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アドルフヒトラーとナチス党
Adlof Hitler and Nazis

アドルフ ヒトラー: 1889年4月20日生、1945年4月29日結婚、1945年4月30日自殺。

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総統閣下!マインフューラー!ハイルヒットラー!
ロンドンのマダムタッソー館にて。
戦勝国イギリスの若い男性観光客は無邪気にナチス式敬礼をして一緒に写真を撮影してた。戦勝国は何をやっても許される。
敗戦国ドイツ(←多分。オーストリアかも?)から来てた金髪のコギャル3人組も、総統を囲んで眩い笑顔で写真を撮ってた。敬礼する代わりに中指を立ててたけど。
小心者の私は総統閣下と2ショットの写真が撮れただけで満足でございます。



何か、いきなりネオナチのページみたいになってしまいました。
私はネオナチは嫌いです。歴史修正主義者も嫌いです。歴史は正しく研究しましょう。
左翼も大嫌いです。プロ市民はとにかくウザイです。
とお断りした上で、総統閣下とナチスドイツにゆかりの地や博物館の展示物を集めてみました。
...う〜ん、やっぱりネオナチのページになってますね。
いきなりこのページに飛んできた方、他のページも見て行ってください。
私はごく普通の戦跡ファンです。


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1923年11月8日〜9日にかけて、ヒトラーは第一次世界大戦の英雄、ルーデンドルフを味方に付けてワイマール帝国を転覆させるクーデター(ミュンヘンプッチ=ミュンヘン一揆。ビアホール一揆とも言う)を図った。
ミュンヘンのビアホール、ビュルガーブロイケラーを出発点に、ミュンヘン全域の軍、警察を支配下に置いた後ベルリンに乗り込もうとしたが失敗、
国防軍司令部で包囲されている同志レームを救い出す為にビアホールを出発し、ヒトラー、ルーデンドルフら一行は、ナチス党の突撃隊と共にオデオン広場に向かった。支持者の住民も多数加わり写真左の道(レジデンツ通り)を、奥から手前に向け行進していたが、正面に見える将軍廊の所に待ち構えていた警察隊と銃撃戦になり、ナチス、警察合わせて20名近くが死亡した。

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ドイツのベストセラー、我が闘争(マインカンプ)。
一家に一冊!という事実上の購入強制だったらしい。
写真の(未来の)総統が若いのが印象的。
いくつかの博物館で展示している。
失敗したミュンヘン一揆の首謀者として責任を負わされたヒトラーは、5年の禁固刑を言い渡され、ランツベルク刑務所で服役した。刑務所内ではそれなりの自由があり、結局すぐに出所した。
この時にルドルフヘスに口述筆記してもらったのがこの本。
現在ドイツの書店では販売が禁止されている。
スイスなどに行けばドイツ語版が手に入る。読めないけど。
日本語版は問題なく入手出来る。読む気ないけど。

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突撃隊(SA)の制服。
イギリス王室のハリー王子がパーティにこれと同様の服を着て出席し、他の出席者が皆フリーズしてまった事件には、不謹慎ながら笑わせてもらいました。
戦勝国は何やっても許されるというか、さすが、ブラックジョークの本場、大英帝国の王室は違います。
わが皇室も少しは見習っ.......
SAは1921年の結成当初、ナチス党の党大会が妨害されないよう、用心棒的な活動をしていた。
やがて国防軍から軍事訓練を受け、ミュンヘン一揆にも参加。褐色の制服に身を包みパレードするSAは国民の憧れとなった。
しかし隊員の質が低下し、ならず者部隊の様相を見せてきて国民の評判が悪くなり、ヒトラーは自分に忠誠を誓う親衛隊(SS)を結成すると、それに対立するSAはいよいよ邪魔な存在になっていく。
1934年6月にSA司令のレームが逮捕され、他のSA幹部、その他ナチスの敵とみなされる要人が裁判無しに処刑された(長いナイフの夜)。レームも後日処刑。
以降SAは弱体化され一部はSSに組み込まれた。

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国家労働奉仕団RADの礼服。
偉大なる高速道路、アウトバーン建設は彼らによる。

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最優秀民族のお子様はヒトラーユーゲントへ。
全員強制参加。日本の僻地の青年団に通じるものが...

燦たり、輝くハーケン クロイツ
ようこそ遥々、西なる盟友、いざ今見えん、朝日に迎へて我等ぞ東亜の青年日本。
万歳、ヒットラー・ユーゲント 万歳、ナチス。

聴けわが歓呼を ハーケン クロイツ
響けよその旗 この風 この夏、防共ひとたび 君我誓はば、正大為すあり世紀の進展。
万歳、ヒットラー・ユーゲント 万歳、ナチス。

感謝す 朗らに、ハーケン クロイツ
交驩かくあり、固有の伝統、相呼び応へて文化に尽くさん。我らが選士も幸あれその旅。
万歳、ヒットラー・ユーゲント 万歳、ナチス。

燦たり、輝くハーケン クロイツ
勤労報国、亦わが精神、いざ今究めよ、大和の山河を、卿等ぞ栄あるゲルマン民族。
万歳、ヒットラー・ユーゲント 万歳、ナチス。

北原白秋作詞 「万歳ヒットラーユーゲント」

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女子供を置き去りにしないのが国民の大きな支持を得られる偉大なる政党。
「ドイツ母親名誉十字章」は1938年に制定された。
子供4、5人→銅、6、7人→銀、8人以上→金。写真は金賞と銀賞。
賞状にはヒトラーのサインがあるが、さすがに数百万発行(記録が失われており正確な発行数不明)されているので印刷でしょう。
日本も昔は「産めや増やせや」と言ってましたが、現在の政策ではどう見ても人口を増やす事には本気でない様にしか見えない。LGBTの権利どうのこうの、と言い出す前に他にやることがあるだろうが。手っ取り早いのは移民。まだまだ日本が魅力と思う外国人が沢山いらっしゃる内に大量募集をかける。

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羽田空港の国内線ターミナルで展示されている北原照久氏コレクションのブリキのおもちゃ。以下、解説パネルより、

ヒトラー 1940年代
戦後忌み嫌われたヒトラーの人形達はその殆どが処分され、コレクターの間では希少価値の高いものとなっている。クルマはメルセデスの「グロッサー」(770K)。
尻を突き出した人形は、尻の部分が針刺しになっている。

...って、いいのか、総統閣下の尻に針さして...!?
と思ったら、これは米国の針刺しらしい。ルーズベルト大統領も持っていたといい、映画パールハーバーで一瞬登場する。

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マルチンボルマンがヒトラーの誕生日に贈った、ベルヒスガルデンの奥のベルグホーフの、更に上にあるケールシュタインハウス山荘
晴れていれば絶景のはずなのだが...

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山荘に向かう金張りのエレベーター
ここを訪れたドイツ人が皆明るく、過去の反省など微塵も見せず、オーラを放つ偉大な人物への憧れさえ感じられたのが印象的。
ナチスを信奉しろとは言わないが、隣国への反省と謝罪という言葉に闇雲に耳を貸してはいけない。

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山荘内部。暖炉はムッソリーニからの贈り物。
日本も昭和天皇の名で絨毯を送っていたのだが米軍が切り刻んで戦利品として持ち去ってしまった。

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スワチカ入り食器

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ナチス政権下の郵便切手。

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ナチスが政権を握っていた頃、生活の中にもヒトラーとスワチカが溢れていた。
アドルフヒトラー通りはどの町にも当たり前のようにあったらしい。
現在は勿論、元の名前や別の名前になっている。

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刃物で有名な町、ゾーリンゲン。
そこにある刃物博物館には、お約束の様にナチスドイツのコーナーが。
そこに太ったドイツ人のオバサン(ちなみにドイツ人のオバサンは皆太っている)がやってきて、「まあやだ、ナチスだわ」とこれまたお約束の様に言った。
恐らくオバサンのご両親の世代は「ナチス万歳」だったはず。
何たって国民の圧倒的な支持により民主的に選ばれた政権なのだ。
ナチスがイヤなら自分の親もイヤ?
天皇陛下万歳だった日本も同じこと。ただ、日本にはカリスマ性のある独裁者はいなかった。
みんな横並びに動き、日露戦争以来ずっと何となく戦争....そして皆で敗戦。いかにも日本らしい。

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ヒムラーが乗ったメルセデスベンツW150/770K。
7.6Lエンジンで230馬力を出す。10台のみ生産。
ジンスハイムの博物館にて。

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ナチスドイツ高官の乗り物といえばメルセデスベンツ G4。

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有名な、ニュルンベルグのナチス党大会々場。
ギリシャのパルテノン神殿にヒントを得た柱廊があったが、戦後撤去され土台部分のみが残る。
49 25 53 N 11 7 30 E

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党大会会場を囲む柱。
党大会のときはここにサーチライトが並べられ、垂直に並ぶ光の柱が会場を囲う演出が行われた。
49 25 52 N 11 7 17 E

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ローマ古代競技場をモチーフにしたデザイン...なんだろうか。
ニュルンベルグのナチス党会議場
49 25 56 N 11 6 45 E

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ニュルンベルグにあるナチスが作った観閲道路。
軍事パレードで戦車が行進出来るよう、広く、丈夫な路面を敷いてある。
現在は展示会場(メッセ)の来場者駐車場として使われている。
仕事で展示会に行ったときに撮影。
この道路を車で走ると、気分はパレードに参加する3号戦車の車長!(←ばか)
49 25 24 N 11 7 6 E

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ニュルンベルグのSS兵舎。典型的なナチス時代の建物。
終戦直後はナチスドイツに捕らえられていた捕虜、強制収容所の収容者が本国に帰る前に一時的に滞在する施設となった。
その後90年代まで駐留する米軍が使用、現在はドイツ政府の難民・移民局になっている。
49 25 51 N 11 5 51 E

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ルール地方の工業都市、ドルトムント市の財務課の建物。
入り口にナチスの鷲がかかっている。
スワチカは削り取られている。
51 30 7 N 7 28 54 E

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ドルトムント近郊、ボッフムにある防空壕の入り口。
鷲の支える円環にはスワチカが描かれていたが、戦後削り取られた。
51 29 15 N 7 18 21 E

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独裁者3トリオのドタマ。同じ穴のムジナってやつ。
ベルギー・ブリュッセルの王立軍事博物館にて。
左からスターリン、ヒトラー、ムッソリーニ
いと不気味なり。

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ヒトラー、ゲーリングに次いでナチス党第三位の位置にいた副総裁、ルドルフ・ヘスは、1941年5月10日、英国と講和を結ぼうと単独で双発・複座戦闘機Bf-110にて渡英し、スコットランドでパラシュート降下した
本国ナチスドイツは「あの人は狂ってますから言うことに耳を貸さないで下さい」と英国に伝えた。
ヘスが乗っていた機体の残骸がロンドンの帝国戦争博物館に展示されている。
ちなみに第一次世界大戦中、ヘスは歩兵で後にパイロットに転向した。

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英国にたどり着いたヘスは、ロンドン塔に収監された。(ロンドン塔に捕らえられた最後の囚人である)
終戦後、ニュルンベルグ裁判で有罪となり終身刑となった。
1987年、収監されていたベルリンのシュパンダウ刑務所で93歳のヘスは自殺した。

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ベルリンはナチス時代の建物の宝庫。
これはゲーリングの空軍省の建物。奇跡的に殆ど破壊されなかった。
柱にはスワチカを支える鷲が彫られていたが削られた。
現在は財務省が使用している。
52 30 31 N 13 23 2 E

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ベルリンにあったゲシュタポ本部の跡地。上の空軍省の建物が左奥に見えている。
左の壁はその後築かれた「ベルリンの壁」
52 30 25 N 13 22 58 E

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ナチス時代の1941年に作られたベルリン・テンペルホフ空港
つい最近まで街中の空港として使われていたが、ついに閉鎖。
いかにもナチスっぽい建築。
52 29 1 N 13 23 16 E

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ヒトラー総統の自殺直前、女流飛行家でテストパイロットのハンナライチェは、ヒトラーと面談する空軍のフォングライム将軍を乗せて、砲弾の穴だらけのベルリンにFi156シュトルヒで着陸した。
地下壕で二日間を過ごした後、ヒトラーがベルリン脱出用に確保していたアラドAr96にて、フォングライム将軍と共にベルリンを脱出した。
写真はベルリン科学博物館に展示されているAR96同型機。

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ベルリン攻防戦でソ連が破壊した総統官邸にかかっていたスワチカ付の鷲。
ソ連からイギリスにプレゼントとして贈られた。
「ドイツの首都ベルリンはソ連が占領したのだ!」とでも言いたかったのだろう。
翼に銃弾による穴があいている。
ロンドンの帝国戦争博物館にて。

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ヒトラーは最後は防空壕に篭って、恋人エファブラウンと結婚式を挙げてから自殺した。
防空壕跡地には東ベルリン時代にマンションが建てられた。
画面の奥、建物の手前あたりの地下に総統防空壕があった。
52 30 45 N 13 22 55 E
映画「15時17分、パリ行き」でも史跡として自転車ツアーで訪問する。

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ベルリンにある、ソ連の戦勝記念公園、トレップトウア公園。
赤茶色のモニュメントは破壊された総統官邸からソ連が回収した大理石を使っているといわれる。
同じ石は地下鉄モーレンストラッセ駅にも使われているとのこと。
しかし本当にそうなのか?総統官邸は激しく破壊されているにもかかわらず、大理石をそう簡単に再利用出来る物なのか?
この話は都市伝説?
52 29 15 N 13 28 7 E

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勝者が敗者を裁く−戦後、ニュルンベルグ裁判の行われた建物。
現在も裁判所として使われている。
49 27 17 N 11 2 47 E

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おまけ その1。
ヨーロッパでは毛嫌いされているナチスのスワチカだが、所変わればお洒落アイテム。
タイのバンコクで見かけた フォルクスワーゲン タイプ2。
こういう車を所有維持できるのはそれなりにお金持ちなんでしょうが、ドイツ=ナチスの短絡思考的センスにはコメントもありません。
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おまけ その2
東京都内某所でみかけたポスター。2012年の撮影。
これも短絡発想だけど、少なくともヒトラー総統は一時的にせよ失地を完全に取り戻している点は安倍総理も見習ってほしい。
北方領土は永遠に迷走、竹島は事実上韓国の支配下、尖閣諸島は風前の灯火という状態を打開できるのは安倍ちゃんしかいないのに...
あと、株価とか人手不足とか円安とかで「アベノミクス成功」とか止めてほしい。
一部上場企業の多くは海外事業に依存しており円安(=国力低下)が進むと見掛けの業績が良くなるのは当たり前。人手不足は単なる高齢化の影響だろ。実際、海外から日本に帰ってくると「何て老人の多い国だろう」という感想しかない。手取り給料が大して上がっていない(額面は上がっているが控除が半端なく増えている)という現実を無視されてもなぁ...
1.移民を入れる 2.若者を一定期間農業に従事させる(徴兵の代わり)
これで景気は良くなります(←断言)。



まずは「本物」が登場する映画から。
ドキュメンタリー映画、「意思の勝利」
女優としてもアスリートとしても監督としても天才的な女性、レニ・リーフェンシュタールが、この映画を撮った為に戦後批判され、以降映画が作れなくなってしまった、という映画。
それ、後だしじゃんけんのスケープゴート虐めだろ、ドイツはもとより、諸外国も含め当時のお前らの多くはナチスに賛同していたし心の底ではユダヤ人嫌いだったんだろ!という無責任なコメントは控えておく。
1934年9月5日から10日にかけてニュルンベルグにて行われた第6回NSDAP(ナチス)党大会のドキュメンタリー。
しかし、単なるドキュメンタリーではない、民衆と党幹部、アップと引き、幾何学的な行進と生活する兵士といった対極の映像を混ぜた作品。公開当時の評判は世界的に高かったという。
今見ても、なるほど、この党大会やパレードを見ていたら、ナチスに熱狂するな、と納得してしまう映画。
それほどまでに当時ナチス党と総統閣下にはカリスマ性があったのだろう。
それが生み出すのは見事なまでの全体主義。全体主義は強い。初期のナチスドイツも、高度経済成長期の日本も、どちらも全体主義で成長したのだろう、と納得。
ナチスドイツはゲッペルスをブレーンとした宣伝プロパガンダの勝利と言われるが、この映画はヒトラーがレニ・リーフェンシュタールに依頼したもので、正当なナチスの宣伝映画ではない。
とはいっても要人の演説の主要部分が収録されており、ナチスの方針が良く判る映画でもある。
会社でもそうだが、指導者の意思がはっきりしていると組織はきちんと動く。
歴史的にも貴重な映画で、ナチス版エアフォースワンである総統専用機Ju-52 D-26000は飛行機マニアにはツボ。
戦争で破壊される前のニュルンベルグの町並みや、現在はすっかり小さくなってしまった党大会会場の全体像もバッチリ見られる。
一方で7年後勝手に英国と講和しに飛んだルドルフヘス副総裁のスピーチとか、
1年前に起きた長いナイフの夜の後の党大会なのでSAは残っているものの微妙な立ち位置なのが判るとか、その後の歴史を知っている我々ならではの楽しみもある。
とにかく必見、の映画。
長らく日本ではビデオ/DVD未発売だったが現在はソフト化されている。

そして戦後の映画界でもヒトラーは大人気(?)で、数え切れない程の映画に登場する。
「ヒトラー 〜最期の12日間〜」はドイツ映画でヒトラーを扱ったことが話題になった。
これはヒトラーの自殺までの12日間を追ったノンフィクション。
ヒトラーに限らず、その取り巻きのヒムラー、ゲーリング、ゲッペルス、ボルマン、ハンナライチェなど皆ホンモノそっくり。

ソ連映画「ヨーロッパの開放」でもヒトラー総統の自殺(に見せかけ)が描かれている。
こちらも、ヒトラーはじめルーズベルト、チャーチル、スターリンなどホンモノそっくり。しかし、ロシア語の吹き替え音声をかぶせてあるのが玉にキズ。

「パリは燃えているか」、ではラストで甲高い総統閣下の声が電話から響く。姿は見えずとも存在感たっぷり。

「インディージョーンズ最後の聖戦」では、寡黙な総統閣下が頼みもしないのにサインをしてくれる。いいのか、総統閣下ネタで笑いを取って?(米国映画なのでOK)。
この総統閣下はスターウォーズ帝国の逆襲に出てくるケンダルオゼル提督と同じ人。

「帰ってきたヒットラー」。笑った。特に前半。これはナチス党の造詣が深い人程楽しめる映画だろう。
4人残れ、には大爆笑させてもらいました。
私は前々から(ドイツに住んでいた頃から)、ドイツ人はネオナチでないごく普通の人も本音ではヒットラーが好きなんじゃないか?と感じていたのですが、この映画を見て更に確信しました。
おそらくヒットラーのコスプレをした人がドイツを歩いていたら皆ああいう反応をするでしょう。
際どいネタを使っているわけだが、SNS全開の現在社会での立ち回りを見せて、ドキュメンタリータッチで本音を主張して、ブラックユーモアで笑いを取り、ネオナチや右翼に嫌われることでリスクを回避し、現在の移民や難民問題を絡めることで今そこにある問題を取り上げる、という、1本で何度もおいしい映画。

「栄光のランナー 1936ベルリン」は、アメリカ代表の黒人オリンピック陸上選手がベルリンオリンピックにて4つの金メダルを手にし、その為に総統閣下他ナチス幹部が不機嫌になるという実話の映画化。
総統閣下は始終無口。他にゲーリング、ヒムラー等と思しき方々が台詞無しでチラリと登場する。
メインのジェシーオーエンズのドラマと平行して、レニ・リーフェンシュタールとゲッペルスの対立が描かれているのも高ポイント。
原題はRaceで、競争と人種を引っ掛けているのだろう。

「空軍大戦略」でベルリン空襲の報復を演説するヒトラー、「ワルキューレ」で登場するヒトラー、....

数多くの役者が演じているが、最もヒトラーを的確に、上手く演じているのは「独裁者」のチャップリンだろう。
まだアメリカにもナチスのシンパが多かった頃、独裁者の危険な本質を見抜き、それをコメディという形で映画化したチャップリンは本当の天才だった。




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