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タイの戦象
War Elephants in Thailand

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タイ軍総司令部にある、戦象に乗るナレースワン大王の像。
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タイ王国の前身であるアユタヤ王国、更にその前のスコータイ王国は戦象と深い関係にある。


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スコータイ王朝成立後まもない1250年代末頃、チョート(現在のミャンマー国境沿いのタイの町、メーソートらしい)のサームチョーン率いる軍勢がスコータイを攻撃した。
スコータイ初代王シーインタラーティットの末息子は、戦象での一騎打ちにより侵略者であるサームチョーン王に勝利し、負けた王は軍共々撤退した。
写真はバンコクのナショナルメモリアルに展示されている、対決の様子のジオラマ。
勝った息子は父、兄に続いてスコータイ3代目のラームカムヘーン王となり、文化・経済の発展に尽力した。

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スコータイにあるラームカムヘーン王の像。
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20バーツ札の裏面にも描かれている。

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タイ最初の王国として栄えたスコータイだったが、14世紀中ごろから登場した隣のアユタヤ王国が徐々に勢力を伸ばす中、スコータイは力が弱まり15世紀には王朝が消滅した。
さて、スコータイの南隣に成立したアユタヤ王国だったが、その西にはビルマ(現ミャンマー)のタウングー王朝があり、彼らが領土と主張するタニンダーリ領有問題を抱えていた。
それに加え領土拡大の野心を持つタウングー王朝のバインナウン王は、アユタヤでの政治的内乱が起きたのに乗じ、1548年に1万強の軍勢を3つに分けた上で率い、スリーパゴダパス経由で現タイのカンチャナブリに入り、アユタヤに向け進撃した。
アユタヤ王朝のチャクラパット王は、アユタヤの西50Kmにあるスパンブリーでビルマの軍勢を迎え撃ったが抑えきれず退却した。
体制を立て直したチャクラパット王は、アユタヤ郊外のルンプリー平原で再度ビルマ軍に立ち向かう(3つの軍勢の内の1つと対決した)。
この時アユタヤの軍勢には王妃のスリヨータイと、王の娘、息子2人が同行していた。
母娘の女性2人は、男性と同じ服装装備に身を包み、一頭の戦象に乗っていた。
アユタヤのチャクラパット王と敵司令官が戦象に乗った状態で対決し、チャクラバット王は不利となり象がパニックになり逃げだした。
これを見たスリヨータイ王女は逃げる王と追撃する敵の間に割り込み、敵司令官に切り付けられ、同乗していた娘と共に戦死した。
....ということになっており、写真のジオラマもバンコクナショナルメモリアルに展示されているが、ビルマ側の記録には無い出来事、女性が象に乗ったり戦闘に参加することはなかった、などから後世の創作では?とも言われる。
写真一番奥が逃げる王、左がビルマ軍、右が身を挺して旦那を守ったとされる王女。娘は?
この出来事のせいかは知らないが現代のタイ男性は皆、奥様に頭が上がらないのだった。
結局アユタヤの王は軍勢と共にアユタヤに撤退し籠城、ビルマの軍勢は中州であるアユタヤを一か月にわたり包囲したが攻め落とすことはできず、その後本国に撤退した。
この戦争はその後1850年代まで300年に渡り延々と繰り返されたビルマ〜アユタヤ/シャム間の戦争の最初のものである。

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ナレースワンはアユタヤ王国の一部であるピッサロヌークの知事、マハータンマラーチャーティラートの息子として1955年に生まれた。
1563年にビルマ軍がピッサロヌークを攻撃し陥落させると、ナレースワンは人質としてビルマに連れていかれる。
ビルマではナレースワンと同じ年頃の王子、ミンチットスラと一緒に育てられた。二人は仲良し、かつ、ライバルで、闘鶏で対決して遊んだ。
道理でアユタヤにあるナレースワン大王記念碑の前には雄鶏が沢山並んでいる訳だ...
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闘鶏で勝ったナレースワンは、「いつかビルマから独立する」と誓った。

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ビルマの再度の攻撃に備え、アユタヤのチャクラパット王は国力を強化した。
徴兵制を敷き、家畜を供出させ、幸運の象徴となる白象を7頭集めることに成功した。
アユタヤの勢力増大を抑えて自分の帝国を拡大する為、ビルマ・タウングー王朝のバインナウン王はアユタヤに白象2頭を貢ぐ様要求したが拒否されたので、再びアユタヤに攻め込んだ。
1564年、アユタヤがビルマ軍の攻撃に陥落した。
アユタヤ王国はビルマの属国となり、王子を始めとする人質を取られ、白象4頭もビルマに連れていかれた。
写真はバンコクナショナルメモリアルの壁画に描かれている、ビルマに連れていかれる4頭の象...あれ、白象じゃないぞ!? 壁画の流れや象の数からしてこの出来事だと思うのだが、普通の象だったのか?

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ビルマによるアユタヤ攻略の結果、ナレースワンの父、マハータンマラーチャーティラートはビルマ傀儡のアユタヤ王となり、娘(ナレースワンの姉)をビルマに嫁がせるのと引き換えにナレースワンはアユタヤに帰った。

アユタヤでナレースワンは軍隊の増強に精を出した。

ビルマの衰退に乗じて1584年にナレースワンは軍勢を率いてビルマ領に侵入、結局撤退したがアユタヤ王国の独立を宣言した。
その後ビルマ軍は何度かアユタヤに侵攻したがいずれも撤退している。
写真はビルマ軍を迎え撃つためにアユタヤから出撃する軍勢。
バンコクナショナルメモリアルの、タイ歴史絵巻の一部。

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1592年には、16世紀最後のアユタヤ攻撃にミンチットスラ率いるビルマ軍が出撃した。
アユタヤのナレースワン(1590年に王座に就いている)は就寝中に夢を見た。
西から洪水が押し寄せ、自分はワニと一人で戦っているのである。
この事を占師に話すと、それはビルマ軍の到来と対決を意味するものだと言われた。
バンコクのナショナルメモリアルの壁画に描かれている「ワニと戦うナレースワン大王」と、ナレースワン大王記念碑に刻まれた同じテーマのレリーフ。
最初にこれを見たときは???だったが、どうもこの夢の出来事らしい…

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1593年1月18日、ビルマとアユタヤの軍勢は会敵した。
全面対決ではなく、司令官同士の一騎打ちとなり、ナレースワンは敵司令官であり、かつ幼馴染であるミンチットスラ王子とお互い戦象に乗って対決、ナレースワンの象使いがマスケット銃で戦死したものの、ナレースワンはミンチットスラを倒してビルマ軍は退却、アユタヤ王国の独立は守り抜かれた。

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スパンブリーにあるドンチェディ記念塔の台座に埋め込まれている、幼馴染同士対決のレリーフ。
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ナショナルメモリアルのタイ歴史絵巻での対決の様子。あれ、2組戦っているが...

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ムアンボランにある、アユタヤ王とビルマ王子対決のコンクリート像。
右側が恐らくアユタヤのナレースワン王で、象使いが戦死している。

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2017年頃主流として流通していた50バーツ札の裏には、ナレースワン王とその戦象が描かれている。
戦象に乗った王の像はスパンブリーのドンチェディ記念塔にある。
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現在ナレースワンは大王と呼ばれており、また対決が行われた1月18日はタイ軍の日に制定されている。
その後もビルマとアユタヤの紛争はずっと続いたが、160年以上に渡りアユタヤが攻め落とされることはなく、王国の繁栄が続いた。

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タイ版「アラモの戦い」
1765年〜1767年にかけて、ビルマ軍は大攻勢を仕掛けてきた。
アユタヤの北に位置するバンラチャン地区では、村々が団結して北から首都アユタヤを目指すビルマの軍勢に対抗した。
装備に劣る(特に火器不足)軍事には素人の人たちだったが1000人程の勢力でゲリラ的な抵抗を続け、度重なるビルマ軍の攻撃を撃退、5か月に渡り持ちこたえた。しかし最後には破れてビルマ軍の略奪にあった。
リーダー11名の像がシンブリー県のバンラチャンに建てられている。
この内の一人は、酔っぱらって水牛にまたがりビルマ軍に突進、戦死したと言い伝えられる。
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1767年、天然の中州と城壁・要塞に守られていたアユタヤはビルマ軍により突破され、王宮をはじめとする町は放火・破壊されてしまった。
中央から左はアユタヤに攻め込むビルマの軍勢。
右側は包囲されたアユタヤを脱出し、南東方向に向かうタクシン。
タクシンは道中賛同者を増やしながら、チョンブリ、ラヨーンを経てチャンタブリに向かった。

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チャンタブリにあるタクシンの像。
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象ではなく馬に乗っている。

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タクシンは城塞都市チャンタブリを攻撃した。
アユタヤが陥落炎上してから約2か月後の1767年6月15日、タクシンの軍勢は夜に急襲をかけた。
襲撃に多先立ち、タクシンは「今晩チャンタブリに入るので、食料と備品はもういらない」と廃却し、背水の陣で攻撃に臨んだ。
かくしてチャンタブリはタクシンの軍勢に陥落し、ここを拠点に軍勢を増強、ビルマ軍を追い出し祖国解放へと向かったのだった。
焼き討ちにあったアユタヤからはビルマの主兵力は少数の兵を残して撤退しており、タクシンの軍勢がたやすく奪還したものの再建は諦め、チャオプラヤ川下流の西岸に同年トンブリ王朝を設立した。
しかしタクシンはやがて発狂し、1782年、忠実な部下だったチャオプラヤにクーデターで殺され、トンブリ王国は王1代で終わりを告げる。
チャオプラヤはトンブリの対岸バンコクに首都を移し、以来現在まで続くチャックリー王朝の初代王、ラーマI世となった。

写真はチャンタブリに入城するタクシン軍で、バンコクメモリアルの壁画とジオラマ。
戦象が登場する壁画、ジオラマはここまでだが、実際にはタイでは戦象を19世紀末まで使ったという。
車両や火器の発達と共に戦象の活躍できる場は少なくなっていったが、荷役労働にはその後も重宝され、太平洋戦争中、タイ〜ビルマに鉄道(泰緬鉄道)を敷設した日本軍も貴重な労働力として使った。

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写真はバンコクのナショナルメモリアルの壁画のアップで、戦象の編成を説明する。

@戦象
象は妊娠、授乳期間が長く、家畜化が難かしいので、野生の象を捕獲して飼いならし、戦象として調教していく方法が取られた。
戦闘用には雄の象が使われた。
捕獲には雌の像をエサに、寄ってきた成人の雄象を捕まえる方法が取られた。キャッチバー(←古っ!)とか、ボッタクリのキャバクラみたいだ。

A戦士
象の背中の椅子に座っている人のほうが偉そうに見えるが、戦闘時には一番前の、象の首の上に一番偉い人が乗る。
象の首の上には特別な装具なしに乗る(私も観光で象乗りをした時にここにも乗せてもらったが、特に落っこちそうということは無かった)。
武器を操り敵と戦うのはこの人。

B副官
進むべき方向を象使いや周囲の兵に指示する。
また、使用する武器を戦士に渡す。
通常の移動や観閲の時には一番階級の高い戦士(王も含む)が椅子に座り、副官は象の首の上にまたがって乗るが、戦闘時にはポジションが入れ替わる。

Cブラシ
草の葉を束ねたもの。
副官はこれを両手に持って指示を出す。
何か飛行場にいるグラハン誘導員、いやむしろネギを振り回して踊る初音ミク、みたいな...

D武器
状況に応じて異なる武器を使用したり、戦士の武器が失われたり破損したりした時に補充する為のストック

E象使い
象を実際に操る。象使いが戦死すると象がパニックになり暴れだし、味方に大損害を与えることもあった。

F護衛
皮が薄くて攻撃に弱いとされる象の足元や腹を守る為の兵士。普通の歩兵ではなく専門の訓練を受けた兵だという。
バズーカやパンツァーファーストから戦車を守る歩兵の随伴が必要な様に、戦象も単体では運用できなかったのである。

戦象の運用に関し、敵を蹴散らし味方進路を切り開くのに活躍した点では近代戦に於ける戦車に通じるものがある。
一方で暴れだすと手が付けられず、味方に甚大な損害を出すこともあったという。
タイに関してはここで紹介した、王族が象に乗って敵司令官と一騎打ち、というのが伝説になっているが、いずれの出来事も歴史的考証から真偽の程は???だ。
(ちなみに例え今の王族とは別系統だろうと、数百年前の出来事だろうとこれら伝説に疑問を挟むとタイでは「不敬罪」に問われる。何ともアメージングタイランドだ。)

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アユタヤ近郊に展示されている4頭の戦象像。等身大で触れるので結構迫力がある。
酔っ払いに絡まれたのか、護衛の兵の刀が皆折られてしまっている。
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戦象の置物。牙に装飾の輪がはめられている。
バンコクのナショナルメモリアルにて。

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アユタヤ遺跡にて行われたアユタヤ歴史の再現ショー。
全部白象(というか桃象)だけど、どうやって集めたのか?まさかペインティング?と思ったが全然剥げ落ちないし、本物!?
女性戦士が混ざっているのはスリヨータイ王妃?

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戦象のデモンストレーション。
タイ観光テーマパーク、サンプラーン エレフアント グラウンド & ズーにて。

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おまけ。象は人間の調教次第で共謀にも温和にもなる。フラフープを回す象。多分私より器用。

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これもおまけ。ただいま社員旅行の途中で象乗り中。頭の毛の少なさが私とお揃い。
眺めがいい。こりゃ敵からの恰好の目標だな...

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トドメのおまけ。小象! かわいい。




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