断たれるからであり、エンジン停止が落下の引き金ではない。

手前の玉は圧縮空気のタンクで、胴体中央部に2個搭載されていた。
何と150気圧の圧力で充填していたという。
帯状の軟鉄を溶接し、ワイヤーで補強した構造。
この空圧を使ってジャイロを駆動し、燃料を送り、各動翼を作動させる。電動モータが高価な時代ならではの機構だ。


V-1

巡航ミサイルの先祖、フィエゼラーFi103(V-1)無人飛行爆弾はドイツ空軍が第二次世界大戦後期の1944年6月13日〜1945年3月29日の間、英国やベルギーに向け発射した。
一般的にはV-1の方が通りが良く、VはVergeltungswaffeの略で報復兵器のこと。
全長8.32m、翼幅5.37mはレシプロ戦闘機よりもはるかに小さい大きさ。
鉄板溶接構造で、翼は合板製のものもあった。
全重量2150kgの内、850kgを弾頭が占めるから爆撃機よりもはるかに大きなペイロード比である。
動力はパルスジェットエンジンで一秒間に50回爆発するので「ブー」という独特の音を発し、英国ではこの音からバズボム(Buzz Bomb)と呼ばれた。
小さな翼、大きな重量から判るとおり失速速度が高く、カタパルトによる加速・発射システムが必要だった。
カタパルトは森の中に隠したものの、どうしても敵に発見されてしまい攻撃目標になった。
(その為飛行機から発射したものもある。ただしこの場合目標への命中精度が低下する)。
飛行制御にはジャイロコンパスと磁気コンパスが併用された。
機首に付けた風車の回転数で飛行距離を算出し、目標上空で降下・着弾するようになっていた。

V-1の目標はロンドンで、後にベルギーのアントワープ港にも発射された。
低空を飛ぶV-1は戦闘機、対空砲や阻塞気球で迎撃するこが出来たがそれでも防衛
網をくぐりぬけたものが多い。
V-1の目標到達率は25%程度といわれる。
ロンドンには約1万発が発射され、2400発余りが目標到達したといわれる。
ロンドンの損害は死者6000人以上、負傷者18000人程度。

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ベルリンの科学技術博物館に展示されているナチスドイツの無人誘導兵器。
手前は対艦誘導ミサイル、その奥が巡航ミサイルのV-1、奥はSAM(地対空ミサイル)。
全て時代を先取りしたが戦局を変えるには至らなかったものばかり。

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ベルギーのアントワープはロンドンと並んでV-1の攻撃を多く受けた都市。そのアントワープの空港横にある航空博物館にV-1が展示されている。

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オーストラリア戦争記念館に展示されているV−1。
戦利品というか、お土産として持ち帰ったのだろう。広いオーストラリアの防衛に使える様には全く思えないし。

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ダックスフォード航空博物館で屋内展示されているV-1

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ダックスフォード航空博物館で屋外展示されているV-1と発射台。後方にヴルツブルグレーダーが見える。

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ドイツ空軍のV-1飛行爆弾に準じた塗装がされているが、これはアメリカ製のV-1のコピーであるJB-2ジェット爆弾。
V-1の残骸を英国から取り寄せてリバースエンジニアリングを行い、コピーの作成に成功した(完全なコピーではなく細かい違いがある。特にエンジン先端と胴体を結ぶ支柱の形状は判りやすい)。
機体はリパブリック、エンジンはフォードが担当し、1945年1月に生産スタート、対日戦に投入する予定だった。
1000機以上生産されたが太平洋戦争終結と共に生産中止となった。
アメリカ空軍博物館にて。

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ブリュッセルの王立軍事博物館にて、スピットファイアに追い回される形で展示されているV-1
比較的低空を高速640km/時で飛ぶV-1に追いつける機会は少なく、高空で待ち伏せして急降下して追いつく戦法が取られた。
追撃機はテンペスト、モスキート、スピットファイア(グリフォンエンジン)、ムスタング、ミーティアなどの高速機で、この展示の様なスピットファイアIX型ではちょっツラそう。

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V-1のジャイロ。ドイツのL+P Junior航空博物館にて。

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フランスのエペルレック(Eperlecques)の森の中に建設途中で放棄されたV-2発射基地。
ここの見学コース最後でV-1の発射台が見られる。ここにあったものではなくどこかから移設してきたものらしい。
台座の左に置かれている黒いバーベルの様なものがカタパルトのピストン。これをカタパルト台の中央に通っている穴に入れ、ピストンの上に出ている突起をV-1本体に引っ掛け、ガスの力で放出する。カタパルト端でV-1は飛行を開始し、ピストンはそのまま放出され自由落下する。
50 49 43 N 2 11 1 E

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フランスのポムレヴァルの森の中にあるV-1発射基地。
これはフランスのポムレヴァルの森にあるもので、一部破壊されたものがあるが、一通りの関連施設が残っていて仏英独語併記の親切な案内に従って見学コースが出来ている。
49 44 0 N 1 16 33 E

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V-1を発射する前、ジャイロとコンパスの最終調整をする施設。門形の枠の中にV-1を吊るしてロンドンの方向に向けならが調整する。磁気の影響を受けないよう、磁性体を使わずに作られている。
V-2に比べ原始的な兵器と思われがちなV-1だが、なかなかどうして高度な準備・調整が必要だったのが理解出来る。

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数人が入れる大きさの管制ブンカーと、カタパルトに乗ったV−1。カタパルトの指す方向にはロンドンがある。

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水槽の水は消化用だけでなく、カタパルトを使用した後の薬品の汚染を洗い流すのにも使われた。


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V-1のレプリカ(JB-2ルーンに近いかも)。
米国カリフォルニアにあるPlanes of Fame博物館の所有機のごく一部であるBF-109,He-162,スピットファイア,秋水,ナッターと共に1970年代後半に来日し、展示された。
大阪のエキスポランドで撮影。当時私は高校生になったばっかりで、関東からわざわざ見に行った(本命はBf-109)。カメラは親父に借りた。デジカメなど存在しない時代の撮影だ。固定焦点だったので機体前半、後半を別々に撮影したのだが、まさかその後画像処理ソフトでパノラマ合成などという技が使えるとは夢にも思わなかった。



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ロンドンの大英帝国戦争博物館に展示されているV-2ロケット。外板を一部剥がして内部が見られるようにしている。後方にはV-1が飛ぶ。



V-2

フォンフラウンは幼い頃からロケットによる宇宙旅行に魅せられていた。ベルリン工科大学に入学し、いつか人類が宇宙に行けることを夢見ながら、液体ロケットモータの研究をしていた。
在学中よりドイツ国防軍の砲兵大尉ドルンベルガーと連絡を取り、彼の下で研究をするようになる。
高度3万メートルを超える高さまでロケットの打ち上げに成功した後、1936年からは、より巨大なロケットの実験を計画する。
実験の場を北海に面したペーネミュンデに移し、失敗を重ねながらもついにA4型ロケットのテスト打上が成功したのは1942年10月3日。この日、ドルンベルガーは「今日、宇宙という新しい移動手段が始まる」とスピーチで述べた。
ちなみに現在のドイツで10月3日とは東西ドイツ統一記念日である。言い換えれば西ドイツ住民が多額の税金を東のために納めるきっかけの日。
ロケットと東西統一。宇宙旅行と弾道ミサイル。統一と負担。嬉しいような嬉しくないような、そんな複雑な日。
とにもかくにも、その後も数々の試験が行われ改良が加えられた。
並行してロケットの量産準備が行われた。
当初は開発地であるペーネミュンデでの生産が準備されていたが、ペーネミュンデが大規模な爆撃を受けた(ヒドラ作戦)事などを理由に、ドイツ中央部ノルドハウゼン郊外のコーンシュタインにミッテルヴェルク(中央工場の意味)の地下工場を新設する。
ここではミッテルバウドーラと呼ばれる強制収容所の労働者が働き、過労、処刑、病気などで終戦までに20000名の犠牲者が出たと言われる。
A4はV-1に続く報復兵器V-2となり、1945年2月15日までに5200発が生産された。
発射場として、英国海峡に程近い所に巨大な基地の建設が始まったが、英軍の爆撃(クロスボー作戦)を理由に完成に至らなかった。
一方で移動発射台の計画が採用され、トレーラー、移動式発射パッドと支援車両数量により本当にどこからでもV-2が発射出来る様になり、このお陰でV-2発射現場はついに一度も発見・攻撃されることが無かった。

V-2の実戦参加は1944年9月7日からで、以降、最後の損害が確認された1945年3月27日までの間、約3200発が発射され、V-2による死者は7250名と言われる。
主な目標は連合軍の補給港となったアントワープ、イギリスの首都ロンドンで、他にリエージュ、リール、パリ、マーストリヒトといった都市も攻撃目標となった。
また、予期せずにアメリカ軍の手に落ちた、ライン川にかかるルーデンドルフ橋(いわゆる「レマゲン鉄橋」)に向けても発射されたのは有名。

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ロンドン科学博物館のV-2。天井に干渉するので先端が外されている。

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英空軍博物館(コスフォード)にあるV-2は移動用ドリー付。

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ドイツ・ミュンヘンのドイツ博物館に展示されているV-2用ロケットエンジン。赤がアルコール、青が液体酸素を供給する配管。

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上から見たロケットエンジン。ドイツ・ベルリンの技術博物館にて。

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La Coupleのドーム内に展示されているV-2は迷彩塗装

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森の中からV-2を打ち上げるジオラマ。

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何時でも、何処でも、誰にでも....オランダの街中から打ち上げる様子を再現したジオラマ。
デンハーグからロンドンへ打ち出そうとしているところと思われる。

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カレー近郊の、ウトンという町の近郊の森の中に建設が始まったV-2発射基地の完成予想模型。
鉄道が左はら引き込まれ、降ろされたV-2は施設内で燃料補給をした後に、右に見えるレールの上を移動して建物の外に置かれ、そこから発射される。

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V−2発射基地建設の為に強制収容所の労働者が運ばれた有蓋貨車。

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建設途中で放棄されたV-2発射基地。
まず地面にコンクリートを流し天井となる厚さ5mの板を作り、水圧ジャッキによりそれを持ち上げ、横の壁を作るという工法が取られた。建設途中に爆撃を受けても被害が最小限で済む方法。
左の壁の中央に見える出っ張りが発射管制塔になるはずだった。
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貯蔵庫になる予定だった地区。

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貯蔵庫部分のクロスボー作戦で英軍が投下したトールボーイ爆弾が不発で、3mの厚さのコンクリートの天井を貫通した。

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メインの建物内、V-2ロケットの発射準備をするところ。V-2はだまし絵。

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英軍の爆撃が激しくなり、全面的に移動式発射台に切り替えた為に施設は建設途中で放棄された。近くのコンクリート工場から軽便鉄道で運ばれてきたコンクリートはそのまま風雨にさらされ袋入りのまま固まった。

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同じくカレー近郊の、ヴィゼルヌという町にあるV-2発射基地の完成予想図。こちらは更に大規模で施設の殆どは地下に置かれる。
まず天井のドームを厚さ5mのコンクリートで作り、支柱となるコンクリート柱を流し込んで作った後、空間となる部分の岩石を取り除いていくという工法だが、爆撃でドームの支えがずれたこともあり建設は途中で放棄された。

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完成すれば想像を絶する巨大な地下都市空間が出来るはずだった。縦に2本並んだ穴からV-2が台車に乗って出てきて、そこで発射される。

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上の模型と同じ方向からの眺め。巨大なドームが印象的。ドーム周りの支柱は爆撃でズレてしまった。
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数多く掘られたトンネルシステム。

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V-2開発者のフォンブラウンであるが、1945年春には研究所のあるペーネミュンデから150km程度までソ連軍が迫っていた為、米軍に降伏できるチャンスのある
西へ移動することになり研究所をミッテルヴェルクに移動。終戦まぎわの1945年5月2日に米軍と接触してV-2開発チームが米軍の手に渡ることになった。

米国に渡ったフォンブラウンと彼のチームはニューメキシコ州ホワイトサンズでドイツから戦利品として米陸軍が持ってきたV-2を整備・発射してみせ、その後、更に高性能な軍用ロケットを開発する。
この時期、宇宙開発ではスプートニック人工衛星、ガガーリンの有人軌道飛行などソ連が一歩リードしており、この時の様子は映画ライトスタッフに描かれている。
一方のドルンベルガーもやはりアメリカに渡り、米空軍でミサイル開発に従事した。
そしてNASAはアポロ計画においてフォンブラウン率いる技術チームがサターンVロケットを使い、1969年7月20日、アポロ11号がついに月面に人間を着陸させることが出来た。
ちなみに私は父親の隣でアポロ11号の発射カウントダウンをテレビで見ていた記憶がある(アポロ13号のニュースを見て祖母が心配していたのも覚えている)。

写真は上より
米国ケネディスペースセンターに展示されているサターンX型ロケット(アポロ19号用に製作されたが計画キャンセルにより未使用)
英国ロンドンの科学博物館に展示されているアポロ10号の指令船
米国サンディエゴの航空宇宙博物館に展示されている月面着陸歩行の再現
米国のNASA AMES研究所ビジターセンターに展示されている月の石。


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再現されたムカデ砲の砲身。

V-3

俗に「ムカデ砲」と呼ばれる、多数の火薬室を持つ大砲。それにより通常の大砲
よりもはるかに早い弾速を得て、はるか彼方の目標、ロンドンを砲撃するのがV-3
兵器。
完成すればV-1,V-2よりも遥かに低コストでロンドン攻撃が出来るはずだったが....

口径150mm、砲身長130m、砲弾重量140kgという巨大な榴弾砲。
ライフルリングの無い滑空砲の為、砲弾には安定翼が付けられた。
特徴的なのは、砲身の横には無数に斜め前方を向けて主砲身に合流する様に設け
られた火薬室があり、砲弾がここを通過する直後に点火することにより砲弾に徐
々に加速を与え、砲弾が砲身を離れる時には1500m/sという速度に達していること
。これにより165kmの射程を得られる計算だった。
砲の試験が完了しない内の1943年から、砲を据え付ける施設の選定と工事が始ま
った。
選ばれたのはフランス・カレーの南西に位置するミモワイエックで、ここに巨大
な3層に及ぶ地下通路を建設し、必用な弾薬と砲弾を装填して165km離れたロンド
ンを攻撃するという計画である。
砲は全部で25門を5ブロックに分けて、水平から50度の仰角を持って岩盤に設置す
る予定。砲はいずれも固定式。
施設の建設はトッド機関が行った。
建設が始まった直後から連合軍の航空偵察により怪しい動きが察知され、クロス
ボー作戦の一環として空襲を受ける。当初連合軍はここをロケット発射施設と思
っていたらしい。
1944年3月に5門を稼動、同年10月には全25門稼動の予定であった。
しかし実験施設での結果が芳しくないことから取りあえず砲3門の運用を目指す
ことになった。
1944年7月、ダムバスタースとして有名な617飛行中隊のランカスター爆撃機がト
ールボーイ爆弾を投下し、地下トンネルの多くが破損した。
ドイツ側はこれによりV-3基地の建設計画を放棄したのだが、連合軍はそれを知ら
ず爆撃を続けた。遠隔操作された無人で爆薬満載のB-17,B-24による攻撃も行われ
た。
結局、カナダ軍が1944年9月にこの地を開放に来て施設の残骸が連合軍の手に落ち
ることになった。

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ミモワエックにあるV-3地下基地の模型。斜めになっているのが砲身の置かれる穴。
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ミモワエックのV-3基地は現在、地下一階部分が公開されている。
それよりも下の階は爆撃でくずれたり占領後爆薬で破壊された為見学することは出来ないが、一階だけでもその巨大さに圧倒され、実際には通路が更に下に2層あるので、施設の規模は想像を絶するものがある。
これは上の写真で右に見えるトンネルを覗き込んだところ。600m以上続いているが途中爆撃でくずれて行き止まり。
50 51 13.5 N 1 45 31 E
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トールボーイを始めとする数々の爆撃と、連合軍占領後の爆破で、あちらこちらが崩れている。
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インディージョーンズ...
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結局V-3はロンドンに向け発射されなかったが、射程を落としたものがアルデンヌの戦いで使われた。
ドイツのトリアー近郊の森の中、木製の土台の上にムカデ砲を設置し、1945年1月11日から2月22日までの間、43km離れたルクセンブルグ市に向けて合計183発を発射。
内、44発が市街地に落ちて死者10人、負傷者35人を出した。
これはその模型。ルクセンブルグ国ディキルヒの軍事歴史博物館にて。

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上と同じ展示。これがV-3の砲弾。滑空砲から打ち出される為安定のフィンが後ろに付く。



V1,V2については概ねフィクション映画だが「クロスボー作戦」がある。
V1はエンジン音が途絶えて落下するという恐怖が味わえるが撃墜可能で、これが、V2になると突然落下爆発し、しかも撃墜不可能、というのがショッキング。

V3の登場する映画なんかねーよ、と思っていたら何と「ウォーピッグス」という映画に出てくる。
かつての二枚目俳優ミッキーローク(過去は過去…)と、動くV号戦車レプリカの出演料で殆どの予算を使い果たしてしまったのか、映画の出来はどこからどう見てもB級。
V3はそれらしきムカデ砲が登場する(模型?)のだが、結局、その上の列車砲みたいなのを破壊して「目的達成!やったー!バンザイ!」。
目が点になった。それ、攻撃目標のV-3じゃないから...




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