ユーゴスラビア紛争
Yugoslav Wars

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現ボスニアヘルツゴビナの観光地、モスタルの町。
手前にイスラム教のモスクの塔、奥にキリスト教の教会の尖塔が見える。
大丈夫か?と思うがやはり大丈夫ではなかったらしい。
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世界遺産に登録されているモスタルの橋は内戦で破壊されて崩れ落ち、戦後復旧された。
橋の右の建物には戦災の傷が見て取れる。
ユーゴ内戦はセルビア=悪、イスラム=被害者と思われがちだがそんな単純なものではなく、これにスロベニアやクロアチアの独立問題も加わるから複雑だ。
戦争が終わり観光客が戻るようになった今も対立の火種は残っている。
43 20 14.0 N 17 18 53.3 E

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こちらは同じくモスタルにあるより小さな橋。
1992年〜1995年にかけての戦闘で被害を受けたが持ちこたえていた。
しかし1999年の増水をきっかけに崩れ、2002年に修復。土台の部分には弾痕が残る。
43 20 11.6 N 17 48 46.6 E

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町西部の建物。壁一面弾痕だらけ。

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東部の、イスラム教が多い地区にある建物。戦争が終わって10年以上経ったが修復にはまだ時間がかかりそうだ。

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もはや建物として使われない。

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こちらは弾痕が残るも使われている。古い建物を使い続けるヨーロッパのこと、この建物もこの先ずっと何世代にも渡りこのまま使われるだろう。

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長大な海岸線を抱え、観光資源豊かなクロアチア。
故に独立を求めた。世界遺産に登録されているドブロブニクは地中海の真珠とも言われるが、町を見下ろす丘を占拠され砲撃を受け、船着場と建物がいくつか破壊された。
現在は完璧に修復され、町を歩く限りここが戦地だったことは全く判らない。
42 38 27 N 18 6 34 E

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ドブロブニクの町とアドリア海の島々を見下ろす丘には、かつてはケーブルカーで行けた。
しかしケーブルカーの頂上駅は砲撃で破壊され、残骸だけが無残に残る。
42 38 58 N 18 6 41 E
尚、現在はロープウェーが修復され運行されているらしい。

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クロアチアの独立を記念してゲートガードとして展示されているソ連製T-55戦車
ユーゴスラビア軍の主力戦車で、内戦時の各勢力が使用した。

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クロアチアにある、美しい湖が広がるプリトヴィツェ湖群国立公園。
世界遺産に登録されてるが、ここも内戦の戦場となり、ホテルは占拠されて近一帯に地雷が埋められ、一時は危機遺産とされていた。
現在は危機遺産指定は外れている。
44 52 48 N 15 38 52 E

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戦争が終わり現在は沢山の観光客が訪れる。

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信じられないほど水が綺麗

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こんな綺麗な所が戦場だったとは。
まあでも沖縄、グアム、サイパンなども同じようなものですが。

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公園内は滝がやたらと多い

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クロアチアの首都、ザグレブ郊外にある戦争博物館
45 27 47 N 15 34 1 E
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クロアチア軍の装甲車

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撃墜されたセルビア軍のMig-21 背後は争奪戦のあった建物

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この町には2種類の建物しか無かった。
1つは古くて弾痕の残る建物、もうひとつは新しく弾痕の無い建物だ。

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携帯メールをいじりながら談笑する少女たち。
恐らく内戦のころは幼く、戦争の話は親から聞くだけなのかもしれない。
今は平和だがいつまでも平和、という保障はどこにも無い。

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アパートの3階に立て篭もって抵抗した痕跡




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