第二次世界大戦ヨーロッパの終戦
End of World War II in Europe

1945年4月27日、連合軍がミラノに迫る中、イタリアの独裁者、ムッソリーニは愛人とスイスに亡命しようとしていた所をイタリアのパルチザンに捕まり、翌日処刑され、その遺体はミラノ中心部に見せしめとして吊るされた。
4月29日に、ファシスト軍は全面的に降服した。
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写真:イタリアにあるムッソリーニの墓。プレダッピオというムソリーニの生地にあるのだが、自分で探した場所ではないので位置が良く判らん。
仕事でイタリアに行ったとき、同行したイタリア人の営業マン(ムソリーニ信奉者)が合間に連れて行ってくれた。
地下室にある立派な一族の墓で、誰でも自由に墓参りが出来る。記帳も出来るので日本語で記帳してきた。
その後、知り合いがやっている、という近くのムッソリーニ&ファシストのギフトショップに連れて行ってもらった。
ムッソリーニグッズとか、ナチスグッズとか、その手のマニアというか右翼向けなのか知らんが何かスゴい店。
靖国神社内の売店など足元にも及ばぬ。
店長もバリバリのムッソリーニファン。日本人の私の顔を見るなり「ナガサキヒロシマトーキョ」と叫んだ。
こちらもイタリアファシスト式敬礼で応対。枢軸側の訪問者は少ないらしく喜んでた。
しかしアンタらイタリアの根性が無いからお陰で日本とドイツは....とは言わなかった。ハッタリのドイツ、チャランポランなイタリアと組んだのは、結局日本の外交官に見る目が無かったということ。日本の外交官のアホさは今も変わってない。
でも、何だかんだいいながらイタリアはここ200年以上、ず〜っと戦勝国だ。



4月30日、独裁者で第二次世界大戦開戦の明らかに責任者であるヒトラー総統がベルリンの地下壕で自殺した。

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写真:ベルリンにある総統地下壕(Fuehrerbunker)のあった場所。現在は東ドイツ時代に作られた集合アパートの駐車場になっている。
ベルリンの観光スポット、ブランデンブルグ門やソニーセンターから500m程離れた所にあり、すぐ近くにはユダヤ人犠牲者記念広場もあるが、防空壕跡目当てで訪れる人は観光客のほんのごく一部。跡形も無く整地されているので無理も無いのだが。
現在は地下壕を解説するパネルが立っている。
52 30 45 N 13 22 54 E


5月1日にイタリアに駐留するドイツ軍が全面降伏。
そしてドイツの首都ベルリンの戦いは5月2日に終結しソ連に降服した。

5月4日には英軍のモンゴメリー元帥が、オランダ・北西ドイツ・デンマークに居る、艦船を含むドイツ軍の降服をリューネブルグの荒野で受諾した。
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写真:リューネブルグ荒野に置かれた降服場所を示す石。
場所はハノーファー、ハンブルグ、ブレーメンの間にある、本当に何も無い所。
案内板も何も無く、インターネット上の限られた情報と地図だけを頼りに探して訪問した。
すぐ奥は軍事演習場になっており立ち入りできない。
53 12 23 N 10 27 50 E


同じく5月4日に、オランダを占領しているドイツ軍の司令官ヨハネス・ブラスコヴィッツが、オランダのベルンハルト王子立会いの下カナダ軍に対して降服した。
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写真:オランダを占領しているドイツ軍が降服調印した場所はワゲンニンゲンの町にあるホテル。
場所は「遠すぎた橋」で有名なマーケットガーデン作戦の最終目的地だったアーネムの西15km
51 58 3 N 5 40 3 E


5月6日、ヨードルがフランスのランスに到着し、ヨーロッパの連合軍最高司令官アイゼンハワーに対して、西部戦線のドイツ全軍の降服を申し入れた。アイゼンハワーはドイツが連合軍に対して完全な無条件降伏をする事、すなわちソ連に対しても降服することを条件に降服を受け入れると言った。
ヨードルはデーニッツにこれを打診し、真夜中過ぎにデーニッツが合意し、5月7日早朝に連合軍に対する無条件降伏の文書が調印された。

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写真:ヨードルが降服調印文書に署名したフランスの町、ランスにある建物の外観。元々は軍の学校。

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写真:降服調印が行われた部屋がそのまま保存されている。
また、建物はちょっとした軍事博物館になっている。
49 15 44 N 4 1 34 E


5月8日、カイテル率いる一団がベルリンにてソビエト軍に対して無条件降伏を行った。
1945年5月8日のヨーロッパ中央時間23:01時を持ってヨーロッパに於ける第二次世界大戦は終結した。
(時差の関係でソ連や中東欧諸国の多くは5月9日を終戦記念日としている)
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写真:ベルリンにある、降服文書調印の館。
元々は国防軍学校に併設された将校クラブで、ドイツ敗戦後はソ連が占領地ドイツでの司令部として使っていた。
その後1949年に東ドイツ政府に権限委譲の調印式がここで行われた。
1967年以降はソ連の軍事歴史博物館の分館となり、東西ドイツ統一に伴うソ連軍撤退の後、現在はドイツロシア博物館となっている。
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写真:建物内の降服文書調印の部屋。調印相手である連合軍、米仏ソ連英国の国旗が並ぶ。「何だフランスも居るのか」
52 29 11 N 13 32 23 E
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写真:建物裏手にはソ連の戦車、車両が並んでいる。


6年間の戦争を経て、ヨーロッパに平和がやっと訪れたかに見えた。
しかしヨーロッパにおいて第二次世界大戦の終結は東西ドイツ分断と冷戦、という新たな対立と争いの序章でもあった。




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