ロンメル元帥
Fieldmarshall Erwin Rommel

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ロンメルといえばドイツ・アフリカ軍団。
トレードマークのゴーグルは英軍からの戦利品。


エルヴィン・ロンメルは1981年にドイツ帝国下のヴュッテンベルグ王国で生まれた。
1910年に士官学校に入学し、1912年に少尉に任命された。
第一次世界大戦ではフランス、ルーマニア、イタリア戦線を戦い、3度負傷したが、イタリア戦線の戦功により最高栄誉であるプール・ル・メリット勲章を授けられた。
第一次世界大戦が終わると軍事学校の教官・校長を務め、大佐になった。
1938年にヒトラー総統の専用列車の護衛責任者となり、この頃ゲッペルスと知り合った。
1939年少将に昇進、1940年5月の電撃戦では第7装甲師団を指揮し前線に立った。
ベルギーに侵攻しディナン近郊でミューズ川を渡河。

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1940年の電撃戦では、ロンメルの師団はベルギー領に進攻し、ミューズ川をディナン近郊で渡り西進した。
船が航行しやすいよう水門がいくつも設けられており、写真に見える水門上の橋を使って対岸に渡り橋頭堡を確保した。
ナミュール〜ディナンに向かう遊覧船から撮影。


フランスに入りアラスの戦いで英大陸派遣軍(BEF)のマチルダ歩兵戦車の反撃を受け、37mm対戦車砲では歯が立たないので88mm高射砲の水平射撃を陣頭指揮して撃退した。
電撃戦では進撃速度が良くも悪くも異様に速く、軍団司令部が連絡を取れない無線圏外に居ることがしばしあり、幽霊師団と呼ばれた。
電撃戦での活躍により鉄十字章授与。
1941年には困った同盟軍であるイタリアを助ける為のドイツアフリカ軍団の指揮官としてリビアに渡った。
一連の北アフリカでの活躍によりドイツ最年少の元帥となり、「砂漠の狐」と呼ばれたロンメルはゲッペルスの計らいでドイツメディアへの登場も多く、国民的英雄となった。
しかし連合軍の物量に押され、更に東部戦線に苦戦している為本国からの補給と補充が乏しくなり、この頃健康を理由に指揮をフォンアーニム将軍に譲り、1943年本国に戻った。

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アフリカ軍団のロンメル将軍と言えばこれ!という位に有名なSdKfz250ハーフトラック。
エアフィックスやタミヤから模型が出ていた。
残念ながら搭乗していたズバリの型(SdKfz250/3無線指揮装甲車)は残っていない。
フランスのソミュール戦車博物館にて

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アフリカ軍団のロンメル将軍と言えばこれ!という位に有名なFi156シュトルヒの同型
連日シュトルヒで上空から戦線の様子を確認した。
ミュンヘン郊外のドイツ博物館別館にて。


さて、ロンメルの次の任務はフランスの防衛である。
連合軍の上陸が近いのは判っており、ロンメルは連合軍の上陸地点をノルマンディーと予測し、防衛線を見て回り増強を指示した。
ロンメルはヒトラーに、戦車部隊を海岸線沿いに配置して敵を上陸地点で殲滅するよう進言した。
一方、西部防衛司令官であるフォンルントシュテット元帥は、連合軍上陸地点を英国から最短距離のカレー地区と予測し、一旦敵を上陸させてから退路を断ち殲滅させる作戦が効果的なので戦車を内陸に配置するよう求めた。
結局ヒトラーは両方の顔を立てるべく、中間の中途半端な位置に配置してしまう。

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フランスの大西洋防衛を担当していた時司令部として使ったラロッシュギヨン城。
49 4 52 N 1 37 45 E


1944年6月6日はロンメル元帥の妻の誕生日だった。
悪天候の為上陸はしばらく無い、と予想したロンメルは、妻の誕生日を祝う為本国に戻った。
その日連合軍がノルマンディーに上陸、戦車部隊による効果的な迎撃が出来ず橋頭堡を築くことを許してしまう。
何とか連合軍の進撃を食い止めよと前線を視察して回るロンメル元帥は、司令部に車で戻る途中の1944年7月17日、英(カナダ)空軍412飛行中隊のスピットファイアの機銃掃射を受け頭部を負傷、戦線を離れて入院治療を余儀なくされる。

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ノルマンディーに上陸した連合軍に対抗すべく指揮を取っていた最中、
車で司令部に戻る途中、Sainte-Foy-de-Montgommery近郊で英空軍(英連邦カナダ)のスピットファイアによる攻撃を受けた。
車は画面奥から手前にかけて走っていたが襲撃を受けたので右折して建物の先にかくれようとしたが失敗し、この写真を撮影した時立っている辺りに突っ込んだ。
このためロンメル元帥は頭部重傷を負い戦闘指揮を離れることになる。


3日後の1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件が起こる。
逮捕され拷問にかけられた首謀者数名からロンメルの名が上がり、暗殺への関与が疑われた。
暗殺関与の真相は今も不明のままだ。
傷が回復したロンメルは名誉を守ったままの自殺か、あるいは裁判にかけられ家族やスタッフも報復を受けるか、の選択を迫られ、自殺の道を選んだ。
1944年10月14日、ロンメル元帥死亡。
死因はノルマンディでの負傷が元で、と発表された。

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怪我が回復したロンメル元帥は今度はヒトラー暗殺関与の疑いをかけられ、家族の安全・名誉と引き換えに服毒自殺を強要された。
デスマスクがアフリカ軍団時代の軍服や著書「歩兵攻撃」と共にドイツ・ムンスターのパンツァーミュージアム(戦車博物館)に展示されている。



ロンメルを題材にした映画としてイギリス映画「砂漠の鬼将軍」があり、英雄にして人道家、ヒトラー暗殺未遂の報復犠牲者として描かれている。
他に将軍たちの夜、パットン戦車軍団、史上最大の作戦といった大作・名作にも登場する





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