タイ海軍
Royal Thai Navy

多分世界で一番お茶目な軍隊、タイ海軍。
その歴史は色んな意味でアメージングなタイランドの歴史そのもの。

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タイ海軍旗(錨)と、タイ軍艦旗(象)。しかし、象って泳ぐのか?



【初期】

現在のタイ王国の元になるアユタヤ王朝時代の軍隊に陸軍、海軍の区別は無かった。
内陸にあるアユタヤから周辺に軍が移動する時、より効率的に兵や武器を移動できる様、船を出来るだけ使い、どうしても船が使えない場合に陸路で移動した。

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アユタヤ期頃の軍艦の模型。前部に大砲を固定して搭載しているがこれは使い物になるのか?タイ海軍博物館の模型。

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アユタヤ期の船は全て失われており現存するのはいずれもチャックリー王朝時代のもの。
天蓋付の船は王族他VIPの移動に使われた。これも艦首に砲口が見える。タイ海軍博物館にて。

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アユタヤ王朝の宮殿。これはバンコク郊外のムランボアンというテーマパークにあるレプリカ。
内部を含め非常に細かく作りこまれている。
本物の宮殿はアユタヤにあったが、ビルマ軍の破壊により何も残っていない。
13 32 46 N 100 37 43 E (レプリカ)
14 21 34 N 100 33 30 E (本物が建っていた場所)

手前にあるのは、1/2程度に縮小されているが、アユタヤの川沿いにあった要塞のレプリカ。

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こちらは本物のアユタヤのポムペッチ要塞。武器は置いていないが、それなりにレストアされているらしい。
14 20 46 N 100 34 35 E

古都アユタヤの心臓部は川の中州(というか島)で、3つの川と運河に囲まれている。
アユタヤ王朝は1351〜 1767年まで続いたが、当初は運河を掘ったときの土を島の周りに盛り上げていた。
16世紀中ごろにはレンガで周りを囲んだが、1559年にはビルマ軍によるアユタヤ占領を一旦許してしまう。
1580年代にこの要塞がフランスやポルトガルの技術で作られた。
そしてかつては島の周りをこのような要塞(29箇所あったと言われる)と、壁で囲っていた。
攻め込むビルマ軍も手こずったが、結局島の北側から侵入し、1769年に2度目の占領を行い、都を徹底的に放火破壊した。
タクシン王は都をチャオプラヤ川下流のトンブリに移すことにした。

しかしタクシン王はやがて異常発言を繰り返すようになり、1782年にクーデタを起こしたチャックリーが王(ラマ1世)となり、都はトンブリ対岸のバンコクに移された。
以降今日のラマ9世に至るまで、チャックリー王朝が続いている。

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チャオプラヤを不法に遡る船を攻撃出来る様設けられたプレーンファイファー要塞。
ラマ2世の時代のものという。
13 39 25 N 100 31 58 E

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バンコクの王宮の対岸にあるウィチャイプラシト要塞。
アユタヤ期の17世紀後半に築かれたという(恐らくその後改修しているのではないか。また、展示してある砲は更に後の時代のもの)。
現在は海軍の敷地内にあり海軍旗が翻っている。
2017年現在主要に流通している100バーツ札(ラマ\世が年老いた方の新札)の裏がこの要塞、ということにさっき気付いた。
13 44 32 N 100 29 27 E

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首都が現在のバンコクに移ったラマ1世の時代に作られたプラ スメーン要塞。
バンコクの王宮と市街地を守るため、チャオプラヤ川と運河の合流点に設けられた。
13 45 50 N 100 29 45 E


【パークナム事件】

タイの隣国、インドシナを植民地化したフランスは、更に植民地を広げる野心を持っていた。
1893年7月13日、フランスの軍艦がチャオプラヤ川河口の守備隊を突破して川を遡り、王宮近くのフランス大使館前まで到達し、タイに対しメコン川東岸(現ラオス)の支配権を譲る、その他不平等な貿易条約を締結する様脅しをかけた。

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バンコク北方のドンムアン空港発、南下してシンガポールに向かう旅客機から見たチャオプラヤ川の河口。
画面左奥が北方。
パークナム事件では郵便船に先導されたフランス軍艦が2隻がプラチュラチョームクラオ要塞(A)からの警告射撃(その後実弾射撃)を無視して河口からチャオプラヤ川をさかのぼり(ただし水先案内の郵便船は被弾してAの対岸に座礁)、機雷(AとBの間)をすり抜け、タイ海軍の軍艦(B)の砲撃をものともせず、少し上流の西岸パークナムと東岸プラサムートジェーディーの間にあるピースアサムット要塞(C:判りにくいが西岸寄りの島になっている。)も突破して蛇行する川を上り、フランス大使館(画面外)に到達した。
当時、タイ海軍の軍艦も要塞も、指揮官は外国人であった。

この写真、機内最前列の客席から撮影しており本来ファーストクラスの場所だが、赤いウィングレットで判るとおりLCCのエアアジアというのが悲しい(それでも追加料金払っているホットシート。しかし、そもそも出張でエアアジアというのが情けない)。

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パークナム事件に関係する船舶の模型。いずれもプラチュラチョームクラオ要塞の展示。
これはフランスの郵便船で、河口までフランス軍艦の水先案内を務めたJean Baptiste Say。
本船は被弾した為河口の、要塞の対岸に座礁し、チャオプラヤ川は遡っていない。

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悪役1号と2号、フランス海軍の軍艦で、チャオプラヤ川を遡りフランス大使館前まで辿り着いた通報艦インコンスタン(左:Inconstant)と砲艦コメート(右:Comete)

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タイ海軍の役立たずその1 Muratha Wasitsawat(左)と、役立たずその2 Han Hak Satru(右)

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役立たずその3 Makut Ratchakuman(左)、その4 Thun Kramon(右)

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役立たずその5 Narubent Butri

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こちらも盛大な役立たずの、プラチュラチョームクラオ要塞の模型。同要塞内の展示。
砲台7門いずれもアームストロングの6インチ隠顕式砲を装備。写真上が海側(南)、チャオプラヤ川は左(東)になる。

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現在のプラチュラチョームクラオ要塞の模型。写真右方向が海側(南)。
かつては海に向け開けていたが、現在はマングローブが生育している。
左上の茶色い屋根の大きな建物は海軍レストランでシーフードが旨い。
奥に見える軍艦は保存展示されている練習艦メークロン。要塞の中央にはラマ5世の銅像が立てられ、公園化しているのが判る。
近辺は猿と蚊が多いので、虫除けを忘れずに。

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練習艦メークロンの艦上から見たプラチュラチョームクラオ要塞の本体周り。
画面左の海に向けパークナム事件当時は視界が開けていたが、現在はマングローブなどの木が茂っており要塞からこの方向に海は見えない。
13 32 15 N 100 35 03 E

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要塞の7つの砲台をつなぐ通路。

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要塞の砲台には隠顕式6インチ砲が7門全て残っている。
要塞/堡塁/砲台というと、大砲類は殆どの場合鉄屑として外されており、残っていても1門というケースが殆どなのだが、ここでは全部の砲台に恐らくオリジナルの砲が備わっているのが凄い。内一門は砲身を持ち上げて空砲が撃てるよう空圧シリンダーが付けられている。

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別の砲を上から見下ろす。

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河口に近づくフランス艦艇3隻に対し砲撃をしている模型で、砲身を持ち上げた状況を再現している。

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ピースアサムート(英語表記 Phi sua samut、Peesua-samut、Phi seur samutなど)要塞。
チャオプラヤ川の中州にある。
13 35 42 N 100 35 15 E

ピースアサムート要塞は、元々1819年ラマU世の時代に建造された要塞で、ラマX世の命令により1890年代初頭に改装され、同時期に新築されたプラチュラチョームクラオ要塞と同じアームストロングの隠顕式6インチ砲を備える。
規模はプラチュラチョームクラオ要塞よりも小さくて砲3門。
改装直後に発生したパークナム事件ではフランス艦艇に砲撃を加えたが結局効果なし。
要塞は公式に公開されて間もないこともあり、英語の情報が少なく、日本語の訪問記は皆無(2017.1月末時点)。
要塞内は自由に見て回れる。
バンコク市内からはBTS(高架線鉄道)、バスまたはタクシーを乗り継いでパークナムに行きそこからフェリーでチャオプラヤ対岸に行けばいい。
要塞の受付で記名して敷地に入る。パスポートは不要だったが、軍の敷地ということもあり何時も不要とも限らないので持ってた方がいいかも。
日本人だと言ったらはるばる遠くから...と喜んでくれて(いや、バンコク住んでるんだが)、若い兵士を案内に付けてくれた。
英語殆ど話さない人だったので残念。自分を「Army」というので、いや、君は「Navy」だろ、と。多分軍隊=Armyの感覚なんだろうが。

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ピースアサムート要塞の砲台。写真は3番砲台(要塞内から見て一番左側、西側)。入口横にタイ文字で3と表記されている。
ここは屋根付の通路は無く、砲台に直接地上から出入りする。

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こちらも3つの砲台に6インチ砲が3門全て残っている。尾栓が失われているなど一部状態はプラチュラチョームクラオ要塞よりも劣るが、全砲残っているというのは凄い。射程3km。写真は1番砲

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マングローブ越しに、フランス軍艦がやってきた南側(河口側)を見る。
付近には港(はるか後方、上流にある)での荷降ろしを待つ船が多数停泊している。

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チャオプラヤ川を遡ったフランスの軍艦が辿り着いたフランス大使館。
13 43 29 N 100 30 53 E
河口からここまでの距離は直線で25km、実際に川をさかのぼった距離は50km近い。
ここから更に3.5km上流にはウィチャイプラシット要塞、4km上流には王宮がある。
首都バンコクというか、タイ王国心臓部の、かなりやばい所の近くまでフランス軍艦の侵入を許してしまった。

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フランスに領土を取られて落ち込んだという当時の国王ラマ5世の像。
フランス軍艦の侵入を阻止できなかったプラチュラチョームクラオ要塞の中央に建造したというのは深い意味があるのか?
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【装備の近代化】

このままではまた領土を取られてしまう、というので海軍の近代化を図り、指揮も外国人に頼らず自分達で出来るようにした。
装備の近代化の為、主に英国から艦を購入した。

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英国から新造艦として購入した装備、HTMSプラ ルアン駆逐艦。
タイ海軍の近代化に貢献した「タイ海軍の父」Abhakara Kiartivongse クロムルアンチュムポーンケートウドムサック提督(長っ)が自らイギリスに受領しに行き、タイまで航海してきたという。1920年10月に就航。

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こちらもイギリスから購入したラタナコシン級砲艦砲艦スコータイの模型。アームストロング社製、1929年進水、1930年就役。姉妹艦にHTMS ラタナコシンがある。

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ラタナコシン級砲艦(ラタナコシンかスコータイかどちらか)の艦首に付けられていた、タイ海軍艦艇の証、ガルーダ。ナショナルメモリアルにて。

1930年代には更なる海軍軍備の更新と近代化を図る。
今回はイタリアと日本から装備を購入。
日本から購入した軍艦は以下。
トンブリ級海防戦艦(2,265t)
 トンブリ
 スリ・アユタヤ
ターチン級練習艦(1,400t)
 ターチン
 メークロン
マッチャーヌ級潜水艦
 1番艦マッチャーヌ
 2番艦ウイルン
 3番艦シンサムッタ
 4番艦プライ・チュンポーン
Kyongyai級哨戒艦
 Kyongyai
 Kantan
 Takbai
輸送艦・給油艦3隻

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メークロンは1937年横須賀製、練習艦として長らく使われた後1996年に退役、現在はプラチュラチョームクラオ要塞の横に展示されている。
第二次世界大戦以前に建造された軍用艦で残っているのは極めて珍しい。
13 32 19 N 100 35 04 E

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武装は150mm砲を前後に2門づつ、計4門。副砲は無い。

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三笠同様、喫水線から下は地面に固定されている。
艦首にはタイ海軍籍の証、ガルーダの紋章。
尚、現在のタイ海軍艦艇は艦首ではなくブリッジ中央下に紋章を付けるのが基本の模様。
船首下方にはタイでお馴染み、お昼寝中の野良犬。
タイは野良犬が多く、また、庶民の飼い犬も首輪をつけて放し飼いにするのが基本らしい。
道端、駅、寺、住宅街、市場、繁華街、遺跡、ビーチと、本当にどこにでも犬がいるので珍しくもなんとも無いのだが、さすがにコンビニ店内の冷蔵庫前で野良犬が爆睡している(店員は暖かく見守るだけ)のには笑わせてもらった。

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メークロンのブリッジ。
基本的には退役時の装備状態なので、結構な部分がオリジナルではなく戦後の英、米、独、日本製の機器に置き換わっている。
ただし、操舵輪の付いている部分はオリジナルの様だが。

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見張り台。写真には写っていないが伝声管も残っている。
備品の多くは米国製に入替えられているが、測距儀はオリジナル?

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魚雷発射艦。2本1組で左右にある。1937年渡辺鉄工製のプレート付。

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対空機銃は動かすことが出来てガキ供に大うけ。子供に混じって操作していみたのは言うまでも無い。

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後部はレールに載った機雷と、爆雷投擲装置がある。

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こちらは海軍博物館に展示されているメークロンの模型。就役当時の状態を模型化している模様で、保存艦の状態と比べると面白い。
艦載機はシャム国海軍水上偵察機で、タイ海軍向けに渡辺鉄工が作ったもの。
潜水艦搭載用の九六式小型水上機をベースにしているとのこと。
メークロン号はカタパルトが無いので、水上機はクレーンで吊り上げ、海面まで下ろしてから発進した。

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海軍博物館の前庭に展示されている、マッチャーヌ級潜水艦マッチャーヌの艦橋と砲。
艦橋はプラチュラチョームクラオ要塞にも展示されているが、形状が異なる。ひょっとしてどちらか(または両方)レプリカ?
砲は本物の様子。黒丸のハッチはペイント(反対側に本物のハッチがあるが中に入れず)。
13 36 34 N 100 35 43 E

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潜水艦マッチャーヌのスクリュー。2つ1組の内の一つ。海軍博物館にて。

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三菱重工製のマッチャーヌ級潜水艦マッチャーヌの模型。海軍博物館にて。

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Kyongyai級哨戒艦、Takbaiの模型。
排水量135トン、速力18ノット。石川島造船製。海軍博物館にて。

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函館どつく製の給油艦HTMSサムイの模型。海軍博物館にて。

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これも日本製の輸送艦HTMS Srichang。ネームプレートが欠如していて詳細確認できず。


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こちらはイタリアから購入した水雷艇、Trad Class。
トラッド級またはトラート級と表記されるが、発音はタラートに近い。
トリエステのモンファルコーネ造船所で1936-37年にかけて完成した。基準排水量470トン
7番(その後11番となる) トラート
8番(その後12番となる) プーケット
9番(その後13番となる) パッターニー
10番(その後21番となる) スラートターニー
11番(その後22番となる) チャンタブリー
12番(その後23番となる) ラヨーン
13番(その後31番となる) チュムポーン
14番(その後32番となる) チョンブリー
15番(その後33番となる) ソンクラー
いずれもタイ王国の県名が付けられている。
写真はタイ海軍博物館に展示されているチュムポーンの模型。

【チャーン島沖海戦】

第二次世界大戦が勃発し、1940年にフランスはナチスドイツに占領されたが、形式上はヴィシー政府を設定し独立を守り、海外のフランス植民地も存続した。
1940年9月には大日本帝国軍がインドシナに駐留を開始した。
母国フランスからの応援が来ない今がチャンス!とみたタイのピブーン政権はインドシナのフランス植民地軍に対し1940年11月23日に開戦、1893年にフランスに割譲した失地の奪還を図る。
フランス、タイは互いに基地を航空攻撃し、翌1941年1月5日より陸上戦が本格化する。
陸の戦いでは機甲力に劣るフランスが不利。
ここに来て、フランスはタイ湾で行動を起こす。

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チャーン島沖海戦の解説図。ナショナルメモリアルの展示パネルを元に作成。
海戦前日の1941年1月16日午後、フランスの偵察機がチャーン島沖に停泊している軍艦を発見し司令部に打電。
1941年1月17日未明、フランスの艦隊はクルム島近辺を目指して航海。

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本土のレームゴープからチャーン島に渡るカーフェリー上から眺めたチャーン島沖海戦の現場。
Lim島とチャーン島の間に停泊していたタイ海軍の海防戦艦トンブリは、フランス艦隊を迎えに動き出すが、Mai Si Yai, Mai Si Lek島の向こう側からフランス海軍軽巡洋艦ラモットピケの砲撃を受け損傷、迷走の末タイ本土に近い浅瀬に座礁して転覆した。
迷彩服を着た人たちは海軍の肩章を付けているので海兵隊?
「今度はチャーン島のあの高台に見張り台を設けて、島の西側にも艦船を配備すれば勝てる!」....もうフランス軍来ないとおもうぞ。

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1941年1月17日06:05にフランスの偵察機が近くを飛行しているのを、チャーン島沖に停泊中の海防戦艦トンブリの乗組員が発見、艦を動かす用意をする。同時に、170km西の軍港サタヒープに無線で連絡、そこに居た海防戦艦スリアユタヤ他数隻に出撃命令が出る。
写真は海戦開始前、海防戦艦トンブリが停泊していた場所で、左の小島がLim島、右の小さな島はSalak島、背後はチャーン島。停泊していたのはLim島の南側、写真左端あたり。
Lim島は長さ550m、Salak島に至っては長さ130mの小さな無人島だ。
チャーン島周辺には大小合わせて50ほどの島がある。

軽巡洋艦ラモットピケは停泊中のタイ海軍水雷艇を砲撃した。その砲火は日の出前の暗がりの中、海防戦艦トンブリからも島の丘向こうに見えた。

06:20に海防戦艦トンブリが動き出し、南東に向かった。

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日本製の海防戦艦トンブリの模型。タイ海軍博物館にて。

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本土からマーク島へ向かうスピードボートから見たチャーン島沖海戦現場。フランス側(南側)からの視点。
普通海戦というと海の真ん中で行われるので、360度水平線の写真を撮って「ここが海戦の現場です」と言っても面白くもなんとも無いのだが、チャーン島沖海戦の場合はランドマークとなる島が多い。
写真左奥に薄っすらと見えているのがチャーン島。

06:45に、写真左から右に向かって航行(東北方向)していたラモットピケが、トンブリへの砲撃を開始する。
これは、写真中央の、Mai Sai Yai島(左)とMai Si Lek島の間の海峡から砲撃している。
トンブリも主砲、後に副砲も加わり応戦したが、練度が低く目標から遠く離れた所にしか着弾しなかった。
6:48にラモットピケの放った砲弾が命中しだし、トンブリの戦闘指揮所に居た艦長が死亡、他数名死傷、操舵が出来なくなり、Mai Si Lek島の北側で、速力14ノットでぐるぐると4回回りだした。
無事だった航海士は艦尾に向かい予備の操舵輪で舵を取り戻した。
トンブリは引き続き被弾した。

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海防戦艦トンブリの、フランス軍の砲撃を食らって死傷者が出た戦闘指揮所(艦橋の下の階)の様子。
上の写真はナショナルメモリアルにて。
奥から二人目、横たわって死んでいる人は最近加わったようで(新考証?予算が下りた?)以前は居なかった。
下の写真は、現在海軍兵学校の校庭に展示してある、本物のトンブリの戦闘指揮所。

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一方、2隻の水雷艇ソンクラー、チョンブリーはほぼ同時にフランスの攻撃を受け、動き出す間もなく沈没しており、ソンクラーでは06:45に、チョンブリーでは06:50に総員退艦命令が出ている。

写真は本海戦で沈没した、2隻のトラート級水雷艇、チョンブリー(No.32)及びソンクラー(No.33)の模型。
トラート県レームゴープの、チャーン島海戦記念施設にて。
尚、チャーン沖海戦当時は艦番号は船体に記入していなかったらしい。
チョンブリー、ソンクラーは今に至るまで引き揚げられておらず、ダイビングで見る事が出来るが、視程の良い日が少ないらしい。(というか私、潜る免許持ってないし...)


06:59に浅瀬を避けるためラモットピケは方向を転換し、南西に向かった。

一方、タイの水雷艇2隻を沈めたフランスの通報艦は、7時過ぎにトンブリへの攻撃を開始した。
再度東北に向かっていたラモットピケは、07:50頃にトンブリに向けて魚雷を3本発射したが命中せず。

08:01、トンブリは沈むと確信したラモットピケの艦長は4隻の通報艦に攻撃中止を指示し、フランス艦隊は沖に向け進路を取った。

火災を起こしたトンブリは沈没を回避し座礁させる為本土に近づき、11:00に総員退避を開始する。

午後になってスリアユタヤが現場に到着するが、時既に遅く、フランス艦艇は去っていた。
17:40にトンブリは右舷に傾き転覆し座礁した。

この海戦でのタイ側の戦死者は36名で、内トンブリが20名、ソンクラーが14名、チョンブリーが2名。
フランス側はほぼ無傷で、フランス側の圧勝であった。

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海防戦艦トンブリ艦首のアップ。非常に細かく作りこまれている。
艦橋の窓ガラスが割れているのはチャーン沖海戦の状態を再現したものか?

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ラモットピケの砲弾がトンブリに命中。砲弾とパネル&ハッチ周りが残っている。タイ海軍博物館にて。

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海防戦艦トンブリの船鐘。左はナショナルメモリアルの展示、右がタイ海軍博物館のもの。どっちが本物!?

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転覆座礁したトンブリだが、その後浮上に成功し、バンコクの海軍ドックに曳航され(日本に曳航したという連合軍の資料もがあるが)日本の協力で修理された。
その後は専ら繋留され練習艦として1959年まで使用され、航海には出ていない。

退役後、船体は解体されたが、艦橋と前部主砲、他にスクリューがタイ海軍兵学校の校庭に保存されている。
艦橋右舷の*印は着弾箇所を示すものか。
内部も見学出来るが殆どの装備は外されており、主砲も本体は残っているものの尾栓や上下角度調整機構は失われている。
13 36 34 N 100 35 33 E

さて、タイとフランスとの戦争は1941年1月28日まで続くが、日本が仲介に入り、1月31日に休戦をサイゴン沖に停泊している軽巡洋艦 名取の艦上で調印した。

後の1941年5月9日に東京条約を締結し、ここは何かとタイを味方に付けた方が良いとの思惑の日本の尽力のお陰で、戦闘では決して有利でなかったタイは、フランス領インドシナから79029平方キロの領土を取り戻した。

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ナショナルメモリアルの、タイ王国の歴史絵巻の一部。
一番奥に、チャーン島沖海戦で沈む軍艦が描かれている。
その手前は、パークナム事件で結局役に立たなかったプラチュラチョームクラオ要塞の、7門の砲台。
この歴史絵巻、アユタヤ炎上のようなタイの負け戦も描かれているが、さすがに第二次世界大戦中タイが枢軸側だったことには触れず。

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フランスとの戦い、領土奪還を記念して、同1941年中に、バンコク市内に「戦勝記念塔」Victory Monumentを建設した。
...おい、ちょっとまてよ、全然戦いは勝ってないだろうに!
戦闘で勝っていなくても、堂々と「戦勝」(Victory)と名づけるタイのお茶目さ。

現在の戦勝記念塔は路線バス、中〜長距離ミニバス(ワンボックスの乗合)の拠点で、高架線BTSの駅もある交通要所となっている。
当然、フランス人を含む外国人も多数乗降したり通過したりするのだが、果たしてこの塔の意味合いを理解している人はどれだけいるのだろうか。
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その後タイに恩を売った大日本帝国は太平洋戦争中はタイに駐留し、タイは日本軍によるマレー半島やビルマ攻撃の足がかりとなった。
大日本帝国と組んだおかげで、太平洋戦争中、タイは更に領土を広げることが出来、マレーシア北部、ビルマ東部もタイの領土となった。
ちょっとウハウハだったに違いない。

しかし、その後、貿易量低下による経済の低迷、英米軍のタイ爆撃などにより雲行きがあやしくなっていく。
海防戦艦ターチンも、連合軍の空襲により1945年にサタヒープで撃破されてしまった。
やがて終戦。日本と組んで米英に宣戦布告していたタイは、「いやぁ、あれは本意じゃなかったんです。あれは無かったことに...」といって、本当に無かったことになってしまった。
すげー、これって、すごい外交手腕!やるな、タイ王国。

結局、折角タイが(日本の外交で)フランスから奪還した領土は、最終的に手放すことになってしまった。
現在その土地は独立国ラオス、カンボジア領なので、タイが取り戻すことはまず不可能だろう...
タイ人A君(20代・英語達者)にこの失地について聞いて見たら「まあいいんじゃないか、ラオス人はタイ人と殆ど同じだし」という答えになっているのかいないのか判らない返事だった。
タイ人B君(30歳位)は流暢な日本語で「しょうがないです」....
これがマイペンライ精神なのか?若者たちよ、君たちは本当にそれでいいのか?



【マンハッタン反乱】

クーデタはタイの風物詩である。
実はこのサイトの文章を私がバンコクで書いている現在(2016年9月)も軍が政権を握っており、来年の選挙待ちの状態だ。
さて、数あるクーデタの中でも海軍が起こした反乱は壮絶かつ、滑稽であった。
1951年6月29日、サルベージ艦マンハッタン号を米国からタイに贈呈する式典が、バンコク王宮前のチャオプラヤ川にあるRatchaworadit桟橋で行われた。
これに出席していた当時のピブーン首相は、海軍の政権転覆派により拉致され、日本製海防戦艦スリ アユタアに人質として監禁された。
スリ アユタヤは下流のバンナーにある兵站拠点に向かおうとしたが、開閉式のメモリアル橋が開いておらずその場に往生した。
すると、人質、しかも首相が乗っているのもお構い無しに警察、陸軍と空軍はスリ アユタヤを砲や航空機で攻撃し、撃沈してしまった。
首相が乗っているのに攻撃する方もどうかと思うが、一方で、爆撃機や雷撃機ならともかく、スピットファイアとテキサンの攻撃で簡単に沈んでしまう戦艦というのはちょっと情けないと思うが...
ピブーン首相はチャオプラヤ川を泳いで岸にたどり着き無事保護され、海軍のクーデタは失敗に終わる。

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海防戦艦スリ アユタヤは、姉妹艦のトンブリと同じく日本製。
絵はクーデタ前に描かれたものだろうが、タイ海軍の恥ともいうべき事件の主役艦の絵がまさかタイ海軍博物館に堂々と飾ってあるとは...(プレートに英語表記がなければ、「ああ、これトンブリね」と思っただろうに)

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行き当たりばったりのクーデター計画の為、メモリアル橋の開橋が出来ず、アユタヤはチャオプラヤ川上流に閉じ込められることになる。
尚、現在メモリアル橋の開閉機構は閉鎖され、下流側すぐ隣にコンクリートの低い橋が出来たこともあり、大型船は現在これより上流には入れない。
13 44 22 N 100 29 51 E

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海防戦艦スリ アユタヤを攻撃した、空軍のT-6Gテキサンの同型機。
プラチュアップキーリーカンの空軍基地内、歴史公園に屋外展示されているもの。
本機には翼下ハードポイントが設けられているので攻撃機としても使えるが、この機体とは別に空軍博物館に展示されている2機のT-6にハードポイントは見られないので、全機が攻撃機として使える訳では無さそうだ。
T-6は当時の海軍も(12機?)運用していたが、クーデターのペナルティとして取り上げられて空軍に移籍。
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スリ アユタヤを攻撃したスピットファイアの同型機。タイ空軍博物館にて。
元々は、英空軍が東南アジアに駐留していた時の機体だが、退役と共にオーバーホールしてタイに売却したもの。
万能の戦闘機、攻撃機、偵察機として使えるよう機関砲、翼下ハードポイント(爆弾、ロケット)、胴体側面カメラを装備している。

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画面左側がスリ アユタヤが沈んだ付近。右側はウィチャイプラシット要塞。
メモリアル橋は画面左奥(白い橋柱2本が見えている)。
海防戦艦スリ アユタヤはその後解体された。
13 44 35 N 100 29 31 E


失敗に終わったクーデターの罰に、海軍は弱体化され、特に海軍航空隊は閉鎖され、航空兵力については全て空軍に移籍されることになった。
没収・移籍される機材の内訳は以下:
・ノースアメリカンT-6テキサン(12機?)
・パイパー PA-11 カブ 2機
・ビーチボナンザ 2機
・マイルズ M14A ホークV/マジステール 数機
 (空軍も既に採用していたので海軍との振分不明だが合計で20機)
・デハビランド DH82A タイガーモス 31機(〜37機)
・グラマンF8Fベアキャット 10機
 (空軍で129機運用、内10機は海軍発注だが空軍に納入)
・カーチスヘルダイバー 6機 (4月に海軍配備、6月に没収)
・フェアリーファイアフライ 10機(海軍が発注していたが空軍に納入)
・グラマンG-44Aウィジョン 5機
タイ海軍の公式ホームページではこの事について「closed down on 12 July 1951 for political reasons」とさらりと記載している。
原因を作ったのはお前だろ!という突っ込みを受けそうな文面を堂々と、英語で、世界に向けてインターネット公開するタイ海軍って、お茶目...

空軍が海軍から没収した機体の多くは、タイ空軍博物館で見ることが出来る。

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空軍が海軍から没収したパイパーカブ。空軍博物館の前庭に展示されている。

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こちらも海軍から空軍に移籍されたビーチボナンザ。タイ空軍博物館にて、最近塗装し直した。
尚、海軍籍時代の1949年2月12日、海軍基地のあるサタヒープから1機のタイ海軍所属ボナンザが盗まれビルマに逃避行(逃飛行?盗飛行?)した。10日後に返却された。飛行機を盗まれる軍隊って...

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反乱を起こした海軍には厳しい。飛行機は全部没収。
デハビランド DH82A タイガーモス。こんなのも没収して空軍に移籍。空軍博物館にて。

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最強のレシプロ戦闘機、F8Fベアキャット。
海軍は10機発注したが、結局空軍に納入。空軍はこれと合わせて計129機を運用。
ドンムアン空港で行われたタイ空軍の航空ショーにて。

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ヘルダイバー急降下爆撃機。本来海軍が運用する機体だが、クーデターのペナルティとして空軍に移籍(没収)された為、現在空軍博物館の展示物となっている。

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フェアリーファイアフライは海軍が発注したが、納入時には既にクーデタに失敗しており、海軍ではなく最初から空軍に納入した。
戦闘機と爆撃機両方の任務をこなす位置づけだが戦闘機はかなりツラいだろう。

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グラマンG-44Aウィジョン。海軍が運用してしかるべき機体だが空軍に移籍。
タイ空軍はその長い歴史、海軍機の編入、政策の変更、多数の国から様々な中古機を買って短期間運用する方策、ベトナム戦争の影響などから非常に多くの機種を運用しており、それをまた大切に保存しているので航空博物館が恐ろしく充実している。東南アジアでは間違いなく一番、欧米と比べてもひけをとらない機種の豊富さが魅力。正直航空自衛隊の博物館などはどこも足元にも及ばない。

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海軍が再び航空機解禁となってから初めて導入したアルバトス飛行艇。
1962年〜1981年の間、米海軍のお古(Bu151264,151265)を購入して2機体制で運用。
1968年に1機(151264)が墜落してしまったので、今度は米空軍のお古を購入して充当。
この、元米空軍機(51-7235)が海軍博物館の前庭で展示されている。
13 36 34 N 100 35 42 E
後方に見える建設中の建物は高架線BTSの駅。路線が延長され駅が開業すると、ここは世界一訪問しやすい海軍博物館になるだろう。
尚、残るもう1機(Bu151265)はウタパオ基地のゲートガードとして保存されている。
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【現在のタイ海軍】
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これが(一部で)有名な世界最小の「空母」HTMSチャクリ ナルエベト CVH911。
スペインで建造され、垂直離着陸固定翼機マタドールを搭載して攻撃力として運用するはずが、マタドールの退役によりヘリ空母としてのみ運用。
しかも予算不足で災害救助以外は殆ど活動せず、通常はサタヒープの軍港に繋留し、ほぼ毎日一般民間人の見学のために開放している。
女子供にも大人気。まあ無料テーマパークみたいなもの。
いいのか、高い買い物をそんな使い方で、タイ海軍?
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インターネットの情報では「外国人は空母の艦内甲板に入れない」「誰でも入れる」の両方の情報が錯綜しているが、私が訪問した時は問題なく入れた。
他にも英語で会話している中国系の女3人組(シンガポールあたりか?)もいたので外国人云々は問題ない。
(しかし女性3人で空母に乗って面白いのか...空母やミリタリーと関係ない世間話ばかりしていたし)
ただ、ファラン(欧米人。いわゆるガイジン)は艦内に居なかったので容姿でふるいわけているのか?
とにかく無事艦内と甲板見学。

日米の空母や強襲揚陸艦は何度も見学しているが、スキージャンプ台付甲板を歩ける日が来るとは思わなかった。

固定翼機はハリヤー(マタドール)の運行のみ想定している為、カタパルトが無い。
ハリヤー無き今、甲板の傾斜部は全く意味がないだろう。

チャクリ ナルエベトは基本的には小型のヘリ空母と言ってよく、基準排水量10,000トン。
ちなみに海上自衛隊のおおすみ型は基準排水量8,900トン、ひゅが型13,950トン、いずも型19,500トン。

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タイ海軍のお茶目さは21世紀にも健在。
空母チャクリ ナルエベトの前方エレベータ口から見下ろした格納庫の壁には「Never Mind is the way to die」という難解な英語のスローガンが。
死ぬ時はなにも気にしない?何も気にせず死に行け?撃墜されてもしょうがない?マイペンライな死に方?

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タイの人は模型の縮尺に無頓着なのだ....
という事はこの模型意外にも、パタヤにあるテーマパーク「ミニサイアム」の、入口付近にある世界の名所模型を見ると良く判る。
(ちなみに同テーマパークも、奥のほうにあるタイの建物は1/25に統一している。)
この模型も空母チャクリ エルナベトの船体と、艦載機の縮尺が合っていない。
空母が1/50程度、艦載機は1/72位と思われる(ヘリ全長はロータ含まず)。
飛行機は市販のプラモを使って手を抜いたのだろうか。
とにかく飛行機が空母に比べて小さい。
それとも世界最小の空母を少しでも大きく見せる為に確信犯で飛行機を小さくした!?
タイ海軍博物館にて。いいのか、軍の博物館の展示がこんなもので?

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ということで、航空機を正しい大きさに写真修正してあげた。逆パネマジ(←ちょっと用法が違う)。

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空母HTMSチャクリ ナルエベトで運用する為に導入したAV-8Sマタドール。
AV-8S×7機、複座のTAV-8S×2機をスペインから1996年に中古で購入したが稼働率が悪く、だましだまし運用していたが2006年には全て退役。
タイ海軍は初代ハリヤー系を最後に運用した軍である。
12 40 32 N 100 59 51 E

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リゾートのホアヒンビーチから見たタイ海軍の軍艦。この場所、最寄の海軍基地から結構距離があるのだが、いつも軍艦が数隻停泊している。
右は中国製の053型フリゲート艦HTMS バンカコン(FFG456)
左はタイ警察の警備艇。
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サタヒープの軍港に停泊中のフリゲート艦。
向かって左はHTMS Phutthaloetla Naphalai (FFG462)、右がHTMS Phutthayotfa Chulalok (FFG461)
元アメリカ海軍のノックス級を中古で購入。2隻は姉妹艦なのだが細かく見ていくと相違がある。
FFG462は写真を撮影した時より1年前の2015年4月に退役しており、ブリッジ下のガルーダの紋章が取り外されている。その他装備や油脂類も少しづつ外しているのか、FFG461よりも喫水線が下がっている(船体が浮かび上がっている)のがマストの位置を比べると判る。

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サタヒープに停泊中の、中国製福池(フーチー)型補給艦HTMS Similan (AOR871)

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タイの随所でみかける顔出しパネル。ありとあらゆる種類のものがある。
観光地だと有料のものもあるので要注意。
さすがにタイ海軍博物館のものは無料。両側は等身大の水兵さん。
その内側は2頭身バージョン。兵隊が2頭身になって大丈夫なのか!?とおもうが、日本ののらくろも似た様なもの...
しかし、真ん中の2つは....チンパンジーとパンダ!?それ、タイにも海軍にも海にも全く関係ないじゃん。パンダとか中国の山奥だし。
アメージング!タイランド海軍..

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課外授業でタイ海軍博物館を訪問している学童たち。バス数台で乗り付けていた。
「魚雷は何で動いているか判るかな〜」「どうやったら魚雷から逃げられるのかわかる人は?」「フランスに領土取られないようにするにはどうしたらよかったのかな?(しょうもない事を...)」とかやってるんだろうか。
日本だったら、日教組が見たら卒倒、左翼プロ市民の親から抗議必至の光景だけど、アメリカは勿論イギリスやフランス、オーストラリアでも課外授業で軍事関係の博物館に子供たちが居るのを見たことがある。
だから、小さい頃から軍事兵器に慣れ親しませるというのはある意味グローバルスタンダードなんだろう。
タイの場合男子には徴兵制もあるし(ただしくじ引き。ニューハーフは免除)。

【クロムルアンチュムポーンケートウドムサック廟】

航海の安全を祈る為なのか、海軍施設はもとより、海軍とは関係ないところでも、海や港の近くでみかける廟を紹介。
長大な海岸線を有するタイなので、多分こういった海軍廟は全国に沢山あるのだと思うのだが。
いずれも「タイ海軍の父」Abhakara Kiartivongse クロムルアンチュムポーンケートウドムサック提督(1880-1923)を纏っている。
彼はラーマ5世の77人居る子供の一人で、チュンポーン県の領王。
英国で海軍々事を学び、帰国後タイ海軍の近代化に尽力し、サタヒープの軍港を開設。
どうでもいいがタイ人の苗字は長ったらしいのが多い。
先日タイ人のお客さんを案内して日本に行ったとき、ANAの国内線で搭乗手続きが出来なかった。
何で?と調べてもらったところ、名前が長すぎてシステムで処理できないことが判明(その後手入力により無事搭乗)
長ったらしい名前、覚えられないぞ....というご心配はごもっとも。タイ人もその辺は心得ていてニックネームを付けている。
ニックネームは短くて覚えやすい。
しかし、会社で使うメールアドレスは苗字が基本でニックネームが含まれない(通常名刺にも書いていない)。
結局、ニックネームとフルネームが対照できるアドレス帳を手元においておかないと仕事にならない。

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パタヤビーチを見下ろす丘の上にあるクロムルアンチュムポーンケートウドムサック廟。
この写真では判らないが全体が船の形になっている。
タイ人の皆さんは熱心にお参りしている。
12 55 43 N 100 51 46 E

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社員旅行で訪問したラヨーンの、小さな漁港脇にあるクロムルアンチュムポーンケートウドムサック廟。
小ぶりながら大切に、綺麗にされている。
12 37 44 N 101 29 53 E

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洋上に浮かぶチャチューンサオ県の仏教寺院、Wat Hong Thong (ホン トーン)の、沖に突き出したテラスに置かれているクロムルアンチュムポーンケートウドムサック廟。
二頭身の水兵さんの人形は置物を売る店先でよく見かける。
13 28 17 N 100 52 20 E
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トラート県のレームゴープにある、マーク島へ行くフェリー乗り場隣にあるチャーン島沖海戦記念の施設。
建物屋上から海戦のあった方向を見つめるのがクロムルアンチュムポーンケートウドムサック提督。
艦船の模型、魚雷、砲などが展示されているが、訪問するタイ人は皆お参りに来ている。
手前のボートは、軍民向けに主に小型艦艇を製作する米国の造船会社、スウィストシップスがタイ海軍向けに作った警備艇で、排水量23t、全長50フィート。
1968年から76年にかけて、T21〜T29の9隻が納入された。
12 10 43 N 102 23 20 E

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チャオプラヤ川河口近くの中洲にあるピースアサムート要塞内に設置された簡単な廟。
簡易祭壇みたい。雨が降ったら慌てて片付けるのだろうか。
13 35 43 N 100 35 17 E

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バンコクの西にある、かなり大規模なクロムルアンチュムポーンケートウドムサック廟。
船体はコンクリート製。全長80m、全幅17m
大砲は実物大だが木製のハリボッテ。
海からは12km程内陸にある。
13 36 21 N 100 26 04 E

尚、私は訪問していないが、タイ南部にあるチュンポーン県はさすがに本場だけあって、廟のスケールも大きい。
10 23 56 N 99 16 44 E (本物のトラート級魚雷艇を使用)
9 57 02 N 99 09 26 E (空母チャクリ ナルエベトの模型。1/2.5程度と巨大)
9 51 30 N 99 09 52 E (全長60mの船)




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