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ライン河渡河作戦
Operation Plunder, Operation Varsity

ドイツ軍劣勢がいよいよ決定的になった1945年3月23日の夜、4時間に渡る準備砲撃によりプランダー作戦の幕が開けた。
これはモンゴメリー元帥指揮の下、米と英連邦軍の共同によるもので、地上では英XXX(30)軍、XII(12)軍と米XVI(16)軍が、ドイツの都市ヴェセルとリースの間で、ライン川を西岸から東岸へと渡った。
翌24日の午前1000には、プランダー作戦の一環であるヴァーシティ作戦により、空挺部隊がライン川東岸にパラシュートやグライダーで降下し、目標を次々と制圧した。
作戦に参加した空挺部隊はアメリカが第13空挺師団と第17空挺師団、英軍は第6空挺師団で、合計1万6千の兵力が降下した。
これは1日の内に一箇所に対し実施された空挺作戦としては史上最大のものである。
(空挺作戦の規模としては1944年9月のマーケットガーデン作戦の方が大きいが、これは降下を複数日に分割され、降下地点及び制圧目標も最大で南北に約50km離れている。)
空挺降下にはパラシュート、グライダー共に使われた。
英軍のグライダー操縦士、副操縦士は着陸後地上戦に参加するのに対し、
米軍では従来そのような任務が与えられておらず、グライダー着陸後彼らは捕虜の警備位しかすることがなく「ヒマ」で、場合によっては「じゃま」だった。
プランダー作戦に際しては米軍も操縦士、副操縦士を地上戦闘要員に組み込むこととし、数週間前から地上戦の訓練を施し、実際にグライダークルーで組織された部隊がドイツ軍の反撃を撃退している。

ドイツ軍の抵抗は一部を除き極めて軽微で、24日午後には連合軍の空挺部隊と地上部隊が合流、同日夜には架橋でき、作戦3日目には幅55km、奥行き30kmの橋頭堡を確保した。

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渡河地点パノラマ クリックで拡大。
ライン西岸(実際には川の南)から撮影。左が下流。右の上流側、橋の向こうにリースの町がある。
この辺一帯が英XXX軍の渡河地点となった。
51 45 10 N 6 21 9 E

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空挺降下した英軍が速やかに確保した橋。
51 43 44 N 6 36 36 E

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こちらも同じく、空挺降下した英軍が速やかに確保した橋。
51 42 15 N 6 37 47 E

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ライン川にかかる橋(戦後にかけられた)の上から、上流方向を眺める。左がリースの町。
橋頭堡を確保した後、対岸から街に向かって仮設橋を設置し、英XXX軍が渡河した。
現在は無数の貨物船や艀がライン川をひっきりなしに行き来する。
51 45 17 N 6 22 37 E

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バッファローLVT水陸両用車は、プランダー作戦において、ライン川を渡り、更にその先の低湿地帯を越えて兵員輸送に活躍した。
この車両はプランダー作戦の準備の為、オランダ?ベルギー国境を流れるマース川で渡河訓練中に沈んでしまい、乗員2名が死亡。
1977年に引き揚げられ、レストアされた後、川の近くに屋外展示された。
2007年に再度レストアされた。写真は2008年撮影。
50 57 14 N 5 44 28 E

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連合軍はこの作戦の為に延べ数千機の航空機を投入した。
C-46輸送機は、ヨーロッパ戦線では実質的にプランダー作戦が初舞台となり、空挺隊員の輸送に活躍したが、参加機72機中19機が撃墜され多大な損害をこうむった。
写真のC-46は戦後航空自衛隊が使用したもの。浜松エアパークにて。

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ハンミンケルン駅周辺には英軍のグライダーが着陸し、駅構内に突っ込んだものもある。
51 44 7 N 6 36 6 E

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英軍の大型グライダー、ハミルカーに搭載するM22ローカスト軽戦車。
重量7.4トン、乗員3名、主砲37mm+7.7mm機銃×1
開発はアメリカだが、当初米陸軍には輸送可能なグライダーが無かった。
しかし英軍はハミルカーグライダーを開発中で、これに搭載可能な仕様とした。
プランダー作戦では8輌のローカスト戦車がハミルカーグライダーに搭載、投入されたが、グライダーが被弾して不時着した際に破損したり、故障したりして、更には敵の反撃も弱く、戦車としての満足な活躍には程遠かった。
ローカスト軽戦車の空挺作戦実戦参加はプランダー作戦が最初で最後となった。
また、ハミルカーグライダーもプランダー作戦が最後の作戦となった。
(その後、ローカスト軽戦車は、エジプトが対イスラエル戦に使用したが空挺作戦ではない)
ボーヴィントン戦車博物館にて。


マーケットガーデン作戦を例外として、慎重に進撃をすすめていたモンゴメリー元帥らしく、この作戦も準備に準備を重ねた結果のもので、必要以上に大規模で、準備期間も長すぎ(その分敵に防戦態勢を気付かれてしまう)と米軍は批判している。

プランダー、ヴァーシティ作戦は作戦規模の割りに知名度は低く、日本語で読める解説は皆無に等しく、英文記事も軍の公史などが中心で、映画化もされておらず、いかにこの作戦がドラマ性に欠けていたか判るというもの。




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